第二部 遺産都市

第三章 ザ・ライトスタッフ(1)

 
 「じゃ、両面作戦ってことですか?」
作戦の説明が一通り終わってから、マルクが確認した。
「そういうことだ。本作戦の最終目的は、タージ・マハル付近の補給線を叩くことにある。そこを落とすのをオフェンスとして…」
 桜井が、手に持ったポインターをスイッチすると、大画面のディスプレイが切り替わった。コンピューターのデータを、空気中の水分を利用して投影するシステムのものである。
「そのオフェンス隊のダミーとして、先行してデリー郊外で敵の本体と交戦、足止めする”ディフェンス”隊を設定する。フォワード、バックス(支援)の割合は通常通りとする。」
「ちょっと待って下さいよ、そのバランスで二部隊じゃ、スタッフが足んないじゃないですか。」
 いつも軽薄好色が服を着て歩いているような男だが、マルクも仕事場では真剣である。ラルは小さな感動すら覚えた。
「無理矢理薄いチーム作って、二面とも突破されたら目も当てられませんぜ。」
「だから、その為に補充を増やしたんだ。--新規メンバーも…まあ何とか、使えるとこまで持ってきたしな。…で、これがチームごとのメンバーとなる。」
 もう一度画面が切り替わる。画面上で拡大して、編成メンバーのポジションと氏名がゆっくりスクロールした。
 ラルの所属はオフェンスチーム、指揮官はホセとなっている。当然ながら、担当はフォワードだ。桜井はディフェンスで指揮を執り、マルクはじめメインのフォワード陣は、殆どディフェンスに配属されている。
 「オフェンスチームは、比較的少人数で行きます。敵の兵力の配置も多くないので、問題はさほどないでしょう。」
ホセがオフェンスリーダーとして、歯切れのいい口調でプラン説明を引き継いだ。
「オフェンスの肝は、スピードです。…危険度はディフェンスチームの方が遙かに高くなりますから、電光石火で敵を陥とし、ディフェンスをサポートして下さい。長引くほど、こちらの不利となります。」
「シミュレーション済みですか?」
とある隊員が挙手、質問した。
「行いました。316のケースを想定し、成功率の平均値は56%です。」
「それは、敵方にディーヴァ・サキオン少佐の出撃があることを想定していますか?」
また別の隊員が、いささか卑屈な質問を投げかけた。
 ホセが答える代わりに、座っていた桜井が、踵を叩きつけるようにして机上に足を投げ出した。叱咤を含む大きなおとに、一瞬全員が縮み上がった。
「お前は、バカか。」
 険しさを増した仏頂面の指揮官は、思い切り”バ”にアクセントを置いて怒号を飛ばした。
「そういうビビりが、奴に”伝説”みたいなものを付けて行くんだ。それを取り込んで、あいつがまた強くなっていく。それが分からんのか。」
 ラルは、噂のディーヴァ・サキオンについて、依然として多くを知らない。けれども、桜井の言うことはよく分かる。
 風評を生むのも利用するのも地力が必要だが、それが”ある”という事実が人を威圧する。自分に有利な状況を作り出す。だから負けられなくもなる。バイエルンでのラルの存在はそれに近かったから、分かる気がする。
「奴は十中八九、うちのディフェンスとぶつかる。怖いなら降りろ。」
「…いえっ…申し訳ありません。自分が軽率でした。」
その兵士は、桜井の語気に呑まれたように返答し、着席した。この場にいる者は皆知っている。彼は慎重ではあるが、決して臆病ではないのだ。ただ、ディーヴァ・サキオンが特別すぎるだけだ。彼に対峙するには尋常でない覚悟が必要なのだ。場の雰囲気が、そう語っていた。

 「えー、では次に、本作戦に関する注意事項について説明します。--と言っても、主にオフェンスですが…」
休憩を挟んでホセが続ける。画面が、今度は白と青の、溜め息が出るほど美しい建造物の写真に切り替わった。
「部隊は、このタージ・マハル付近となります。無論ファースト・コンタクトは周辺地域ですが、『破損不可の文化財』ですから、これを盾にして、敵が内部に逃げ込む可能性が非常に高く予想されます。」
「…そりゃあそうだ、超一級の文化遺産だものな。」
「ですから、主戦場をこの敷地内に限定します。…とすると、銃火器類が制限され、9mmパラの低速弾以上は不可となりますので…」
「…っておい、勘弁してくれよ。」
オフェンス隊の一人が声を上げた。
「それじゃ、当たったって効かないだろ、頭意外さ。」
 隊員は、防弾のため、戦闘服の下にハイブリッド・ケブラースーツを着用するのが常識である。グレードは様々だが、スタンダードなものならば、そのような低出力の弾丸は無効化する。打ち身以上のダメージは、まず与えられない。
「まあ、そういうことになります。支援の方も、派手なエモノは使えないので、補助系が主になります。」
「つまり、主軸はナイフな訳だ?」
「そうです。申し訳ありませんが、グレードの高い物を提供するよう努力します。」
「ホントの白兵戦だな。」
と言って、マルクがラルの方を向いた。
「悪いな、手伝ってやれなくて。見たかったんだけどよ、ラルちゃんの初陣。…面倒臭いぜ、今回のは。」
「え?」
「場所柄が、さ。」
 と、そこに、フェアチャイルド社の社員証をつけた、プラチナブロンドの女性が入ってきて、おもむろにレクチャーを始めた。
「では、予想戦闘展開地域における厳重注意事項について説明します。まず、このタージ・マハルは…」

 フェアチャイルド保健の調査部学芸部門班のメンバーを、”マイスター”と呼ぶ。
 その名の通り、芸術品対象の損害保険について、査定・調査を行うセクションだが、その全員が優れたキュレーター(学芸員)であり、芸術品の修復に関して高い技能を持っているのが大きな特色である。その技術は専ら、物件の損害を”なかったこと”にして、支払い保険額を節約するために発揮される。あからさまな行為だが、持ち主にしても、状態が回復されれば大概文句はないわけだから、それでいいのである。
 そして、「人類遺産」と呼ばれるものにかけられた保険については、実にその95%を、業界最大手のフェアチャイルド社が請け負っている。その立て役者であるマイスターの半分が、”遺産都市”の通称を持つコーンウォールに出張していたのである。
 その派遣団の代表たる彼女--名をユリア・ヴァシレンカといった--が、説明を始めている。主任と言う肩書きに似合わず、随分と若い、スラブ系の顔立ちの女性だった。立て板に水で、タージ・マハルの説明が続いていた。大理石とかブルー・タイルという単語や、素材がいかに貴重で、修復がいかに難しいかという、釘を刺す文句が連ねられていく。
「…何か、若い人ですねえ。」
耳打ちをするラルに、マルクが小声で応えた。
「バカ、怖えんだぜ、あのお姉ちゃんは。」
「へー、あんた、女なら大概OKかと思ってたけど、違うんだ。」
「そりゃ、俺らの尻拭いしてくれる連中だけど、つまる所、保険屋のお目付役だもの。」
 そんなものかな、と思いつつ、それでもラルは彼女の話に耳を傾けた。バイエルンのスラムと、ここへ来てからの戦闘訓練しか知らなかった彼女には、初めて聞く文化遺産と歴史の講義は、実に興味深く胸に響いていた。その学生のような(実際、高校生の年齢ではあるが)横顔を見ていると、マルクにも桜井の心情が少しは分かるような気がした。

「ああ、貴方ちょっと。」
「はい?」
レクチャー終了後、不意にユリアから呼び止められ、ラルは立ち止まった。
「お話ししておきたい事があるのだけれど、構わないかしら?」
はい、と答えるより早く、ユリアはヒールを響かせて歩み寄り、ラルの目の前で立ち止まる。見下されて、ラルは危うく身を引きそうになった。
 背が高い。ヒールを差し引いても、ラルより4cmは高い。170cm近い上背の彼女が同性から見下ろされるのは初めてのことだった。何故か不快だった。
 その一瞬の反応には気づかず、ユリアが続ける。
「貴方ね、噂の女性ルーキーって。」
背丈だけでなく、話し方まで何やら威圧的だ。
「噂?」
「あ、いえ、桜井さんから聞いていたから、仕事場でも話題なのよ。…ところで、今の私の話は聞いていて?」
「はい、装備を調整して、且つ周囲を破壊しないように、ですよね。」
「----で?」
「努力します。」
「それだけ?」
 もう一段、上体だけで詰め寄り、ユリアがありったけの力でラルの手を握りしめた。ホラ来た、と思った。最初から、この慇懃なしゃべり方のどこにも好意はない。そして、彼女の新入りへの釘刺し以上の不躾な悪意は、全く謂われのないものだ。ユリアは更に、言い含めるように、上から話した。
「それだけではダメ。全然ダメ。--”絶対傷つけない”でなければ。…それに、血や内蔵も飛ばし過ぎてはいけない。血液反応が出れば価値が下がります。--勿論、貴方のもダメ。」
 美しい声だが、嫌な重みがある。同じきつい言葉でも、桜井が言うのとは全く違ういがらっぽさ--で、とどめを刺された。
「代わりは、ないの。貴方と違って。…では、善処なさって。」
と、言いたいことだけを言って、立腹する隙も与えず去っていった。--不快さよりも、ラルは妙に納得させられていた。不審なニュアンスの悪意を除けば、ユリアの言い分は実に真っ当だと思えたからだ。
 「あらら、早速イジメにあってたようで。」
ユリアが去るのを待っていたかのように、マルクが話しかけてくる。
「ま、あのキッついお姉ちゃんとも、否応なしに付き合ってかなきゃならんワケよ。俺は苦手なんだけどよ。--どう、第一印象?」
「あたしより傭兵向きなんじゃないかな。」
体格的にも、とは言わずもがなで、ユリアより背の低い二人は合わせて笑った。

 考えていても仕方がないのだが、人並みにラルも眠れぬ夜を過ごしていた。照明を点けても落としても、何となく落ち着かない。
 グレーの天井を見る。人によってはポスターを貼りまくった部屋もあるが、ラルの部屋は至ってシンプル、大きなはめ込みの電灯があるだけだ。元学校のせいもあって、バイエルンの部屋よりずっと高い天井に、いつの間にか蜘蛛の巣が張られている。
(蜘蛛の巣、か…)
 そういえば、初めて蜘蛛を見たのは、ここに来てからのことだ。バイエルンには生息していなかった。それだけコーンウォールの環境が、虫や微生物に至るまで徹底的に”原”地球に近づけられているという証拠なのだろう。
 不衛生と言えばそうだが、これもひとつの”生”の結晶と思えば、美しく見えてこないこともない。特に手を出さなくても、気がつけば誰が掃除したわけではないのに破れているのが常だった。
 そうやって、見るでも見ないでもなく仰向けになっていると、二日ぶりの定期便が来て、一気に現実に引き戻される。音を立てずにドアが開けられるのに合わせて、あまり掃除には使っていないモップを握り込んだ。
 ドアの隙間から廊下の光が滑り込んでくれば、後に続いてくるのは、もう決まっている。
「ラルちゃ〜ん、起き…」
「貴様が起こしてんだろっ、このタコ野郎!!!」
マルクに悪態を投げつけながら、モップ部分で五回ほど、目にも止まらぬ突きを入れる。
「いい加減に懲りろ、毎日毎日毎日毎日最近は三日毎だけど、夜這って来やがって!!」
「…いやあ、もしかして、これやらないとラルちゃん寝付けないんじゃないかと思って。」
「”俺が”寝付けない、の間違いじゃないの。勝手に習慣化すんな!!」
 そのまま突きのラッシュで、最後には上手く捻るようにして、廊下に叩き出した。指一本、直には触れずに追い出し、そのままモップ棒を筋交いにして、扉を封印する。
 何故か、その後はスムーズに眠れた。

 いつもより早く目が覚めた。ロッカールームに行ってみると、準備開始までにはまだ時間があるのに、2/3位の出動要員が既に来ており、換装や装備品のチェックに余念がなかった。体温の熱気が漂っているのに、どこか底の方が冷えている。そういう雰囲気に、しばし呑まれる他なかった。
 「早いな。」
声をかけられて振り向くと、玉の汗を流した桜井が、裸の上半身にタオルを引っかけて立っていた。
「…おはようございます。」
湯気の立つ桜井の肩の辺りを呆然と眺めつつ挨拶したラルに
「悪いな、汗臭くて。」
「いえ別に…桜井さん、これって所定メニューですか?」
「いや。皆勝手にやってるだけだ。--特に理由はない。習慣だ。」
「え?」
「何というか…これをやらないと、尻が座らん。という気がする、だけだ。」
息を整えながら喋るので、言葉が細かくとぎれる。何となく表現しづらそうなのは、この場にいる大半のものに共通する、論理的でない感情に基づくからだろう。
「お前は、無理してやる必要もない。後でバテたら、何の意味もないからな。」
「…走ってきたんですか。」
「7kmほどな。」
答えているうちに、急速に呼吸が整っていく。汗の流れ方が何やら気持ちよさそうなのも鍛えられている証拠だろう、とラルは思った。
 「ラル。装備、揃えたか?」
「えっ?あ、ハイ。」
「官給のやつか。」
「スーツはそうです。ナイフは、マルクから貸してもらいました。」
「グレードは。」
「スーツが21、ナイフが25です。」
「そうか…薄いな。」
”薄い”と言ったのは、スーツのグレードに対してである。ナイフとスーツの数値が対応しており、グレード20のスーツは20のナイフを通さないが、21のナイフでは切られる。定期的にアップグレードが為されるため、その出費はいつも傭兵たちの頭痛の種であった。
 支給される装備品のグレードは、いつも最新のものより一回り二回り遅れており、あまりアテにもならないため、大抵は自腹を切ってグレードの高い物を買うのが歴戦者の常だった。一見経済効率が悪そうだが、結局生き残って報酬を得てしまえばペイできるのだから、惜しいものではない。通常は薄手のハイブリッド・ケブラー・スーツの上にコンバットスーツを着用し、装備品の収納を兼ねたギア・ベストを装着する。三着重ねている上半身は、普通の9mmパラベラムならば易々と貫通はしない。--が、衝撃を完全に殺せるわけでもないので、打撲は免れないが、その度合いもやはりグレードに左右される。
 原始的に見えるナイフ・コンバットが有効な理由もそこにある。グレード面で優位に立てば、確実にダメージを与えられるという利点があるからだ。
 銃は、取り回しが比較的楽で、且つ貫通力が高すぎないSMG(サブ・マシンガン)をメインで使う。(とはいえ、9mmのノーマル弾では威力が低すぎて無意味なので、着弾してから”重い”衝撃を与えることの出来る、火薬の量を多めに調整したヘヴィー・ロードの弾丸--マスター--を利用する。)
 拳銃も携帯するが、あくまでサブ使用ということと、好みに一癖ある連中が多いのに合わせて、銃種は原則自由である。SMGと互換させるため、9mmをベースにするのが普通だが、桜井のように、人体抑止力を重視して45口径を携行する隊員も意外に多い。
 「--で、ルガーでいいんでしょうか?」
ガンベルトを腰に着け、もう一本のストラップを右の腿に巻き付け、固定しながらラルが尋ねた。
「お前の場合、何で変わらんからな。--と言うか、むしろ撃つな。」
「…酷いなあ。」
「お前のが当たらないからだ。--尤も、拳銃は扱いが難しいんだが、それにしたって、”周り”をぶっ壊すだけだろ、お前の場合。10m以上離れたら、使うなよ。」
「ハイハイ、汚さず、壊さず、倒しましょう…ですよね。」
「そうだ。…はしゃいでバテるなよ、出る前から。」
 桜井は素っ気なく言って、裸の肩に上着を羽織り、出ていった。
 桜井との会話は、いつもこんな風だ。尋ねられ、答え、大抵は何か釘を刺されて終わる。その一言一言が、いつも短い。
「…桜井さんはああ言ったけど。」
「うわ!ビックリした。」
 桜井がいなくなったのを見計らって、ホセが後ろから声をかけてきた。
「悪い悪い。…いや例の、”周り”の件はさほど気にしなくていいんですよ、さほど。」
「え?…でもさっきは。」
「もちろん、あれは基本の線だけど--だから、”そうなっちゃった”時の為のマイスターってことで。直してもらえるから。」
ホセは声を少し潜めた。
「…ここだけの話。彼らは大理石なんか一から作れるんですよ、手描きで。一回見たことありますが、当にプロの技で。」
「…なるほど。」
「萎縮しないで、任務を果たして下さい。…何よりも、死なないように。」
「…ありがと、気を使ってもらって。」
「いやいやいや。本当は、桜井さんが言いたかった事ですから。」
「ホント〜?…ウソ臭いというか…副長を鵜呑みにすると、”桜井さん像”が分裂して定まらないんだけど。」
「やだな、ウソつきませんって。ま、あの人隊長ですから、少し位壊してもいい、なんて立場上言えないでしょう。だから代わりに言ってみました。」
「そっか。」
 少し気分が軽くなった、と言いたげな仕草で、ラルが一つ伸びをする。一瞬だけ、少年のような顔付きになるのを、ホセは好ましいと思った。
「そんな訳なので、万が一裁判沙汰になっても、『僕がこんな事言った』って事は口を拭って下さいね。」
「…はい。」