イキのいい奴(1987)
続イキのいい奴(1988)

水曜20:00〜20:45

原作:師岡 幸夫「神田鶴八鮨ばなし」(草思社)
脚本:寺内 小春(当作品は第5回向田邦子賞受賞)

<キャスト>
親方:小林薫
安男:金山一彦

若山富三郎
松尾嘉代
藤 奈津子

(以下・「続」の出演:役名は失念・・・)
益岡 徹(安男の弟弟子役?)
立花 理佐(安男の恋人役)
石田 えり(親方の押しかけ女房役)

<主題歌>

「男ばなし」

作詞:星野哲郎
作曲:大野雄二
編曲:川口真

歌:森進一

<ストーリー>

 主人公は、威勢の良さだけが取り柄の、猪突猛進型の少年・安男。
 寿司職人を目指す安男は、親方のもとで住み込み、修行をすることになった。
 程なく寿司を握れるようになるだろう、とタカをくくっていたものの、待っていたのは、寿司はおろか、包丁にも触らせてもらえない厳しい現実。そして親方は、頑固な江戸っ子で、口より手が早いタイプ。
 日々怒鳴られ、ぶん殴られ、時には食ってかかったりしながらも、心優しい近所の人達やお客に支えられて修行に耐える安男。いつしか彼の役目も、皿洗いから米研ぎ、ネタの仕込みへとランクアップ、次第に寿司職人のメインの仕事に近づいていき、職人の心構えを身に付けていく。

 好評につき、連続して製作された「続」では、親方が押しかけ女房の石田えりと結婚したり、安男もお針子の立花理佐と淡い恋を展開したり、弟弟子がやって来たり、とキャラクターが増え、話の展開もよりにぎやかになる。

<雑感> 

 水曜夜8時という、手強い裏番組のある時間帯でありながら、非常な好評を博したこの作品。
 魅力はやはり、小林薫と金山一彦の、コント一歩手前の絶妙のぶつかり合いと言えましょう。

 まず、小林薫
 大体この人といえば、静かな役、諦念漂う人物、クールなキャラクター・・・という印象が強かっただけに、この親方役の好演は驚きでした。
 頑固な寿司職人・・・普通「頑固」というと、岡本英郎あたりのイメージが浮かんできそう(あくまで主観)ですが、まず年代一つとっても、「若い」ですね。けれども、当時料理人の修行は早く始まるもの。多分親方の設定は40歳暗いと推定されるのですが、15で見習いに入り、修行をこなしつつも頭角を現せるような実力を持った人なら、その位で店を構えることは実現可能な話なわけです。その年齢設定も、さりげなく「親方がいかにいい腕か」を示しているように思えます。
 んで、この親方がよく怒る。怒って、怒鳴って、安男の頭をバンバン殴る。安男も気が強いので、たまに物でもなげ返そうものなら、10倍になって帰ってくる。本当に、「カミナリ」としか形容しようのない怒鳴り方、ものすごいパワーがあって、「小林薫って、こんなにパワフルだったのか〜!!」と開眼しました。
 親方の良いところは、よくTVに出る「頑固親爺の店」のように、客に怒鳴ったり、蘊蓄たれたり、威圧したりしない所です。あくまで客商売であるということをわきまえ、「お客さんに美味い寿司を食べていただく」ことだけを頭に、誠心誠意寿司を握る親方。間違っても、お客を素人呼ばわりしてバカにしたり、ネタの注文の順番にケチをつけたりしません。性格が性格ですから、愛想良くはできませんが、接客態度は常に温厚です。日々そういう姿を見せることにより、安男に「心構え」について無言の教育を与える親方。心憎いです。
 安男の失敗を怒るときにも、失敗自体だけでなく、「お前がヘタクソにいじったことによって、せっかくの米やネタがダメになってしまってもったいない」という言い方をするのが印象的でした。見てる方も、「食い物は大事にしないと」と叱られたような気になったものです。
 寿司を握る手がアップになるところは職人さんの吹き替えでしたが、寿司を握ったり、作業をする動作が、とても簡潔でテキパキしていました。多分、役作りのために、優れた職人さんの、キビキビして気持ちいい所作を研究されたのでしょうね。
 「続」では、押しかけ女房の登場により、ちょっと親方のストイックさが失われたような気がして、大いに残念でした。

 で、金山一彦です。
 この人が思いっきり「イキのいい」演技をしていなかったら、この作品がこれほどの魅力を放つことはできなかったでしょう。
 第1話で、鼻っ柱を思い切り叩き折られ、親方に怒鳴られ、反発しながらも、その一途さを「寿司職人」への熱意へと向けて、成長していく様子。本当に、見ていて気持ちが良かったです。
 恐らく、小林薫の力量があり、それを信頼したからこそ、全身でぶつかっていく演技が出来たのではないでしょうか。役柄だけでなく、金山自身にも、「出たて」であることの思い切りの良さがあったからこそ可能だったセッションだと思います。
 朝から晩までの仕込みに疲れながらも、いつか握らせて貰う日を夢見て、残りのシャリや手ぬぐいで握りの練習をする安男の姿は、本当に清々しいものでした。そんな一途な演技に感情移入した視聴者は、コハダの仕込みを任されるようになったと言っては喜び、厚焼き卵を焼かせてもらえるようになったと言っては拍手したものです。終盤、親方から突然「握ってみろ」と言われたときの驚きと喜び。クライマックスで、完全に安男と一体化してましたね・・・

 このドラマに一つ文句を付けるなら、「見終わった後、寿司が食いたくなってたまらなくなり、非常に困る」という一点でしょうか。
 つまりそれほどまでに、寿司が美味しそうだったのです。ネタだけでなく、シャリの美しさと、絶妙な握り具合まで・・・その見栄えに気を使ったことも、ドラマの成功の一因と言えましょう。
 当時、現在のようにあちこちに回転寿司があるじゃなし、そんなに気軽なプライスで寿司が食べられたわけじゃありません。この番組を見る度、機械握りのスーパーの寿司でなく、たまに父が酒飲みのお土産で持ってくる、折り詰めの「寿司屋さんのお寿司」の味が体中に甦り(大道寺家の貧しさが露見するなあ、この文。)、悶絶してしまうのです。一緒に見ていた母もお寿司大好き人間なので、二人で「ちゃんとした(←泣)お寿司が食べたい〜!!」と魂で叫んでいました。
 また、安男の修行を通じて、「コハダの仕込みがいかに面倒か」「エビの蒸し加減が如何に微妙か」「美味い海苔巻きが如何に難しいか」など、ネタ一つにもどれほど手間と気配りがなされているかを知り、お寿司屋さんへの畏敬の念が大いに啓蒙されました。

 あーもう、この文章書きながら思い出してる側から、酢がきゅっと利いた〆鯖やら、海苔がパリパリしてる軍艦巻きやらを思い出し、無性に寿司が食べたくなりました(笑)。