宇宙酔い、という程ではないが、心なしか胃が痛む。
二日に一度のコーンウォール行き定期便は、あと30分程で目的地に到着しようとしていた。その距離はおよそ5万3000光年。
つまり数日前にターミナルで見たその主星の輝きは5万3000年前の光ということだ。分かっていても、どうにも妙な気分がする。このような星間航行や、人類の惑星進出を可能にしたのが、準時空間ホールの発見と理論の実用化であった。…という事だけは、宇宙時代の人間の常識として、ラルも知ってはいる。
簡単に言えば、宇宙空間の特定の地点を最短距離の空間で繋ぐ抜け道のような物がいくつも存在しており、それを利用した移動法なのだが、学校に行ったことのないラルが知っているのは、その程度だ。
もっとも、宇宙物理学として、理論面では未確立の部分も多いし、未発見のホールもまだまだあるらしい。つまり、理論が現実に遅れをとるという珍しい状況なのであり、「実はよく分かっていない物」なのだ。
穿った見方をすれば、科学発展により宇宙に出た人類と、実は未知の物を使いこなすにはまだ未熟な人類…その両方を象徴している、とも言える。更に同様に考えると、大局的な平和の中で、絶えることのない小さな争乱もまた、それらを象徴しているだろう。
ともあれ、今日も自分を含めた多くの人間が、この”実はよく分からない方法”によって宇宙を旅している。そう思うと滑稽ささえ覚え、ラルの不快感も少しは紛れたような気がした。 到着して二時間後には新兵のテストがある、とエッカーマンが言ったので、食欲はなかったが、機内食を全部平らげた。
惑星コーンウォールは、特別な星である。そして、その惑星を舞台に行われている内戦もまた、特別な戦争だった。
現在、地球人類が入植している惑星(と言っても、さほど多くはない。)の多くは、幾分地球と似た環境であったり、あまり似つかない惑星をドーム加工して、住めるようにした物である。その為、地球人本来の環境に近づけるために、重力や気候を調節している星が殆どなのだ。
しかし、僅かではあるが、天然に地球に似ている大気・地盤組成を持つ惑星が存在する。その中で一番早く発見されたのが、惑星コーンウォールだ。
その”環境的第二の地球”には、多くの遺物や文物、名著の類が持ち込まれ、前時代の遺産を継承し、継承し保存するという役割が与えられた。そして、月ほどしかない小さな惑星には、前時代の建築物や遺構、遺跡までが、その原型や素材を極力正確に模して作られた。更に、バイオテクノロジーによって”再現”された植物や動物も、多くの種がこの地に根付き、星全体が巨大な一個の”地球博物館”の様相を呈していた。
となれば、星そのものが観光資源である。
もともとこの星のうち、人間のために割かれたスペースはわずか3%弱にすぎない。当然あまり多くもない人々は各々観光地産業の利益にあやかり、生活水準も首都圏の中の上と言える程に潤っていた。
この戦争の発端は、その豊かすぎる観光資源の利権にある。
二年前に、この惑星の首都であるコーンウォール市とウェールズ市(「市」とはいっても、自治体の形態としては「国」と同義である。)が、境界と所有権をめぐって始めた諍いが、口火となった。
その後、選挙を控えた議員の対立等によって煽られ、双方和解にはこぎ着けられずに、内戦勃発に至ったのが一年前のことだった。
とはいえ、軍隊とは言っても、両市の軍隊は吹奏楽隊として定評があった程度で、戦闘力は低かった。その連中だけで競り合っている分には何と言うこともなかったが、両軍はメインの戦力として傭兵を投入した。それが、誰もが”近々裁判でケリが付く筈”と思っていた状況を激化させた。
何しろ両軍とも資金だけは豊富なものだから、引っ込むチャンスが難しいのである。
ここまでの事は、TVやニュースでラルも知っている。
多くの報道において、この「人類の遺産を巡る、遺産の惑星での闘い」は”コーンウォール戦役”と呼ばれ、雅な言い方を好む人々からは”レガシィ戦役”とも称されていた。
「ジェイク!」
コーンウォールのターミナルで入港手続きを済ませて歩き出すと、エッカーマンの名を呼びつつ駆け寄ってくる男がいた。
「出迎えとは珍しく親切だな、桜井。」
「作戦会議の関係で、テストスパーが早まったんだ、だから…」
と、桜井と呼ばれた男は、軽く辺りを見回した。
「ところで、お前が連れてきたっていう”お客さん”は…?」
「何言ってんだ、此処にいるじゃないか。」
エッカーマンは、その男の目の前にラルを突き出して、ラルに言った。
「ほら、あいさつくらいしておきなさい。近く上官になる人ですよ。」
「おっ……女ぁ?!」
桜井は、渋めで端正な表情を見事に崩して、素っ頓狂な声を上げた。そして、ラルの姿をしげしげと眺めている。
いでたちこそ、ブルゾンにストレートのジーンズというラフな格好で、きりっとした顔つきだが、藍の綿生地が張り付いている見事な脚線と腰のくびれ、胸のラインはまぎれもなく女性のそれだ。それに加えて、ガンメタルブロンドの長髪と美しい顔立ちが、嫌でも目を引きつける。とても戦争をしに来た人間には思えない。
第一、年の頃ときたら、どう見ても二十歳か、それ以下だ。
「あ…どうも。ラル・クラインです。」
あまり見つめられているので、ラルも多少物怖じしながら答えた。
「ああ…俺は桜井鉄也、少佐だ。一応、第一方面隊隊長をやってる。」
まだ我に返っていない風の桜井は、年齢は30代位だろうか。目や髪は重い黒で、東洋人風だが、東アジア人にしては、はっきりした顔立ちだ。独特の名前からして日本人だろう。それに、名の前に姓を名乗るのは、日本人か中国人、それにコリアンくらいのものだ。
「ジェイク!お前熱でも出したんじゃないのか?」
「え?何がだ?」
「お前が言ってた”逸材”ってのは、あの娘なのか?」
「そうだが…」
「俺を笑かす為に遊んでるんじゃないだろうな?」
「公費使ってまでそんな事はしないよ。」
二人の三十男は、ラルを放り出して、そんな事を言い合っている。
--女が戦争って、そんなに突飛な事なんだろうか。
女性兵士なんて、前時代だっていたのに、等と思いながら、ラルは横目でエッカーマンと桜井を見ていた。
(まあ、正規軍と傭兵は違うか。)
そんな事を考えて、一つため息をついた。どっちにしろ、あの桜井という隊長には気に入られていないらしい。
----ともあれこれが、ラルと桜井の出逢いだった。
ターミナル周辺は、干渉地域になっていて安全である。そこからベースキャンプへの道を、三人はオールドファッションな”車”に乗っていく。
オールドファッションド・カーというのは、つまりガソリンを入れて四つの車輪で走る”CAR”を指している。何故現在標準的に用いられている”ライナー”を使わないのか、と言えば、道に敷設する走行用のラインが、コーンウォールの美観を損ねるものとして原則的に禁止されている所為である。
もっともこの車にしてもレプリカで、昔のものほど排気が出ないように設計されている。
「これ、デルタですよね。ランチア・デルタ・インテグラーレ。」
急に車の話を始めたラルに、運転席の桜井が少し驚いて答えた。
「ああ。…お前、車好きなのか。」
「好きなだけ、ですよ。高くて買えたもんじゃないですしね。…実物見たのは始めてだな、デルタ。」
「俺個人の車だ。安い中古だが…まあ、タフな車だから、こういう場ではなかなかいい。」
と言ってから、桜井はつい喋りすぎた、という顔をして、言葉を切った。
「一応聞いておくか。年は?」
「十七です、少佐。」
「…まだ入隊もしてないのに階級で呼ぶな。銃は使えるか?」
「撃ち方は知ってます。何度か撃ちました。」
「何使ってる。」
「ルガーP.08を。」
「ほう。若いくせに趣味が古いんだな。」
「趣味が合いそうだろ?」
「…ジェイク、そんな事はどうでもいい。」
口を挟むエッカーマンを窘めつつ、桜井が質問を続けた。
「使える武術は?」
「ボクシングはそこそこ習いましたけど…あと関節とか蹴りとか…は、自己流です。」
「そうか…いや、話が前後した。何故傭兵に志願し…いや、どうして、ジェイクに付いて此処まで来た?」
「何でなんでしょう…何だか向いてそうな気がした、ような…」
「…いい加減だな。…金の為って訳でもなさそうだが。親は反対しなかったのか?」
「そんなもん、いませんから。」
「…そうか、すまん。」
「いいですよ、生まれたときからですから、平気です。」
「まあいい。とにかく、面接はスパーでパスしてからだ。」
「そうですね、ミスター桜井。」
「…可愛くないな、お前。」
と言ってから、彼は一際真顔になった。
「俺としては、隊に女が入るのは反対だ。…扱いも面倒だし、男どもも浮かれるしな。」
「…はあ、分かるような気もします。」
「だが、もし…もし、お前が早めに戦力になりそうなら、男同様にしごくから、覚悟しておけ。そもそも傭兵は、即戦力を入れる方が、一から鍛えるより安上がりだから雇われるんだ。」
言葉が切れると、小綺麗だが愛想のない建物が見えてきた。あれが基地だ、とは一言も言わず、桜井は
「ただ、本当に…俺は歓迎しないがな。」
とだけ、呟くように言った。
「じゃ、四時からスパー開始。それまでにメディカルチェックを済ませておけ。」
指示だけすると、桜井はとっとと車を降りて、基地に入っていった。
「…ふう、歓迎されてないらしいんですけど、私。」
桜井の背中が遠ざかるのを見計らって、ラルはため息をついた。
「上司の覚えがアレじゃ、不採用決定ですかね。」
「ははっ、そんな事はないですよ。」
ラルの真顔を見て、エッカーマンが陽気に笑った。いつの間にか、口調が元に戻っている。
「確かにあの人は女嫌いの気がありますがね、人の能力はそれとして評価する男です。…私は、貴方と桜井はあいそうだと思って、この話をしたんですから。
「合いそう?嘘でしょう!…思いっきり嫌われてましたよ。」
「そりゃあ、どうですかね。ともあれ、テストは頑張って下さいよ。」
兵舎まで案内すると、あとの指示は中の者に仰ぐように、と言って、エッカーマンは管理棟の方へと戻っていった。
自分が注目されているのは、敷地内に入ったときから分かっていた。殊に兵舎に入った時の、一斉のざわめきで、桜井が女の入隊を嫌う理由が少し理解できたような気がした。
好奇心で一杯のくせに、誰が一番先に話しかけるか、妙に牽制しているような雰囲気でもあった。
「あの…すいません、志願者なんですけど…」
と、メディカルチェックの場所を聞くより早く、手が軽くなった。
脇からすっと出てきた一人の男が、ベルボーイ宜しくラルの荷物を持ち上げつつ話しかけてきたのだ。
「やあ今日は。君、もしかしてテスト受けに来たの?」
「は、はい…」
「へーえ、本当に?君みたいに綺麗な子がねえ。ま、がんばって受かって欲しいな、俺達の為にもね。」
「あの…」
「おいこら、てめえ、ズルいぞ、マルク!」
誰かからそう怒鳴られた”マルク”なる男は、憎めない、人なつこい顔つきだったが、口振りはもっと馴れ馴れしかった。
「あ、俺、マルク・エルドゥ・マスグレイブ准尉、24歳。よろしく。」
「…どうも、ラル・クラインといいます。」
「あーっ!一人だけ手なんか握りやがって、この卑怯者!」
と言って、玄関付近にいた連中が続々群がってきて、ラルの出鼻も流石に砕かれた。
「へえ、まだ十七歳なんだ?」
「やっぱり強いわけ?エッカーマンが連れてきたって事は…」
「え?あの…マルク、准尉?」
「マルクでいいって。スパーの試験官、俺がやってあげようか?大丈夫、絶対落とさないから。」
「それはちょっと危険ですね。ダメです。」
不意に人垣の後ろから澄んだ声がして、口々のざわめきが急に止んだ。
「皆さんも、あと五分でブリーフィングなんですから。新人の方を怯えさせないで、所定の場所に行って下さい。」
てきぱきと指示した青年は、どうやら階級はマルクよりも上のようであった。垣間見えた容貌は意外なほど上品で、およそ傭兵の無骨なイメージからは遠かった。口調も穏やかだった。
「この人達が脅かしてしまって、申し訳ありません。私はホセ・エスカージ少尉。一応桜井さんの副長を務めさせてもらってます。」
「よろしく。」
「何か変なこと言われませんでしたか。この人は、うちの隊でも一番下品な人なもので、すみません。」
「…そういうこと、本人の目の前で言うか、フツー。」
「マスグレイブ准尉!銃弾補充の申告がまだですね。早く総務に言って下さいよ。」
「はいはい、分かったよ。じゃあな、ラルちゃん、後でな!」
ホセ少尉とラルの二人を残して、マルクらはそれぞれに散っていった。
「ふー、仕方ないですね、みんな浮かれてしまって…あ、チェックですね、こちらの医務室にどうぞ。」
いつの間にかマルクからパスされたラルの荷物を持って、ホセが歩き出した。
「そう言えば、うちの隊長に会いました?」
「ええ、迎えに来て貰いました。…女と見たら不機嫌になってましたけどね。」
「そういう人なんですよ。でもそれじゃ、マルクとのギャップが激しかったでしょう?」
「…何だか、少尉は”傭兵”って感じがしませんね。」
「そうですか?…んーでも、実際、兵隊っていうものは色々な人が集まってるもので。特に傭兵は多士済々ですからね。逆に”いかにも”って人の方が少ないんじゃないのかな。」
「あたしはまた、皆桜井さんみたいにムッとしてるのかと思いました。」
「皆あれでは…ちょっとね。」
と言って、ホセは気さくに笑った。
医務室に入ろうとして、数秒ラルは迷った。
--果たして、目の前で甲斐甲斐しく仕事している190cm余りの、ナースウェアに堂々たる体躯を来ている人物は、男だろうか女だろうか?
常識的な感覚では、所謂”男の体に女の心を持って生まれてきてしまった人”に見えるが、世の中は広い。これがただの”大きな女性”だとすれば、えらく失礼なことになる。
「あ〜?あんた、例の女の子ね?」
その口調は女の物だったが、声は男だった。ああ、前者か。と、ラルは思った。しかしよく手入れされた髪と整った顔立ちの”彼女”は、かなり見られる方だった。
「話は聞いてるわ。看護婦のヒルダ・バートンです。よろしく。」
「どうも。志願者のラル・クラインです。」
「それはそうと、今、ホセがいなかった?」
「は?…ああ、エスカージ少尉ですか。ここまで送ってきてくれたんですけど、ブリーフィングに行っちゃいましたよ。」
「もう!此処まで来たんなら顔くらい出してくれればいいのに!」
どうやらヒルダは、ホセに痛くご執心らしい。
「あっ!…ところであんた!」
「はい?」
「ホセにちょっかい出したりしてないでしょうね?」
「はあぁ?」
一瞬呆気にとられたものの、ラルはその矛先をさらりとかわしてみせた。嫉妬に巻き込まれたのではたまったものではない。
「出してませんよ。大体あたしは男の人に別に興味ないんですから。」
「え!!…あたしはダメよ、ノーマルなんだから!」
「……………レズでもないです。」
と言って、ラルは嘆息した。
何を以て「ノーマル」というのか、皆目分からなかった。
「じゃ、ジーンズはそのままでいいから、上着脱いで。下着も着てていいよ。」
ヒルダに言われるままに、ぴったりしたタンクトップ姿になると、ラルのバランスの良い線が露わになった。
長い手足が気持ちよさそうに伸び、背中はよく鍛えられてぱんと張っている。加えて、やはり鍛えた大胸筋が、形のいいバストを高い位置で支えている。引き締まっているのに、決して余計な筋肉が付きすぎていない。女性の要素の成長を一通り完了してはいるが、まだ少女以前の雰囲気が残っている。そんな数々の矛盾を内包できるのは、十七歳の肉体にのみ許された、傲慢な特権だった。
身体検査と簡単な健康診断をしながら、ヒルダはつい羨望の視線を送ってしまう。と同時に、これだけの美を備えた少女が敢えて闘いに向かおうというのが、実に不可解だった。
軽い怒りさえ感じたが、そこは彼女も傭兵部隊の一員だ。余計な詮索はしない。
「あんたさあ、ちょっとくらい若いからって、ホセに手ぇ出そうなんて…」
「分かってます分かってます。お姉様の邪魔なんてしませんって。」
「ホント〜?でも、いいとは思うでしょ、彼のこと。」
「まあ、人当たりは良さそうな人でしたね、隊長と違って。」
「あらあんた、桜井さんにも会ったんだ。--あの人はあの人でいいのよねえ、ワイルドで。」
「そうですかあ〜?あたしは初っぱなから嫌われてるんで、どーでもいいですけど。」
「うーん、あの人ホラ、女嫌いだから。でもそこがたまんないんだってば。子供にはまだ分からないかしらねぇ。」
「はあ…」
立て続けに代わった人々に出くわして、何だか覚悟の調子が狂った。
実際、もっと空気の張りつめた場所かと思ったのだが、皆が家で寝転がっているような、リラックスしたムードがある。内戦の事実を知らない人の目には、楽しそうにさえ写るだろう。
しゃべり続ける、人の良い長身オカマを適当にあしらいながら、ラルは指にバンテージを巻き始めた。
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