第二部 遺産都市

第三章 ザ・ライトスタッフ(3)

 
 それは正に早業だった。
 扉にグレネードランチャーを打ち込み、そのまま蹴り開けて突入する。所詮事務所だから、破壊の配慮は(あまり)必要ないし、弁償額も安く済むのは分かっている。
 その突入の際、一瞬ではあるが、ラルは自分が隊の流れに、判断に付いて行けていないという感覚を覚えた。何をしても常に背中を押されている感覚である。
 それは当然のことだった。全てが初めての中で、身体が「指示待ち」になってしまうのは、事が闘いでなくても無理からぬ事であろう。
 それでも懸命に、見えない短い流れに乗るため、彼女は突撃した。

 ”長いのを持った奴がいる”と、さっき言っていた。
 ----居た。
 左側の、開いた窓際にいる男。
 比較的軽装に見える。
 首の部分を、衣服が覆っている。あそこか。
 既に乱闘になっている兵を、時に殴りつけながら流れに紛れ、距離を詰める。
 狙った相手の死角から、正対しないように3ステップ、走って、懐に飛び込む。
と同時に、相手のライフルの銃身を、自分の右腋に挟み込み、動きを封じている。
 銃口よりも自分側に寄られては、火器も意味を為さなくなった。
 教えられたことがどうか、ラルは覚えていない。
 ただ、咄嗟の判断だった。
「!!」
 相手が一瞬怯んだように見えたのは、ラルの電光の身のこなしの為か、それとも、その敵が女だと気づいたからなのか。
 その反応には構わず、左足で相手の足を踏みつけ、銃身を挟み込んだまま身体を捻って、ライフルを奪う。
 側頭部を二回、身体の回転を効かせて殴りつけた。三回目で倒れた相手を抑え付けるように乗りかかり、正対する。
 正対して、また一瞬の逡巡。
 今、手の中には三つの武器がある。
 ナイフ(ケブラーカッター)、自分のルガー、そして今奪ったライフル。
 間合い、状況、戦力差、事後処理。
 本来なら、これらを考え会わせて適切な武器を選ぶ--が、そうさせる経験が、まだ彼女にはなかった。
 敵が着ているケブラースーツは、襟が低い。--首。さっき其処に注目していたではないか。
 瞬時に、頸動脈の位置と、露出している首の部分とを確認する。スーツの上からでは、カッターが効いても致命傷にはなり得ない。選択すると同時に、ベストギアの左胸のハーネスに、上向きに収納していたナイフを、すらっと取り出す。
 そのまま刃を返さず、頸に当て、力を込め、身体全体の勢いで、引く。刹那、熱い鮮血が吹き出し、ラルの肩にかかった。
 刃は、動脈を引き当てていた。
 その瞬間、敵スナイパーは渾身の力で起きあがり、そのままラルに体当たりして、彼女の身体を頭から床に倒した。
 今は体勢の上下は逆転し、武器を持たぬスナイパーの両手指が、ラルの細い首をしっかりと締め上げていた。
 脈動に合わせて噴き出し、垂れてくる鮮血が、力を入れれば入れた分だけ量をまして押し出され、顔と言わず胸と言わず、ラルを赤黒く、熱く染めた。
 動脈を切断すれば、数十秒を数えずに死に至る。しかし、十数秒は生きている。その事を失念していた。
 血糊が眼界を遮る。自分の血が、頭の方に逆流してくるのが分かる。こめかみが軋み、鼻の奥が匂いにならない匂いを感じた。相手の形相など、目を開いていても見えはしない。
 実はラルの優勢に代わりはないのだが、”この男は刺しても死なない”という無意識に支配され、ラルはナイフを遠くへ投げ捨てた。そして、実は最初から自由だった右手を、右外腿のホルスターに伸ばす。
 焦る右の手の平が、数回、叩くようにローズウッドのグリップを探り、漸く掴み、抜いた。
 そこから先、訓練された右手は迷わなかった。
 照星とスナイパーの鼻梁を一点に捕らえ、トグルは三回跳ねた。
 音--音は覚えていない。
 砕けた脳漿や頭髪、その他器官であった物--で、最早赤とは別の色になった血だまりが、ラルの上半身に降り注いだ。目を閉じることが出来ないまま、頭部の砕けた視界かは大きく揺らいだ。
 名の分からぬ同軍の兵士から身を起こされ、初めて室内の状況を見渡すことが出来た。
 --管理室の制圧は、既に終わっていた。
 それなりに時間がかかったのか、それとも手際よく進んだのか。それすら、認識することが出来なかった。
「--ああ、大丈夫みたいですね。」
と、ホセに声をかけられて漸く、硬直した喉から掠れた声が出た。
「何とか--です。」
「あと10秒待っていればよかったんですね。そうすれば……」
そんなに血やら何やらをかぶらずに済んだ、そう言いたいのだろう。
 冷静に見れば、彼女は単に「既に死の定まった敵兵」に無駄弾をばらまいたに過ぎない。たとえ無呼吸であっても、女性でも2分位は軽く耐えられるものなのだ。
 学習はした。が、生々しさの分だけ、特に感慨はなかった。
 立ち上がった瞬間、血の味の中に、短い毛の異物感が交じっていた。
 思わず唾を吐いた。

 座席を汚さないよう、シートを敷いた上に座った。
 移送車輌の中で喋る相手とて特にはなく、ラルは二十分ほど微睡んだ。
 ふと目を覚ますと、風景は見覚えのあるものに変わっていた。ベースキャンプが近い。
「そう言えば桜井さんたちはどうなったんです?」
眠気の交じる間抜けな声で、尋ねてみる。それにはホセが応えた。
「完了はしました。--痛み分けって事らしいです。」
「……桜井さんや、マルクは?」
「桜井さんたち、生きてますよ。」
”は”に力がこもった台詞で、本当に痛み分けの……喜ばしくない戦果なのだということが伝わってくる。
「----”奴”か。」
 誰かが、呟いた。

 移送車から降りたラルに、視線が集中していた。
 仕方のないことだ、とラル本人も思う。
 初陣帰りが、こんなに血塗れになっている。それが自分の血ではないというのも、それはそれで間抜けな話なのだ。
 --皆、そういう目だった。
 恥じ入るような心持ちにはなったが、指揮官に帰還の報告をしないわけにも行かず、同隊の連中と共に、桜井の所に行ったのである。
「----ひどいもんだ。」
開口一番、一瞥をくれて、仏頂面の指揮官はそう言った。それは多分、ラルの手際を指したものに違いない。
「風呂入ったら、医務室行って、検疫受けろよ。」
「は?検疫?」
「お前なあ、血液感染する病気は色々あるんだ。--相手が肝炎だったら、お前もう手遅れだぞ。」
 --ましてや、負った手傷からの感染もあり得る。桜井はそう言いたかったのだろう。後の話は夕食後のミーティングですることとなり、ラルはとにかくヒルダの所に行かされた。
 シャワーを浴びる。
 乾いた血糊は強く擦れば落ちたが、髪の毛には閉口した。帽子の下で乱れていた上に、原型をあまり追求したくない異物がこびりつき、毛髪数本が妙に絡まって、固まってしまっていた。
 足下に流れる湯から色がなくなるまで洗っても、髪の方はすっきりしない。それをほどく作業に没頭しているうちに、気分がいよいよ淡々としてくるのが分かった。
 何だか気味が悪い。そう思った。
 医務室では、慣れた手つきでヒルダが検査をしてくれた。モニターや、何やら数枚の試験紙を見て、心配無用のお墨付きをもらった。
「あんたもねえ、たかが数秒我慢できないからこーいう事になんのよ。他に傷ない?」
「--え?ああ……」
 言われて初めて、自分の手足をしげしげと眺めてみた。彼(女)と話すうち、緊張がほぐれていくのが分かった。
 緊張--していたのだな。
 初めてそう感じた。
「撃たれたところは打ち身になったけどね、おおむね大丈夫みたいだ。」
「まーったく、素人なんだから。反省しなさい反省。」
「…全くだ。--そう、今度は、ホセの足を引っ張らないようにするよ。」
漸く幽かな笑みを取り戻してそう言うと、ヒルダも微笑んだ。
 そうしてもらわないと困るわよ、と彼女は言った。

 しかし、流石にものを食う心境にはなれなかった。別に嘔吐感はないが、おかしな膨満感のみが喉元まである。それに、食うよりもまず寝たかった。
 それが許されなかったのは、桜井から「食堂にて」という呼び出しがかかったせいだった。
 脱ぎかけたジーンズを渋々履き直して、食堂の入り口で敬礼し、桜井の席に行って再度敬礼した。
「--よう。夕飯食ったか。」
と桜井が訊く。面倒なので「食べた」と言おうかとも思った。しかしそんな些細な嘘でも、彼には看破されそうな気がして、結局本当のことを答えた。
「そうか。--じゃあ食え、俺の奢りだ。」
 そう言うと、白い皿に乗った、赤身のステーキを目の前に置いた。予め用意されていたのだ。量こそさほど多くもないが、肉の色と皿の様子から、レアに焼かれたものだと分かる。平常時なら食欲を刺激するはずの香りも色も、今のラルにはただ不快だ。
「--は?何ですかこれは。」
「だから、俺のおごりだ。いいから食え。----メシ、まだだろ?」
「いや……なんか、疲れ過ぎて……。飯は、いいです。」
「いいです、じゃねえ。甘ったれるな。」
短い言葉で、桜井が一喝する。
「食える時に物も食えなくて、何が傭兵だ。入り口以前の問題だろ、それは。」
 手の平に、僅かに汗が滲む。疲労で朦朧とした頭に、それでも意地を振り絞り、ラルは桜井を見返し、言った。
「……これは、訓練ですか。」
「そうだ、訓練だ。残さないで食え。」
「了解しました。」
凛とした口調で、平素の表情を取り戻そうとして、牛肉にナイフを入れる。肉汁が出た。特に感じることはない。
 そのまま口に持っていく。咀嚼する。
 口腔が遺物を受け入れたその瞬間。--何故か先刻の、数本口に入ってしまった、死人の毛髪の感触が、舌に、歯茎に、口の粘膜に再現され--
 食道も胃も、べこッとへこんだような感覚。全身が、記憶で、肉片を拒絶する。
 吐き出す、というより、吹き出してしまいそうになる。
「出すな。食えよ。」
 冷たく桜井が言い放つ。
 桜井が見ている。他の連中も見ている。
 だから、口元を押さえ、こめかみに力を入れて--なんとか飲み下した。全ての器官が、今は食物を単なる「異物」としてしか認識していないのが、よく分かった。
 「桜井さん!何か違わねえか、こういうやり方はよ。」
堪りかねて、マルクが怒鳴った。
「……何が違う。」
「これは酷すぎるじゃないんですか!いくら何でも、前時代的すぎるぜ!」
「ほう、傭兵ってのは、いつからそんなに新感覚の仕事になったよ。」
桜井は、いつにも増して冷たい眼光で、マルクの抗議を切って捨てた。
「口出しするな、マルク。--言っとくが、お前に食わす肉はないぞ。」
 そんなやり取りを余所にラルは何とか150g位のところ迄、嚥下し終えていた。味など感じられるはずもない、只只苦しい作業に過ぎなかった。汗をかいた。この状況では、どの道食いきる他にはないのだ。桜井がそう言うのだから。
 奇妙な敵愾心だけがあった。例え自室に戻って、誰が見ていなくても、吐いたら負けだと思った。それで手を進めることが出来た。
 鼻から一息吹いて、顔を上げ、桜井を睨み付けて一言、
「桜井さん、ビールも飲んでいいですか!」
「おう、おっかねえ顔だな。……まあ、いいだろ。」
 部下にビールを持ってこさせるように指図し、桜井は姿勢を変えず、口元だけで笑った。
「……そういえば、お前は未成年か。」
という言葉には答えず、ビールの刺激で、今は嫌味な旨味を、喉の奥に流し込んだ。口の中の皮が火傷して剥けてしまっても構わず、遂に肉を全部嚥下しきった時には、何とか嘔吐感は誤魔化されていた。
 目が血走ってしまっているのが、自分でも分かる。タオルで口元を押さえながら、そのまま立ち上がる。
「----これで、文句ないでしょう。」
「ああ。ない。」
「ビール、ご馳走様でした!」
上顎の火傷を気にしながら、彼らの方を振り向かず、食堂を後にした。
 

 歯の間に挟まった肉片の繊維が、矢鱈に気になる。張っていた気が抜けたせいか、歩く度にこみ上げる膨満感を耐えつつ、足を進めていく。
 部屋に行きたい。寝たい。吐きはしない。吐いたら負けだ。
 その長い廊下で偶然、ユリアに会った。
「あ、どうも……」
と一応の挨拶をするより先に、凄い形相になった彼女から、平手で頬を打ち下ろされた。
「………は?」
 余りの唐突さに、頬を押さえることさえ出来ず、間抜けな顔でユリアを見返す。
 疲れる日だ。
「あなたねえ、私の話の、一体何を聞いてた訳?!」
ユリアは、只々居丈高に怒鳴りつけた。
「汚すな壊すな、と言ったでしょう!--今回は遺産物件でなかったからまだいいようなものだけれど……それでも、あなたの火葬代なんかより、修復費用の方がずっと高額なのよ!」
とまくし立て、桜井さんもこんな部下で迷惑しているでしょうに、と締めくくった。所々甲高くなる話し方が、妙に神経に障った。
 さっきの肉も、これも、洗礼なのか。そうも思った。
 不愉快なだけで、ステーキの一件に較べれば何ということもない。ただ、鬱陶しく、さっさと彼女の前から逃れたくて、ラルは素直に謝った。
「……分かりました、済みません。以後気をつけます。」
そうも謙虚に出られては、ユリアもそれ以上弾劾できなかった。以後気をつけなさい、とだけ言って、食堂の方に歩いていく。何か消化不良の表情だった。何をしたかったのかよく分からない。

 そのまま、今度こそベッドに潜って仮眠にありついた。
 結局、吐かなかった。
 漠然と、小さな何かを為した。そんな気がした。