京極夏彦作品解題

《妖怪シリーズ》
 
・・・という名称から、いわゆる怪奇・オカルトな作品群かと思ってしまう人が多い。実は、私もその一人だった。
 しかし実際に触れてみると、少しもそうでないことが分かる。つまり、各作品に妖怪の名前が冠されているので、勘違いされがちなのだが、その「妖怪」とは、古書肆にして憑き物落とし・中禅寺秋彦の祓う心の闇であり、人を縛る因習であり、業のようなもの、なのである。
 もっとも、「京極堂シリーズ」の方が通りがいいかもしれない。

●●姑獲鳥の夏●●

・講談社ノベルズ/・講談社文庫

 「京極堂シリーズ」の記念すべき第一作。
 小説家・関口巽のもとに持ちかけられた噂話。産み月を過ぎても出産しない妊婦。
 その舞台となる産院は、関口の先輩、藤牧の婿養子に入った先だった。事件に対して傍観者だった筈の関口には、その久遠寺医院に意外な関係があったが・・・
 一見無関係な事象が、ラストの「憑き物落とし」の場面で一点に向けて収束する。その「ミステリ」では括り切れない展開、そして独特の湿度のある文章が、見事という他はない。
 冒頭は、いきなり京極堂こと中禅寺秋彦の長大な蘊蓄で始まる。「量子論の観察問題」の話が、本編に何の関わりがあるのか、と放り出したくなる読者も多いかもしれない。そう言う意味では、読者をふるいにかけている小説かもしれない。しかし、最後まで読んだとき、中禅寺の言葉には一つも事象に無関係な事はないのだ、と思い知らされる。とにかくここから一読していただきたい。

 読了して思ったことは、このシリーズにはいわゆる「探偵役」がいないということである。
 中禅寺は、最後の最後まで腰が重く、この作品の主人公たる関口は、いつも中禅寺から無知蒙昧扱いされる読者代表の立場、いわゆる「ワトソン役」。一番大きいのが、かの魅力的な私立探偵・榎木津礼二郎がまったく「探偵」していないという点だろう。そう言う意味でも、どこを斬っても画期的な作品なのである。