第二部 遺産都市

第二章 訓練開始(2)

 
 「よっ、どう?彼女やってる?」
「…マルク、いい加減にしないと、また桜井さんに怒鳴られるよ。」
「いいじゃねえか、やっぱり愛する女の勇姿は見飽きないってもんよ。」
「いつの間に愛にまで至ってたんだ?大体、そうやって練習さぼるギャラリーが増えると、立場が悪くなるのは彼女の方だろ。少しはものを考えて行動した方がいいよ。」
「あんまり堅いこと言ってると、桜井Jrって呼ぶぞ。-----で、どう?」
「見てれば分かるでしょう」
と言って、ホセもラルの動きを目で追う。当に、「水を得た魚」の例えがふさわしい。
 格闘技に十分慣れているラルの動きは、さっきまでヘバりかけていたとは思えないほど生き生きとしていた。特に得意の立ち技では、他を寄せ付ける気配さえない。打つ、蹴る、倒して極(き)める、その全ての動作の連続に無駄がない。17歳の外見を裏切るすごみがある
「カッコいいな…ところでどう?突撃班長から見て。」
「いいよ。いいけど、まーだ競技用かな、今のところ。ま、あの分なら半月しないで”軍隊流”マスターするだろ。」
 マルクはそう言って、この上なく嬉しそうな顔を向けた。
「ま、彼女は、間違いなく行く行く俺の片腕、ってことで。」
「そうかな?桜井さんは多分、彼女を将来的に支援に回すつもりでいるみたいだけど。」
 ここでいう”支援”とは、遠距離攻撃、つまりスナイパーによる狙撃や援護射撃、またそれに関連した策敵・探査作業を含めた任務を指す。最前線に実を曝す突撃隊より危険度は一見低いものの、それなりのリスクを負う仕事であり、何よりも経験と高い技能を要求される。狙撃手(スナイパー)に至っては、技量認定までに超高難度の課題を全てクリアーせねばならず、その育成に要する期間は、一般歩兵の比ではない。
 「そりゃねえだろう。俺はあの子を、はっきり言って贔屓もしてる。でも、それは効率が悪すぎるだろう。いくら筋がいいったって、マークスマン課程だけで一年以上かかるぜ。」
「まあ、僕も推測しただけですがね。ただ、彼女のあの動体視力は天賦のものですからね。支援班の層の薄さを考えると、使えるスナイパーは必要なわけだし。」
「そうか〜?あの合理性の鬼みたいな人が、そんなに気長に構えるとは思わないけどな。…それとも、あの人なりの、”女性への配慮”だってのか?」
「僕はねえ、それもあるんじゃないかって思うんだよね。----桜井さん本人に言ったらぶん殴られるけど、こんな事。」
 ふと、二人ともギャラリーから視線を下のフロアに向け、訓練を見守る。桜井が実技を交えながらレクチャーを続けるのが聞こえた。
 『…分かっていると思うが、実戦の中で立ち技が決まったり、折ったり落としたりするまで関節を極めていられる事はまずない。格闘技術は重要だが、それはあくまで”崩し”の補助手段であることを忘れないこと。有利な体勢に持ち込み、速やかにナイフか銃によってとどめを刺すこと。さて、その際に最も有効な急所とは…』
 レクチャーは更に続く。桜井は警察時代からのサンボの達人だけあって、今すぐコーチに転校しても差し支えないほど、適切な指導だった。多分、教えることに向く性分なのかもしれない。
「ほんと、あの人もつくづく貧乏性だよな。こんな事は俺がやるのによ。」
ぼやくマルクを、ホセが冷たい目で見た。
「マルクはやることが破廉恥ですから、そりゃあ任せられないでしょうよ。----訓練にかこつけて彼女に何するか分かったもんじゃ…いや、分かるからなあ。」
 それではさしずめ、桜井はラルの騎士役だろうか?我ながら妙なことを考えてしまい、ホセは危うく吹き出すところだった。

 勝手が違う。とラルは思った。
 桜井と技術の格が違うのは当然としても、全く勝手が違う。
 少ない動作で的確なダメージを与える軍隊流の格闘技術を見ていると、今まで自分が研鑽してきた技が以下に実戦向きでないかがよく分かる。無論きれいに決まればダウンは取れる。それだけの技術と経験は持っている。しかし場所は戦場、相手は傭兵だ。慣れ親しんだボクシングのスタイルではあまりに棒立ちで、トラース・キックでダウンは奪えない。今まで培った技はある程度生かした上で、技を再構築しなければならないのだ。その事を痛いほど思い知らされた。
 今、何をなすべきか。その答えは分かっていた。とにかく桜井についていくこと、食らいついて全てを吸収すること。傭兵としてこれから生きて行くなら、それがベストなのだ、と彼女の感性が告げていた。それは多分、一流のボクサーに育てられた故に、”一流”を直感する力を持っていたからだろう。そして、その感覚を持てるラルの資質も、また一流となる可能性がある。
 彼女のその心境は、桜井にも伝わっていた。それほどラルは”いい目”をしていた。そして彼も元より、自分の技を継承することを少しも惜しいとは思わない男だ。
 それでも、彼の中に、一つの大きな迷いがある。
 才能がある。筋がある。それは分かった。戦場で生きるタイプ。そうかもしれない。
 しかし、追い返すなら今しかない、という想いが先に立つ。何と言っても、まだ17歳の少女である。大人の分別として、自分の手で傭兵に仕立て上げることには、相当抵抗があった。
 厳しい上にも厳しい訓練をわざと与えて、音を上げさせる方法も、なくはない。けれども、どうも叩けば叩くほど強くなる性格に見える。となれば、逆効果だ。
 その躊躇いが、奇妙な気合いの乱れになって現れる。張りつめた感じが、ふっと緩んで、また厳しくなる。
(…何だろう?)
 肩で息をして、固まりたがる足を押して前に運びながら、ラルは桜井の”ムラ”を敏感に受け取っていた。そうした瞬間、手合わせがふと噛み合わなくなる。一致していた気合いがいびつなものになり、やりやすいのかやりにくいのかも判断できなくなる。
 だから女は嫌だ、と桜井は思う。
 他人を--特にこんな風に気遣うのは慣れていない。元々女性は苦手な彼が、自分の半分の年齢の少女を扱うこと自体に無理がある。
 その上、一般の女性に対するマナーも気配りも、人並みに意識してきたつもりだ。それをいきなり、今日から殴って投げて教え込めと言われても、相当の精神力を消費しなければ出来るものではない。その疲労は、当人にもちょっと想像もつかない。
 「うあっ!!」
 ラルの短い悲鳴で、桜井は急に我に返った。
 別に苛立ちをぶつけたわけではないのだが、無意識に彼の足がラルの軸足を綺麗に刈り上げていた。そのままラルの体が、宙で半弧を描く。
 疲れて棒になっていた足が、完全に虚をつかれた形だった。そのまま受け身も取れず、肩から床に落ちるのを、反射的に腕を引いてやり、ダメージを減らしてやった。
 バン!!
 それでも凄まじい音と共に、ラルの体は横身で叩きつけられ、脇腹と外腿をしこたま打った。そのままの体勢で、軽く、柔らかくバウンドする。
「くっ…」
数秒、身動きも呼吸も出来なかった。
「おらっ、さっさと立て!」
 桜井が、軽くラルの足の裏を蹴った。瞬間、苦痛で声も止まる。
 だが、分かる。骨も肉も筋も、まだまだ平気だ。それを自覚した瞬間、体の方が勝手に、バネを効かせて起きあがる。
 このタフネスは評価できる。そう思いつつ、桜井が呼びかけた。
「どうだ、死にそうか?」
「まさか!」
と答えたラルの瞳に、すっと光が増した。
「死なない為の訓練、でしょう?」
 上目遣いの、翡翠の目。いい目だ、とまた思った。
 一番根っこの事を理解している、そういう人間しか持てない、生きた目つきだ。
 俺だけが迷ったところで仕方がないのか。桜井は心中で苦笑した。

 周囲の人間がやけに少ないと、場所柄なんとも心許ない。
 今日の待機レベルはA、つまり3/4が出撃している状態である。もちろん訓練は自主メニューのみだ。
 ここに来て、もう90日が過ぎようとしている。ラルは知っていた。帰ってこない人間がゼロだった事は一度もない。一々悼ましんでいられないから、あまり考えないようにしているが、ともあれ戦況は把握している。
 最近は、特にフォワード(突撃班)の損傷率が高い。要であるマルクは、実は不調をおしての出撃だし、桜井もチーム編成には苦労しているようだ。今残っているのは、守備要員が僅か、あとはラルを含むルーキー連中、そして負傷兵とオフィシャルだけ、という状況であった。
「……」
 彼女は無言のままで、基本装備のサブマシンガンの整備を続けている。分解する。部品を点検し、手入れして、頭に叩き込んだ組立図の通りに組み直す。動作を確認して、分解・組立を繰り返す。いつでも正常稼働状態を維持するために、不可欠な訓練である。
 黙々とドリルを反復するうちに、手が作業を記憶していく。
 余裕が生じると、つい他の事を考えてしまう。--フォワード陣の相次ぐ損失が話題になるとき、必ず登場する男のことである。

 ディーヴァ・サキオン。少佐。敵のフォワード指揮官。凄腕。残虐。鬼神。

 非合理を嫌う者でさえ、「悪魔」「鬼神」と形容する男。
 恐怖と残忍。最高の傭兵。二つの評価が常に入り交じる。
 誰も彼の映像を見せてくれない。いずれフォワードとしてデビューする彼女が下馬評に圧倒されないように気を使っても事なのだろう。--肌は浅黒く、金髪、長身とだけ聞いたことがある。目の色は…目を合わす余裕のある者、目を合わせて生き残った者は殆どいないようで、あまり語られない。
 ベース内では、そろそろラルのデビューが話題に登り始めていた。そもそも採用即戦力が旨の傭兵業界で、訓練に90日もかけるということが異例ではある。それだけ桜井の教育プランが(方法は荒いが)慎重だと言うことでもあった。

 「あ、終わったみたいだな、ミッション。」
窓の外を眺めていた、ある待機兵が呟いた。
 彼がそう判断したのは、出撃部隊からの連絡が入ったからではない。彼と同じ方向に目をやると、事務局への渡り廊下を、剃髪して東洋風の服装をした男性が二人、重々しい雰囲気で歩いて来ている。
「ブッディストか、今日は。」
 軽い溜め息と共に、ラルが言葉を漏らした。
 最近では戦死者を弔うための聖職者の来訪か、良くても担架搬出の慌ただしさが作戦終了の合図となっていた。
 基本的に、傭兵の葬儀は希望制の別料金である。遺体引き取り契約を交わした家族があれば、そちらに遺体を送って終わりだが、契約がない場合、本人の希望があれば、宗旨に応じて簡単な葬儀がなされる。これは生前に別料金で申し込むオプションである。両方の希望がなければ、通常の焼却炉で焼かれる。
 各種族が集まる傭兵部隊だけに、葬儀の形態も多様である。その為来所する聖職者も日替わりだった。昨日はムスリム、その前はロシア正教だった。
「仏教…って、桜井さんかな?」
「まさか。」
ラルは即座に打ち消した。
「桜井さんだったら、もっとここ中大騒ぎになってるよ。」
と言ってから、新米ながらに顔を曇らせた。良くある光景とはいえ、最近はいくら何でも葬式が多すぎる。
 夕食の最中にも、やはり今日も”彼”が前線に出てきていた、と言う話がふと聞こえてきた。

 霊安室のある三階周辺には、重い気品のある香りが漂っていた。それから、かすかな煙のいがらっぽさ。中国系の娼婦に知り合いがいたラルは、それが”香”だということを知っていた。が、それはあくまで趣味の品としてであり、これが仏事に使われるということは、初めて知った。
 「おい。」
白檀の香りの廊下で、桜井から呼び止められた。見ると、流石の彼も、滲む疲労を隠せない用だった。
「明後日、作戦ミーティングだ。お前も出ろ。」
「え?」
「次のミッションで使う。フォワードだ、準備しとけ。」
 ラルは、はい、とあっさり返事した。
 桜井の表情は何とも不本意そうだった。…そう見えた。