偽京極小説
月芽児の斧(みかづきのおの)
拝新月 新月を拝む
拝月出堂前 月を拝んで堂前に出づ
暗魄深籠桂 暗魄深く桂を籠め
虚弓未引弦 虚弓いまだ弦を引かず
(訳)
新月を拝む。広間の前で。月宮の桂は未だ光を放たぬ暗い部分に包まれている。弓のような月はまだ半月ほどにも満ちていない。
<「全唐詩」 張夫人・作「拝新月」より>
月の障りがありますから。
そう言って、雪絵は昨晩、夫を拒んだ。
夫は慌てて口ごもり、そうだった、済まないとだけしどろもどろに詫び、蒲団を被ったのだった。何分昏くて見えはしなかったが、多分耳まで真っ赤に染まっていたに違いない。
日暮れ前の妙な暑気が、忘れようとしている不快を掻き回す。
昨日、「月の障り」と言った時の、自分の顔。
夫に見られたとも思えないが、一体どんな顔をしていたのだろう。
また今月も来てしまった。つまり、望みが叶わなかったことへの落胆が、表情や声に出ていなかっただろうか?
そして何より、「子供」という言葉に過敏に反応する夫に、重圧感を与えなかっただろうか?
どうして。どうしてあの人は。
怖いの?
それを言うなら、本当は自分だって怖いのだ。
どうして怖い?
しくり。また下腹が痛む。冷や汗。
私は、どうして此処にいるのだろう。時々、分からなくなる。
夕刻になっても、暮れない日。汗が滲む。
止そう。いけない。
体調が当たり前でないから、仕方がない。
雪絵は、自分にそう言い聞かせた。
「京極堂が僕を呼び出すなんて、一体どういう風の吹き回しだい。」
「用なんかないよ。」
いつも通り、客を出迎えるでもなく、中禅寺は座敷の中から答えた。読みかけの本から、視線を逸らしさえしない。
「何だい、そりゃ。何時もみたいな僕への苛めですら無いのかい。」
「その通り。この澱んだ暑さの中で、日がな一日、君みたいな鬱陶しい男と差し向かいなんて、雪絵さんが可哀想だと思ってね。」
「鬱陶しいって……結局、言ってくれるよ、君は。」
とは受け答えしてみたものの、確かに自分は相当に鬱陶しい夫だと思う。仕事と称して閉じこもり、たまに話せば不機嫌だったり、煩がったり。中禅寺や榎木津の言うとおり、何時愛想を尽かされても不思議ではない。いつも、ふと思うのだ。
どうして雪絵は、此処にいてくれるのだろう。
どうして自分は、此処にいられるのだろう。
「ほら、すぐにそうやって考え込んで、あっちに行ってしまうじゃないか。だから鬱陶しいと言うのだよ。大方、食事中ですらそんな感じなのじゃないか。」
「ひ、人の家庭を勘ぐらないでくれよ。」
家庭?
自分は、雪絵の支えに相応しい男だろうか?
対等なパートナーでいられないなら、「家族」と言えるのか?………
「まあ、そんな訳で、フラストレエションの素である君を隔離しておいてだね、千鶴子をそっちにやったのさ。……いけなかったかい?」
「いけないも何も、すっかりお膳立てしたんなら仕方無いだろう。好きにしてくれよ。」
不機嫌そうに言い捨てながら、内心関口は、中禅寺の配剤を有り難く思っていた。食事の買い物以外、外出も少ない雪絵。それに、世間一般では、月の障りの時は塞ぎがちになるものだというし、大の友人である中禅寺夫人と気楽に語るのはいいことだろう。そう思った。
「実を言うと僕も、女同士で気晴らしでもさせようと考えたのさ。それに、愛でるにはいい月だ。」
「月?」
まだ時間が早く、辛うじて薄い茜が差し始めただけの空を仰ぎ、関口が不審そうな顔をする。
「この間新月になったばっかりだぜ、京極堂。今日だってせいぜい三日月……。」
それを聞き、中禅寺は、それでもいつもよりは幾分柔らかい表情で、待っていたとばかりに片眉を上げた。
「関口君、実に君は……”物書きの物知らず”で片付けるには、どうにも無知蒙昧な輩なんだねえ。いいかい、月見といえば満月……というのは、唐代くらいから始まった風習で、比較的新しいのだよ。それまでは”新月”……此処で言うものは、天文的な新月ではなく、所謂”蛾眉”、つまり三日月を指すのであって、”拝新月(新月ヲ拝ム)”という題の漢詩は、あちこちに散見される。僕が個人的に興味深いのは、女流の詩人や、文人の夫人達が作った詩も比較的多く残っているということだ。その他、歌妓達が歌った、いわば歌謡曲としても記録に残っている。」
「……月と女性か。一寸生々しい話題じゃないかい?」
ふと昨晩のやり取りを思い出し、関口は無意識のうちに籠もった口調になる。
「まあ、そういう言い方もあるが、その発想は俗に過ぎるというものだろう。言うまでもなく、月は豊穣と生命循環のシムボルで、世界各地で女神信仰と月信仰は結びつけられていることを思い起こせば自然だろう。
それに、この拝新月で願を掛けるのは、子孫繁栄もあるが、”いつまでも容色を美しく”というものが多いようだ。尤も、その月自体が変化を明示していて、それを知った上での事らしいがね。
一つ言えるのは、女性だけで月を愛でて楽しむ、というのが、籠の鳥だった彼女らにとって、何よりの気晴らしだったということさ。」
籠の鳥。
関口は、中国人作家の小説で知った「纏足」という風習を思い出し、少し寒気が走った。
籠の鳥、か。
「……なんて、あの人が言うものだから、鳥口さんから此処まで送っていただいたのよ。」
「そうだったの。こんなに暑い中、歩いてきたのかと思って吃驚しましたわ。」
雪絵は、微笑んで千鶴子を迎えた。
友人のつぶらな瞳と逢うのは考えたら随分久しぶりで、何より先に安堵を覚えた。
「本当の月見とは、こういう日にやるのだよ、とか言って。ほら雪絵さん、蕨餅を作ってきたから、一緒に食べましょう。」
日が落ちたせいか、隣家で打ち水をしたせいか、雪絵の肌は漸く涼しさを感じ始めていた。
「まあ下戸は下戸同士、千鶴子が作って置いてくれた蕨餅でもどうだい。」
「うん、夏には有り難いな。」
「千鶴子の実家で作る奴は、こう、柔らかい感じの物なのだよ。涼しげだろう。」
硝子の皿の上には、男性の親指の腹程の大きさをした、白く半透明な蕨餅が盛られていて、それに中禅寺が黒蜜と黄粉を存分に掛ける。
「黄粉を掛けたから、榎さんには食えないだろうな、これは。」
どうでもいいことを言いながら、関口は黒文字に刺した蕨餅を、落とさないように気を付けながら口に運ぶ。美味い、と正直な感想を漏らした。
まあ、良い出来だ、と中禅寺も呟いて間食を進める。今日の茶は冷えた麦茶、流石に出涸らしではない。
麦茶のコップ外側に着いた水滴が、ランタイの茶托を濡らす。空には、薄い光で、細身の上弦の月。何となく茶の替わりもせがめないまま、関口が、話しにくそうに口を開く。
「その……あの、だな、京極堂……君も、妻帯者だから聞くんだが……。」
「何だい、こんな時にまで緊張して。せっかく涼しくなりかけたのに、暑苦しい男だよ君も。」
「京極堂……君、子供って欲しいかい?」
唐突な問いに、流石の中禅寺も、片眉さえ上げられずに関口の顔を見た。
「そうですねえ。私は、”産んであげてもいいかしら”とは、思っているのよ。」
関口邸にて、同じ質問を受けた千鶴子は、少しだけ言葉を選んだ後、そう言った。
「そうでなくて、結婚などするものかしら?」
「そうね。」
意外にあっけらかんとした答えを得て、雪絵はそう答えるしかなかった。
しくしく。下腹がまた痛む。
少女の頃、こんなもの早く無くなればいいとしか思わなかった。
まさか、訪れて落胆するようになるとは、思わなかった。
私は。
「私は、望んでいるのだけれど。」
雪絵の口から、これまで夫の前では押さえ続けていた言葉が、自然に漏れる。
月影が、何時しか冷たく冴え、細い上弦は、更に天の高みを射ようとしている。
「でも、タツさんは……そう、話をするだけで機嫌を損ねてしまうんです。あの人は……。」
本当は、泣きたかった。
涙は、何故か出ない。これも、月の不調の所為なのか、雪絵は分からない。
「何だ、そんな事で悩んでいるのかい。……君が悩もうと落ち込もうと構わないが、その事で雪絵さんを泣かせているんじゃないだろうね。ふん、どうせ君のことだ、怖いんだろう。」
「……怖い……?」
「いやいやいや、君の如き愚鈍な人間を再生産するのが忍びないというのなら、まず真っ当な感じ方とは言うべきだろうが。……ああ関口君、黄粉を零すのだけは勘弁してくれよ、要するに君は、雪絵さんが妻の姿のまま”母親”になるのが怖い、自分が父親になるのも怖い、子供も怖い、家長になるのも怖い……で、この間の一件もあって、妊娠だの出産だのが兎に角怖い。そう言う事じゃないのかい。他のことはともかくとしても、”妻が母になるのが怖い”というのは、あんまり子供じみていて戴けないと思うが。」
「そ、そんな風に決めつけるなよ、京極堂。」
しかしその後に言葉を繋げられず、また関口は黙った。自分に対しても上手に言語化出来ない感情を、立て板に水で分析されて、頭の中が混乱している。しかもどの指摘も、毎度のことだが一々心に突き刺さって来るのだ。
「いいかい関口君、そう言う恐怖なら、誰しも多少は持っているのじゃないか?」
意外な京極堂の発言に、驚いて顔を上げる。
「まして女性は……おっと、これは雪絵さんが子供を望んでいる、と仮定しての話だが、雪絵さん自身だって、出産なんて怖いだろうさ。しかし、それとは別の……、そう、女性として、プリミティブな部分で、子供が産めないのかもしれないと考えるのも怖いことじゃないだろうか。勿論、戦前とは違って、家族の果たす機能が子孫繁栄のみじゃないというのは分かっているよ。いわば、一種の生き物であることの潜在意識の中に、そういう部分があるのだと、僕は思うがね。…男の口からこう言うのも、全く可笑しな話ではあるが。」
と一気に喋って中禅寺は麦茶の最後の一口を啜り。
「つまり、鈍い君が悩むようなことは、雪絵さんはその何倍も悩んでいるのだから、少しは労ってやり給え、ということだよ。どうせ君のことだ、飯を食っても風呂を立てて貰っても、礼の一言もないんだろう。」
そうかもしれない。
いつだって、静かにしろ、話しかけるな、部屋に入るな----そんな言葉しか掛けていなかった。どんな時でも家中(自室は除く)を小綺麗にし、三食を拵え、自身も見綺麗にしている、出来た妻なのに。
もしかしたら、それが怖かったのかも知れない。最初から。
どうして、こんな女性が自分と一緒にいてくれるのだろう。
いつまで、一緒にいてくれるのだろう。
なんだ。
そうだったのだ。
最初からその気持ちがあったから。
その気持ちがあればこそ。
「少しは反省したかい?」
中禅寺が、さして楽しくもなさそうな口調で言う。
自分の麦茶も無くなったのに、そういうことにはとことん気が付かないこの友人は、関口に新しい麦茶を注いでやろうという気配も無い。
「ああ、そうだな。君の言うとおりだ。」
と、関口はわざと生返事で言葉を返し、
「ところで京極堂、君もそう言うことは”怖い”と感じる所があるのかい?」
「何だい、その嬉しそうな顔は。まあ、世の中には純粋に子供好きな男も多いから、一概には言えないよ。……時に関口君、君は”月の中には何がいる”と聞かされてきた。」
「また、そう言うことを言わせて僕を莫迦にするつもりなんだろう……ええと、まず兎が餅ついてるだろう?……あと確か、蛙っていうのもあるらしい……だっけか。」
「君にしてはまあまあかな。日本で言い慣わされているのは、中国の伝説・神話が素になっているんだが、まず兎。あれは元々、餅ではなく不老不死の薬を作っているイメージなんだね。蛙というのは性格にはヒキガエル、これも不老不死の仙薬を飲んでしまったために蛙にされてしまった常蛾という女性。またある民族では、月の命の水を天秤で運ぶ女の姿とも言われていて、変若水(おちみず)を例に挙げるまでもなく、不老不死伝説と月は深く結びついているのだな。これはさっきも言ったとおりだが、また、こんな伝説もある。」
と、中禅寺は後ろから薄目の漢籍を取り出して、頁を繰った。
「これは、広西の壮族(チュワン)に伝わる伝説だが、そこでは、月の模様は”斧”なのさ。」
「斧?」
「そう。ある所に裕福な男がいて、周りの人間は皆自分に従うのに、末の娘だけがまともな判断力を持っていて、自分の言うことを聞かない。で、娘を苦しめようと、わざと貧しい男と結婚させるんだ。しかしその男が実直で才覚もあり、娘は裕福になる。で、父親はまた我慢できず、末娘の旦那を殺してしまうんだ。」
「……ひどいなあ、そこまでやるか。」
「まあそう言う話だから仕方がない。で、娘はあるきっかけで、大きな桂の木の葉を与えれば、死んだ生き物が蘇るのを発見し、旦那を無事生き返らせることが出来た。」
「また不老不死が絡むのか。」
「そうだ。それを知った父親は躍起になって桂の木を切り倒そうとするんだが、そのまま月に取り込まれてしまって、だから今でも月面には桂の木と、斧をふるう男が見える……とまあ、そう言う話なのさ。」
「へええ。どの辺が桂で、斧なんだろう。」
「それは、次の満月にでも確かめて見るんだね。…この話では、父は単なる悪役だけれども、こじつけて考えれば、人間は”不老不死”に憧れながら、その一方で”ずっと死なない””永遠に続く”ということを恐れている、とも言えるんじゃないだろうか。」
そうかもしれない。
眉の月は、ただただ冴え冴えと輝く。「望月の隈無き」とよく言うが、模様を見せない細い月の方が、ずっと影なく光っているように思える。
「ところで京極堂、さっきの質問の答えがまだじゃないか。君は、子供は欲しいのかい?」
「きっと、関口先生は、雪絵さんが”お母さん”になるのが淋しいのよ。」
「そう・・・なのかしら?」
「そうですよ。私達の伴侶さまは、どういう訳かそういう所が子供なんです。そう思うでしょう?」
「……そう……思っていいのかしら?」
「だから、ねえ。可愛らしいじゃないですか、二人とも。そういう、大きな子供さんを毎日扱っているんですもの、当分子供なんて考えられないわ。授かったら別ですけどね。そう考えましょうよ、雪絵さん。」
授かる。
よく使われる言い方だが、急に気が楽になったような気がした。
子は「天から授かるのではない」と知った少女の頃の衝撃。
しかし今では、やはりその言い方が相応しい、と思える。
子供は授かりものなのよ、雪ちゃん。
そう言っていた母に、知らず知らずのうちに近づいていた。成長していた。 何だか、嬉しくなった。
そうなのね。
月を仰いで、雪絵が明るく呟く。
「そうそう、この間いただいた玉露、水出しにしてみましょうか。……あら、でも時間がかかりすぎるかしら?」
「いいじゃないの雪絵さん。実はうちの人に”泊まりになるかも”って言ってきたもの。」
そして千鶴子は、この女だけの”拝月”という風習では、隣にいる人にも小さい声で願い事を言い、願をかけるのだ、と説明した。
「あら、じゃあ千鶴子さんは、なんて願をかけるんです?」
「だから、聞かれたら願掛けにならないじゃないですか。」
そう言いあって、二人は少女のように笑った。
「へええ、良いことを聞いたなあ。京極堂、まさか君が、子供のことに関して、そんな風に考えていたなんて……いやあ、騙されて目眩坂を登ってきた甲斐があったというものだ。」
「関口君、急に調子に乗ったり落ち込んだり、忙しい男だな。言っておくが、この話を誰かに喋ったら……無論、千鶴子にも敦子にも、雪絵さんにもだぞ。僕の総力を挙げて呪いをかけてやるからな。まして榎さんや旦那なんかに話してみろ……」
「分かってる、分かってるよ京極堂。とりあえず、口止め料に麦茶なんか戴けるかなあ?」
どうして一緒にいるのだろう。
どうして一緒にいられるのだろう。
不可思議ながら、この地に月があるごとく。
不可思議ながら、この惑星を、たった一つの衛星が巡るがごとく。
----この世には、不思議なことなど----
<了>
*参考文献*
・「月と橋」吉田隆英(平凡社選書158)
・「河童駒引考」石田英一郎(岩波文庫)
・「世界の神話伝説総解説」(自由国民社)
<へびあし>
あああああ。やっぱり修行が足りなかったです〜。
書いてるうちに色々個人的な感情とか交じっちゃって、半年後くらいには恥ずかしくて読めなくなってるんではないでしょうか・・・
京極堂が京極堂らしくないしなあ。あああああ。
ちなみに、最後の関口君の問いに京極堂がどう答えたか?はヒミツです。
他の方々の偽京極読んで、やっぱり上手いなあ、うへえ状態でございます。