あとがき
最後までお付き合いをいただき、本当にありがとうございました!とても嬉しいです。
第三章で貼り付けた絵の作者・月岡芳年が大好きでして。
あの絵「奥州安達がはらひとつ家の図」は、明治政府から「風紀を乱す」とか何とか言われて発禁になっちゃった名作なんですが、正直あれはまだおとなしい方でして、「血みどろ絵・残酷絵」で知られた(それ以外のジャンルも達者なんですけどね)画家です。
で、久々に「芳年の安達が原の絵見たいな」と思ったんだったか、「安達が原の話で、なんかSSできんかな」と思ったんだったか、どっちが先の話だったのかもはや思い出せない【たかが10日前の話だというのに】んですが、ふと検索してみたのがきっかけでした。
この物語は様々な要素を多重的に含んでいて、魅力的なモチーフなので、プロアマ問わず、今まで多くの書き手がイマジネーションを刺激されて、モチーフとした物語を作っています。
石川賢先生しかり、手塚先生、夢枕獏先生……細かい所まで見て行くと数えきれないぐらいなので、ある意味手垢の付いたネタとも言ってもいいわけで。纐纈城の元ネタとどっちにしようかしらとか迷いました。
この絵のキモって、「血みどろの芳年」が、あえて血も腸も出てない、まだ腹を裂いてない場面を描いたってところにあるんじゃないかと思うのです。
これから裂かれるんだ、っていう緊張感がこの一枚を名画たらしめてんだろうなと。
で、この見事な女の腹を見てると、「帝王切開の技術がない時代にこの話のイマジネーションって凄いもんがあるよなあ」と考えまして。
「黒平安京の世界だったら、安達が原の世界に帝王切開があったっておかしくないし、そこでは岩手は鬼婆じゃなくて、最初に帝王切開を成功させた神様みたいな人ってことにできないか?」
と思い付いた時に、「これはSSに仕上げてみよう」と決めました。
あとは、安達が原の舞台は福島県なんですが、琵琶湖周辺で展開する話とどう絡めようかとか、その辺は後付けしながら考えてった感じです。
今回は最初から、時系列的な事もあって「隼人ソロの話」にしようと決めていました。
当初は一人で全部バトルを終わらせてシレッと立ち去るドライな感じにする予定でした。
胎児にちょっといらんことを語らせてみようか、と考えた時、「目覚めたらすっぱり忘れてた」ことにする予定だったんですが、長い間雨の中で寝てるのもなんか間抜けだし、ベタだけど、「未来の竜馬がちょっとだけそこの記憶を消しに来る」ことにしようと。
結果的にはけっこうウェットな感じのラストになってしまいましたが。
この胎児との対話のヴィジョンは、「虚無戦記」のアレです。
虚無戦記の世界観とゲッター宇宙のそれは直接繋がってはいないんですが、まあ新ゲの最後で四天王が「虚無」から堂々とカメオ出演したわけですし、この位はアリかなあということで……
最後に雷撃で倒す、という点は鬼女伝説とリンクさせています。
ここの時点で竜馬のヘルプが出る、という案も考えたんですが、それだとなんか隼人が情けなくなっちゃうので、バトル自体は一人で完遂させるという事にしました。
前半部は、状況的に必然性は持たせたつもりですが、隼人がけっこう多弁だったり、人当たりが柔らかめなので相当誰てめになってしまい頭を抱えましたが、後半の容赦ないバトルでそれなりにキャラクターが戻せたかなと思ってます。
それにしても、「一応妖怪とは言え、赤ん坊をボコボコにぶっ殺してアイデンティティが回復する」って、今更ながらとんでもないキャラですよね、新隼人ってw
安達が原の鬼女物語は、媒体やヴァージョンごとに色々なバリエーションがあります。
結末だけでも
・経や真言を唱えると、鬼婆が正気に戻り、自分の姿の浅ましさと罪を恥じてどこかへ去っていく、または仏教に帰依する
・雷で倒す
・僧の持っていた観音像が空中に舞い上がり、白木の真弓で倒す
・安倍貞任の物語とリンクする
・朝まで逃げ切って朝になったので助かった
などなど。
ここでは当地に居伝えられている昔話をベースに多少改変(殺した娘と子と夫を食う、という場面は私が勝手に付け加えたものです)
この辺厳密にこだわるのはあまり意味がないんですが、源頼光(948〜1021)や安倍晴明(921〜1005)のいた頃にこの安達が原伝説があったのか、それともあとの伝承なのか、についても一応確認してみました。
文献に確実に現れた最初は、平兼盛(?〜990)が詠んだ
みちのくの 安達ヶ原の黒塚に 鬼こもれりと 聞くはまことか
という和歌だと言われてます。
既に安達が原の鬼物語が存在した、とも考えられますし、逆に「この歌がもとになって伝説が形成された」という説もあり、はっきりしないようですが、時期的には十分にアリかなと。
なお、多くの伝承中に登場して鬼婆を倒す東光坊祐慶という僧が8世紀の人物なので、物語自体の時代設定はその辺りなんでしょうな。
また、「安達が原」(あるいは「安達」)という地名の語源が、「あだし野」「あだしが原」(いずれも墓地、風葬、死体捨て場の意)から来ているのではないか、という説もあるそうです。
作中で、隼人の母親のイメージを少し出してみました。
TVのイメージから、とかくマザコンと言われがちな隼人ですが、新ゲに関しては母親ともあんまり良好な関係じゃなかったのかな、と勝手に思ってます。
どっちかというと過干渉というか、最近の母親にありがちな息子をアイドル視しちゃうみたいな歪んだ部分があったりとか、もっと言えば「筆おろしはママにお任せ」みたいなことまで言い出しちゃうイカれた母親だったりしてもアリなような気がして来たのは流石に妄想のし過ぎだとは思うんですが。
ああいう人当たりになった原因の一つだったのかもしれんよなー、と。
少なくともTV版みたいな母親像ではないと思いますし、あれよりもうちょっと今日的で、病んでる気がするんですよ。
それにしても、病的な隼人スキーな私ですら、隼人ソロっていうのは思った以上に閉塞感があって、3万字を越えた辺りから段々息苦しい感じになってくるのに
気付き、驚きました。序盤説明と独白ばかりが続くせいもあるんですが、やっぱり二人、あるいは三人の会話があってこそ適度に空気が流れるんだなあと。
(勿論、この息苦しさとか空気の淀んだ感じは、ある程度、雰囲気作りを狙った表現でもあるのですが。)
なので、最後で竜馬の台詞や一人称を書きながらホッとするというか、空気穴が開いて新鮮な空気が入って来たような感じで、ホッとしました。多分お読みくださった方もそうだと思うんですが。
「(裏ブログで)夢幻紳士っぽい話」と事前に書いてましたが、結局全然そうならなくてすま略。
いや、そこに期待してくださった方はいらっしゃらないと思いますけども!
今回も長々と徒然話で失礼いたしました!
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