第二部 遺産都市

第三章 ザ・ライトスタッフ(2)

 
 移動用の特殊車両の微震動の中で、軽く目を閉じる。イメージしてみる。
 腰の辺りを冷たくイメージして、玉のように落として行く。バレエのパを取るときのように、体中の関節を外向きに意識する。
 特に理由はないが、いつものペースになりたかった。
 脳にふっと風が吹き、そのままかすかな息吹となって、唇を通る。
 それが1セット終わる様子を、ホセは見守っていた。精神集中するラルの体からは、冷たいオーラが出ているように見えた。
「落ち着いてますね。」
「…え?……いや、そんな事、ないです。」
現実に引き戻され、慌ててラルが答えた。
「いやいや、良いことです。そういう風に、自分のどこかが冷えている感じでないと。ホントにエキサイトしてる人は、ダメです。そういう人は、”二回目”にはもういないんだ。」
と真顔になったのを、またふっと和らげる。
「その…基本を忘れなければ大丈夫。ホント大丈夫ですから。桜井さんを信じて下さい。」
 返事する前に、車両が近場の林に止まった。
「じゃ、ここから行軍します。手順は指示通りに。」
 ホセはいきなり指揮官の顔になって、通る声で指示を飛ばした。

 車輌をシートでカムフラージュした後、数名を残して、オフェンス本体はタージ・マハル方面へと移動する。
 こうして実際に動いてみると装備品の重量がよく分かる。ピンポイントの短時間戦闘(と予測される)なので、野営道具を持たずに済んでいるから随分楽なはずなのだが、ベスト装備のコンバットギアが4kg、ルガーが1kg、SMGで5kgと予備マガジンを装備し、上体を低く保って走るのは、案外と肩に応えた。肩のところには疲労軽減のためのジェルパッドが入っているのだが、それでも重い。
 平然とした顔をしてみても、周りの人間は皆自分より重い装備品を持ちながら、軽く走っていくのを見ると、素直に感心せざるを得なかった。
 時間は午後6時。晩春の空が青く暮れ始めていた。
 門扉までのところでは、さしたるトラップも銃撃もなかった。
「…でも、敵の先発隊がいないって事はないですよね。」
ラルはごく小声で、ホセに耳打ちする。
「当然。うちがこれだけ情報持ってるんですから、あっちにも当然漏れてるでしょう。--出方待ちしてるなあ、完全に。」
 それが自然だった。外から中へは重火器を使えず、中からはほぼフリーに撃てる。たとえ数の上で劣っても、建造物の中にいる方が圧倒的に有利なのだ。
「…でも、少し待ちすぎだな。」
と呟き、両翼に展開させた側面隊に、ホセが指示を投げる。
「パターンC発動。二十秒後に突入、以上。」
 その一言で、三隊から同時に、本廟周囲の堀へ手榴弾が投げ込まれ、派手な音と共に、水の壁が10mもの高さで、白く突き上がった。一瞬、堀の中の水が全て飛び上がり、底を曝したように見える。
 堀の水が拙なの豪雨となって打ち付ける中を、三チームが一斉に突入した。地表に叩きつけられた水が、耳をつんざく音を立て、また跳ね上がる。その音のドサクサに紛れて、三隊の殆どのメンバーが門を突破していた。地を駆けるブーツの音と、SMGの轟音が激しく交錯する中を、指示通り後について、ラルが駆け抜ける。先陣の撃ち漏らした敵を倒す…新兵としては妥当な任務だ。
 ずっとSMGを持ったままで走る。重さを感じる余裕は、もうなかった。フォーメーションは自然と逆V字になり、ラルはその中で守られている形となる。優秀な盾の後ろにいられるので、思ったよりもやることがない。撃とうとしたときには前方には誰もいなくなっている…と思った瞬間、怒鳴られた。
「馬鹿、後ろっ!!」
「!」
 敵が怯むほど素早く身を返し、トリガーを引く。セミオートに設定しておいたSMGの銃口から三発ずつの弾丸が三回、発射された。
 軽い着弾音。胴体に当たり、防弾された音だ。それでも当てられた方が蹲ったのは、かなりの弾数がヒットしたのだろう。
 一瞬の静止を突いて、前屈みの頭部に照星を合わせる。
 嘗てなく照門と照星が大きく見えた。
 形容できない、聞こえないはずの音が聞こえた。
 ヒット。
 鮮血が後方に吹き飛び、三段階で上体がのけぞり、頭部は視界から消えた。その崩壊の様子は目には止まらなかった。何かが頭皮ごと吹き飛び、地に落ちた。
 初めての殺人に目をそらす余裕もなく、脇から出てきた新手の二人に銃口を向け変える。
 今度は、無駄弾は少なくて済んだ。倒れて動かなくなった。死んだかまでは確認できなかったが、様子で判断し、ラルが前方へ叫ぶ。
「こっ…後方クリア!!」
声が、自分のものとは思えないほどかすれていた。
「何やってんだ、早く来い!」
 先程危機を知らせてくれた隊員の声がした。
 気が付けば、前方の隊員とは既に100m近くもの差をあけられていた。
 9mmヘヴィー・ロード弾の予想外の威力、そして初めての殺人に戦慄する余裕など、与えられるはずもなかった。サポートとしての後方掃射。それは作戦参加を認められた以上、”出来て当たり前”の事なのだから。
 ラルはそのまま、時折後方を振り返って確認しながら、全速で走って追いついた。その瞬間、目前30m程の地面が着弾で弾け、
「うっ!!」
そのまま地走りに、敵の弾丸が足下を掃いた。
 一瞬のうちに硝煙が立ちこめ、マシンガンの在郷が耳を揺るがした。
 耳から鮮血を吹き出し、「盾」の一人が倒れた。弾自体はラルのスーツでも防げる程度のものだが、頭部に直撃を食らってはひとたまりもない。
 その、動かなくなった隊員を砕いて排除するかのように、二回目の掃射。
「く…」
 頭部をかばったラルの左腕で、弾が一発止まった。骨折しなかったのは自分でも分かったが、重い衝撃が腰まで貫き、一瞬握力を失い、SMGを取り落とす。が、すぐ右手一本で拾い上げ、壁沿いの死角に身を隠す。倒れた隊員の体を引き込んでやる余裕は、とてもなかった。
 不意に、一人の隊員から肩を掴まれた。さっき声をかけてくれた男である。名は確かベルガーといった。
「おい。」
こんな事の直後でも、冷静な態度だった。ラルのSMGを指さすと一言、
「リロード。」
「あっ…」
慌てて空マガジンを排出し、交換する。チャンバーには、一発も残っていなかった。そのまま空マガジンをベスト内に収めた。
 凄い、と思った。素直に感心した。
 普段見る限り、彼はさほど卓出した傭兵とも思えなかったが、実戦の場面ではこうだ。あの状況下で、他人の銃の残弾数までチェックしていた。無意識のうちにやっているのだから大したものだ。
 「沈着冷静」は、何も桜井だけの芸ではないのだ。それがなければ、一分一秒を傭兵として生きていくことは出来ないのだろう。
「…上からの攻撃、ですね。」
マシンガンのボルトを開放して、ラルが自分の肩越しに右前方を見上げる。チームの人数は、いつの間にか六人になっていた。
「随分大胆だな。敷石だってタダじゃないのに。」
「…マイスターを信用しきってんだろ。」
とベルガーは言って、もう一度辺りを窺った。
「あそこの管理棟が監視オペセンになってるな。」
「管理棟ですか?」
ラルが、指し示された建物を見て言った。
「あれ…造りが一緒だから、タージ・マハルの一部かと思った。」
「見取り図も頭に入れてねえのか、バカ。--まあ、材質同じだから、貴重には違いないがな。」
 今度は、左方の別チームが掃射を浴びる音が轟いた。
「マガジン幾つある?」
まだ7つ、とラルが答えると、「よし、制圧するぞ。」
と、彼は事も無げに言った。
「は?…って、六人で、ですか。」
「理論的には十分可能だ。--投げる方もあんだろ。」
「まあ、まだそっちは使ってないんで…副長の指示は?」
「一々五月蝿いやつだな。監視塔がありゃ、黙ってたって制圧すんだよ。」
その時、六人の持つ通信機が、一斉に震えた。入信を告げるバイブレーションだ。出ろ、と言われて、ラルがスイッチを入れる。
「そっち、何人残ってる?」
「ホセ!」
「挨拶はいい。」
傍受に対しプロテクトをかけた回線だがm二分も話していれば間違いなく網に引っかかり、筒抜けになってしまう。いつもより手短に喋るホセの語気も厳しくなっていた。
「六人。」
「こっちは四人。裏に回り込んでる。手伝え。」
用件だけ告げて、通信は切れた。
 「よし、行くぜ。お前は真ん中に付け。」
現在位置から管理棟に行くには、路地状になっている所を二回右折する必要がある。
「教科書通りに付いてこい。」
とだけ言って、先陣を切るベルガーの動きは、実に無駄がない。無防備な敵を遠隔攻撃できるチャンスがあっても、あえて別働隊に任せておき、撃たない。今為すべき任務以外には目もくれない、というのも、別チームに対する信頼があればこそ、なのだろう。その上で彼は、手近に死体があればマガジンや手榴弾を素早く抜き取り、攻撃の手段にする。そんな余裕がラルには当然なく、「教科書通り」に、決して道を斜めに渡らず、壁に張り付いての移動方法を守って足を運んだ。
 接近してみると、監視塔の周囲200mには障壁物がなく、所々に植え込みはあるが、戦略的に(壊してはまずい、という意味合いも含め)「盾」になる建造物もないので、上からの射撃には全く無防備であった。
「どうする、副長?」
ベルガーが通信でお伺いを立てる。
『裏口、見えてるな?』
「ああ。」
『十秒後に入れるようになる。裏から突っ込む。…じゃ、オペレーション(作戦展開)。』
とホセの指示の後、十秒。何が起こるか分からないまま待機しているとまた、敷地に突入したときと同じように、
ドバン!!
と周囲に響かせて、外堀の水がまた派手に舞い上がった。先程はグレネードを投げ入れたのだが、今度のは、どうやら前もって爆発物を仕掛けてあったらしい。爆発物の専門家であるホセの、本領発揮である。
 「グズグズすんな!行くぞ、オートで!」
ベルガーに促され、SMGのセレクタをフルオートにしながら、騒ぎに乗じ、全力で裏口へ駆け抜ける。管理棟100m手前の地点で、ホセ隊と合流する。


 裏口の扉を前にし、どうする、と聞かれる前に、
「抜くぞ、少し下がれ!」
と言うが早いか、ホセは弾丸を換え、フルオートのMP5A3で、門扉と電子ロックのユニットを吹き飛ばした。その部分は特に遺産価値のないチタン製のものなので、後の面倒は考えず破壊してしまえる。
「バック!サポート!」
指示を飛ばしながら、ホセは排夾したマガジンを、たった今開けた大穴から放り込んでやった。それを合図に、他のメンバーが戸口のラインを避ける感じで回り込む。
 数秒、内側からマシンガンの一連射。戸口にいた敵(の生き残り)が、投げ入れられたマガジンに反応して撃ったものだろう。
 サポートの一人が、三つ指を立ててラルたちに示し、手榴弾のピンを抜く。一秒後、他の二人が頷き、やはりピンを抜く。
 中にいる人数を、弾丸の量と軌跡から類推し、攻撃を掛ける。手榴弾は三個投擲…というアイコンタクトなのだが、その判断力と反応速度に、ラルはとても付いていけなかった。
 基本通りに三秒数えてから、性格に中に投げ込み、全員しっかりと身をかがめ、耳を塞ぐ。
 激しい破裂音。爆風。内にこもり切れずに吹き出す熱風。間近でグレネードの猛威を目にするのは初めてだった。
 突入では、ファースト・アタックの火力がものを言う。サポートメンバーが投げた青いマーキングの手榴弾は、金属片を多めに入れて、対人殺傷力を高めたものだった。また、炸裂力はさほどではないが、発熱量を高めに設定してあるため、屋内での火力は絶大なものである。
 ホセとベルガーが、素早く何発か様子見の発砲をし、反撃がないのを確かめると、自分たちに続くように合図を出す。
「おうし、一気に行くぞ。」
「トラップは特にないようだが、無闇に周りと死体に触るな。他の場所から敵が来るから、三人残って応戦。絶対突破されるな!」
と指示を出し、上へ行こうとするホセに、ラルは反射的に叫んでいた。
「あたしも、フォワードで行きます!」
「----よし、焦らないで!」
逡巡する気配もなく、ホセは意外にあっさりOKした。
「あまり前に出なくていい。攪乱させて下さい。」
「了解!」
といって、足を非常階段にかけた瞬間。
 習ったことが頭をよぎったか、生来の勘が働いたのか、--鋭い殺気を感じた刹那、足と体を1mほど引き、SMGの銃口を階段の隙間に突っ込み、そのまま一連射した。
…同時にその隙間の家宝から、あらぬ方向に三発ほど9mmパラベラムが飛び、遅れて血が噴き出す。
 駄目押しで二、三発打ち込んでみたが、今度は完全に沈黙したようで、反応はなかった。
 屋内戦で伏兵を置くのに効果的なのは、一つは非常階段の下。それが嘗て座学で学んだことだった。理屈ではなかった。
 打ち込んだ弾が下の方でも跳ね回り、弾痕で階段の右側が大きく破損した。その部分は、通常の資材で容易に修復可能なスチール製である。
「おいおい、上れる程度にしとけよ。」
ベルガーは”できて当然”の機転について特に誉めるでもなく、ラルの後ろについてしんがりをつとめ、駆け登った。ラルはそれに応えず、今度は落ち着いてリロードをした。

 二階に登る。二人いた敵兵をホセが倒すと、あとは廊下は静まり返った。
 管理室のドアが固く閉まっている。しかし、中では明らかに迎撃体勢で待ち構えているであろう、異様な雰囲気に満ちていた。
 足跡の様子を一瞥して、ホセが言う。
「四,五人。数は大した事はない、それに…扉自体にもトラップはないだろう。」
「そういうもんですか。」
「靴跡の種類がそのくらい。それに何度もここを使って往復している。跡が乾いてない。」
「成る程。」
 自分たちが使う出入り口ならば、複雑なトラップは仕掛けない。まして、敵にとっても準備時間が十分だった訳ではないのだ。
「…と思わせてトラップかもしれないけど。」
 と、ホセはさりげなく付け加えた。あらゆる状況で、言葉と動作を通じ、誰もが自分に”教えて”くれる。しかも「女だから 」ではなく「新兵だから」。それがラルには有り難かった。
 「…とにかく、破ろう。」
ホセは素早く、バックアップの火器分担とフォワードの指示をする。
「--ラルさんは…」
「あ、はいっ」
「中に”長いの”を持ってるのがいるので、そっちの方をお願いします。こっちも使いながら。」
右腰の、ルガーのホルスターを示して言う。彼が言う「長いの」とは、狙撃手のスナイパーライフルを意味した言葉だ。
「じゃ、行きます。」
ラルはつとめて平坦に応答した。