偽京極小説「美味しんぼ」
〔配役〕
山岡士郎@中禅寺秋彦
栗田ゆう子@中禅寺敦子
海原雄山@堂島静軒
富井副部長@榎木津礼二郎
関口先生@関口巽
荒川夫人@一柳朱美
中松警部@木場修太郎
京極さん@京極さん(笑)
第二話 「お茶漬けの心」」
ちりんちりん。
「山岡さん、あそこに御行さんが。」
「面倒臭いから見なかったことにしておけ、栗田君。」
その、獅子のような面持ちの和服の男は、山岡一行に気づくと、一種不思議な表情で山岡を見つめ、言った。
「ふん、貴様もこんな所に居ったか。」
「あなたがいると知っていたなら、来ませんでしたよ。」
山岡は、いよいよ苦虫を噛みつぶしている。
「えっ、あの”通りすがりの郷土史家にして、今世紀最後の食通文人”と言われた海原雄山と、山岡さんが人見知り?」
やけに説明的な台詞で、栗田が息を呑む。
富井副部長は、その海原雄山の、更に頭上を見上げ、珍しく真面目な口調で
「あんた・・・一体中国で何を食ってきたんだ!!」
「ふふっ、聞きたいかね。薬膳珍味は言うに及ばず、冬虫火草から蛇蠍に至るまで。ある時は(以下300字、猫好き玄機先輩と犬好きわふ様を考慮し削除)、果ては(以下400字、相当基本的な人倫に鑑みて削除)なのだよ。」
「だから、こういう男なんだよ。」
「ああっ、削除だらけで何だかよく分からないが、なんて人なんだ!!」
青ざめた関口が、震えながらそれだけ呟いた。
「ふん、お前の如き雑魚など、どうでもよいわ。この店は」
と、雄山が店の主に向き直る。
「余所からの観光客を当て込むのは良いとしても、京料理に慣れぬ舌の連中に”これが京料理ですよ”と言って納得させ、研鑽をせなんだ故に、先代とは較べ物にならぬ程味が落ちておる。こんな店の茶漬けなど、京極さんにお出しするわけには行かぬわ。」
「ふっ、結構筋が通っているような気もしますが、役柄上仕方がないので、じゃあお聞きしますが、貴方の言う”真に優れた茶漬け”の条件とは何なのです。」
「それを聞かねば分からぬか。知れたこと、最上級の米、本物の漬け物、最上の茶、それらを用いて、最適の方法で調理した物だ。致し方ないので、本日は雄山手づから京極先生に作って差し上げるとしよう。」
「ふふん、最高の素材さえあれば最高の茶漬けですか。貴方にしては随分芸のない仰り方だ。」
「何が言いたい、士郎。」
「僕なら、さらにその上を行く茶漬けを作って差し上げられますよ。」
「何ッ。巫山戯た事を。」
「信じられませんか、ならば、一週間後。本物の茶漬けをお見せしましょう。宜しいですか、京極さん。」
黒い指ぬき手袋を填めた、ちょっと垂れ目の優男は、黙って頷いた。
「茶漬け対決などどうでもいいが、どうして京料理から結局蕎麦になるんダ!!」
富井が不満そうに毒づく。
「雄山のいた店など、験が悪くていけない。まして、味が落ちてると言うなら、それは事実だろうからね。」
「妾も初めて知ったことですがネ、旦那、一体全体海原雄山とどういった関係なんです?」
「それは一寸。僕の口から言うようなことではないよ。まあ、もしかしたら、陰摩羅鬼の出る頃には・・・いやいや、それはどうでもいいことさ。」
「あんな人に勝負なんか吹っ掛けて、勝つ自信はあるのかい、きょ・・・じゃなかった、山岡。」
関口は、相変わらず何かに怯えるような口調で言う。
「あんな人に負けるわけには行かないよ、関口君。ただ、そのために一週間がどうしても必要なんだ。」
山岡はそれだけ言うと、特段美味そうな顔も見せずに、淡々と狸蕎麦を啜った。
一週間後。
その蕎麦屋を借り切って、勝負は行われた。
「どのような策があるのか、この雄山に勝負を挑もうとは無謀な奴よ。」
「ふふっ、ごたくは食べてから伺いましょう。」
ゲストである京極氏(笑)は、最初に雄山側の茶漬けを手に取り、品のある仕草で一口二口啜り。
ちりん。
やはりその時も、何処からか鈴の音が聞こえてきた。
「す、素晴らしい。」
陶酔した表情で語り出す京極氏。
「これが。
これが本当に茶漬けだというのか。
私には信じられない。
この、余韻嫋々とたなびいて消える涼やかな風味。
それでいて、素朴な旨味が幸福に結合した、見事なハーモニー。
これは。
これはむしろ。」
「何だい何だい、台詞なのにやたらと改行が多い御仁だねェ。」
なんか喋らせておくと長くなりそうなので、すかさず荒川が突っ込みを入れる。
人数分用意された茶漬けに、山岡も箸を付ける。
「成程。まず米が違う。新潟県魚沼で、真面目な農家が手を抜かない農法で育て上げ、しかも他地域の米と混合していないものを取り寄せ、昔ながらの羽釜で、仕上げに藁をくべて心持ち硬めに焚いたもの・・・ふん、わざと炊き上がりから時間を置いているんですね。そして、京都大原の頑固な農夫・大河原五郎さん(特にモデル無し)が無農薬で作った京野菜を、添加物を一切加えずに漬けたもの。そして茶は・・・成程、敢えて宇治玉露ではなく、狭山茶を使いましたか。玉露では旨味成分であるところのグルタミン酸が多く、味が強すぎるということですね。勿論、水は軟らかい天然水で、温度も申し分ない。」
「す、凄いわ山岡さん。ただ編集部で日がな一日和菓子ばっかり食べていた訳じゃなかったんですね。」
「栗田君、人をA御大扱いするのは止め給え。・・・まあ、そちらの手の内は味わわせてもらった。今度はこちらの番だ。さあ、京極さん(変な気分だな)。食べてみて下さい。」
京極氏は、多少訝しげに山岡側の椀を見つめていたが、茶漬けの香りに何か閃いたような表情を見せ、箸を付ける。
一口食べると、急に目を見開いて、我を忘れて音を立てて啜りだした。
「き、京極さん?」
ちりん。ちりんちりん。
その時。
涙が。
京極氏は、箸を持ったまま、湧き出す涙を拭いもせず。
「な、なんちゅう物を食わせてくれたんや。(何処の出身だか)なんちゅうものを・・・これが、これが茶漬けや。悪いが、これに較べたら海原さんの茶漬けはカスや。」
「な、何ですと!・・・莫迦な、最上の素材をふんだんに使用した茶漬けが、なぜ・・・」
雄山はやにわに色を失い、山岡の茶漬けを手に取る。
「うっ!こ、これは・・・」
雄山ばかりではない。その場にいる全員が我が目を疑った。
「この細かい切り海苔、やたらと多いあられ、そして独特の緑色。士郎、もしやこれは。」
「そうです、ここにいる皆さん、一度は目にしたことがあるはず。そう、永○園のお茶漬け海苔、ですよ。」
「うわははははッ!ちなみに僕は、乾き物が苦手だから、このあられはちょっといただけないのだ!」
「む、無謀すぎるよ山岡。・・・でも、どうして京極さんはこっちを選んだんだろう・・・」
「関口君、いいかい。」
「この世には、不思議なことなど何もないのだよ。」
ちりん。
風鈴など、掛かっていないのに。
風も吹いてはいないのに、さっきから消えない鈴の鳴る音。
「戯けたことを!大体これは、茶すらかけておらぬ、湯をかけただけの代物ではないか!莫迦莫迦しい、これではまるで、横着な欠食児童ではないか!」
雄山が激昂する。
「そこまでいうなら、京極さんのテーブルを見てもらいましょう。」
山岡の言葉に従い、皆が京極氏の前を覗き込む。そして、声を失った。
「うわはははッ!!そうか、これか!神たる僕ですら不可能だった偉業!」
「そうです、この”東海道五十三次カード”、そして更に流通数の少ない”世界の名画カード”の全揃を集めるため、一週間が必要だったのですよ。知り合いの古道具屋にも協力を仰ぎましたがね。」
黒づくめの新聞記者は、そう言って全員の方を振り返る。
「このカードの完全収集こそ、当時のちょっと渋い趣味の子供の憧れ。しかし乍ら、一般の家庭で50個も100個もお茶漬け海苔を購入するのは一寸考え難い。それほどお茶漬けをたべるなら、インスタントなぞ買わず、通常の方法で茶漬けを作るでしょうし。
先程、欠食児童と言ったが、まさにその通り。
茶漬けやふりかけ御飯は、夕刻に共稼ぎの母親の帰りを待つ、高度成長期の子供達が小腹を満たした、まごうことなき追憶の食べ物。同様の物に”バター醤油御飯”などもある。まして、コンプリートしたカードを愛でながらの茶漬けは、京極さん自らも忘れかけていた夢の味なのです。
貴方は、素材にばかり心を砕き、人の心の琴線を動かすことを考えていなかった。」
「くぅ。しかしこれで終わったわけでは・・・」
ちりん。ちりんちりんちりんちりちり。
気になっていた鈴の音が、続けて鳴り出した。
妙に神経を刺激され、関口は耳を傾け、出所を探そうとする。
音源はじきにそれと知れた。
しかしまさか。
「うっ、うわあああああ!!」
「ん〜、何時聞いても、関口先生の悲鳴は天下一品さネ。」
「そ、そんなことはいいけど、・・・山岡、鈴が、鈴が・・・海原さんの中から聞こえる!」
場の空気が凍り付き、全員が一斉に雄山に注目する。
「はははッ、見ロ見ロ見て見ロ、面白いぞ!このおっさんの頸のミミズ腫れ、よく見ると動いていル!こんな物はそうそう見れないぞ!!」
「ひーーーー!!」
富井はふと真顔になって、
「あんた・・・昨晩何を食った!」
「ふふふ、お前達には想像もつくまい」
「か、考えたくもありません!」
ゆう子が耐えられず目をつむり、耳を塞ぐ。
ちりちりちりちり。
腹からの音は鳴り止まない。
「おう親爺、取り込み悪いが邪魔するぜ。」
「中松警部!」
「なんだ、山岡の旦那。関口先生も一緒かい。なんだなんだ、色々揃ってやがんなあ。」
便宜上、知己という設定の、麻布署(笑)の中松警部が店に入ってきた。
「まあいいや、おい海原雄山、ワシントン条約違反その他で逮捕するぜ。」
中松は、ずんずん入って来たかと思うと、早速雄山に手錠をかけた。
「おい豆腐!このおっさんが何をやらかしたんだ!」
「ん?・・・俺もあまり語りたくないんだがな、こいつ、並みの美食じゃ飽きたらず、天然記念物の(以下100字略)、それだけならまだいいが、中国では(以下120字削除)、果てはオーストラリアまで行って、(以下80字削除)の躍り食いよ。国際問題になっちまってるからな。」
「旦那、その男にはすでに色々なんか湧いてるようだよ。」
「そうかい、念のために医者を連れてきて良かったかもな。」
「は〜い、監察医のS村だよ。うんハイ、この人ね。ああ、この音。噛まないで飲んじゃったんだね。ん?生きてないよ流石に。ただ、胃のぜん動に合わせて動くんだね。あ、頸。ハイハイ。いるね。これは、一匹見つかったら、50匹くらいいる虫なんだよね。もともと、人間には付くはずの無い虫なんだけど、ははは、事情が事情だから。で、脳に卵を・・・」
「やめてくれ〜!頼むから細かく説明しないでくれ〜!!」
あまりの異常な展開に、関口がマッハの速さで彼岸入りする。
「まあ、そんなわけでこいつは連れていく。邪魔したな。」
警部は、そそくさと去っていった。
そんな訳で、無事海原雄山を打破した山岡一同だったが。
あれからというもの、関口は鈴の音に異様に怯えるようになってしまい、当初の目的は果たせたんだか何だか分からないが、これが縁で東西新聞は京極氏の連載を掲載する事が出来ることになったという。
ばたん。
「全く、京極先生にも困ったもんさネ。イヤね、京極先生の原稿遅いは毎度のこと(そんな作家ばっかりだな)、今度は本物のふりかけ御飯を食べない事にはリアルな作品が書けないと、そう仰いますのサ。」
「くけーっ、ははははッ!!何とかして見せろ山岡ッ!」
「・・・仕方が無いなあ、京極先生も卑怯というものだよ。じゃあ荒川さん、待古庵さんに連絡してくれ給え、エイトマンのシール全揃いを・・・高く付くだろうな。副部長、経費で落として下さいよ。」
ちりん。
なるはずのない風鈴の音が、したような気がした。
(了)