第二部 遺産都市

第二章 訓練開始(1)

 
 会いたくない人間に限って、真っ先に会ってしまうものかもしれない。朝の7時に降りたときには、食堂にはほんの数名しかいなかった。
 昨日あれだけ疲れて、その上普段は寝穢い質の彼女がこんな時間に起き出すのは珍しいことだった。とはいえ、これからはそうも言っていられない夜討ち朝駆けの生活が始まるのだが。
「あ、おはようございます、准尉。」
一汗流してきた風情で入ってきたマルクに、ラルが挨拶する。声は溌剌としているが、目は笑っていない。それに答えるマルクの口元も、やはり引きつっていた。
「あ、いや、…おはよう。…よく眠れた?」
「ええ准尉、お陰様でもうぐっすりと。」
「…まだ怒ってる?…よなあ。」
「別に怒ってません。呆れてるんですよぉ、准尉。」
と、ラルは大きな溜め息をついた。
「私は人一倍寝起き悪い方なんで、今後はカンベンして下さいね、准尉。」
「いや、それはよく分かった。分かったから、准尉准尉呼ぶのはやめてくれないか。」
「?何でですか?」
「傭兵部隊は大概そうなんだけど、ウチのところは--特にまあ理由はないんだけどね、階級ではあんまり呼ばないんだよね。」
「特務階級だから、ですか?」
 傭兵に与えられる階級は、正規の軍と構成こそ同じだが、同系列にあるものではない。少尉ならば正式には特務少尉、伍長は特務伍長と呼ばれる。これは主に、傭兵部隊内での命令系統を確立させる機能を持つと共に、有事の際には正規軍に命令を与える権限を持たせるためのものである。
 また、所属する軍隊によって、呼ばれる階級も異なる事が少なくないため、階級で呼ばれてもピンと来ない、というのもあるのだろう。
「それもあるけど、第一ホラ、」
と、マルクが空を指さした。
「ウチの隊長さんからして、階級だの役職で呼ばれるの嫌いだからさ。」
「ああ、桜井さんですか。」
 マルクが食べ始めたのを見て、ラルもトレイに手を伸ばしながら言った。
「そう言えば昨日も、『少佐(メイジャー)って呼ぶな』って言ってたなあ。…本当に”桜井さん”でいいんですか?」
「んー、俺達みんなそうだから、ルーキーだって一緒だろ。…あとは、作戦中とかは”コマンダー”かな、その程度。」
 桜井の名で、ラルは昨日のいきさつを思い返していた。今日もあの仏頂面を向けられるかと思うと思っただけで気が重くなる。その余り、相当露骨に顔色を曇らせた、らしい。
「ん?桜井さんがどうかしたのか、ラルちゃん。」
と、マルクに言われてしまった。
「だってあの人、凄く苦々しい顔するんですよ、あたしの顔見ると。--あの顔にちょくちょく会うのかと思うと。」
「ちょくちょくどころか、メシ食ったら早速顔会わすよ。」
「は?」
「今日はレベルC待機体勢だから、訓練教官は桜井さんがやるぜ。」
「えー?!どうして、仮にも指揮官が新兵訓練までやるんですか!!」
と大声を張り上げたラルの顔は、驚きを通り越して、泣きそうになっている。」
「何でって言われてもなー。あの人は貧乏性だから、自分でやらねえと安心できないクチだろ。日本人って、みんなああなのかね。」
 「マルク…そういうことはあまり大きいことで言わない方がいいと思うよ。」
いつの間にか背後にいたホセが、釘を刺しつつ腰掛けた。
「だけどホセ、お前もそう思うだろーよ。あの人には大体のもんが揃ってるけど、アバウトさが足りねえんだよな。」
「…それはそうだけど。……でもラルさん、桜井さんは君を評価してないわけじゃありませんよ。」
「…そうですか?」
ラルは訝しげな顔で言う。
「桜井さんが、実力も素養もない人間に入隊を許可するなんて、あり得ないことです。」
「でも、”虫が好かん”って顔してますよ。…別に、どう思われてもいいですけど。」
放しながらも適当に食事を終えて、ラルが立ち上がった。
「一言だけ言っとくけど」
と、マルクが、彼女を追いかけるように言う。
「あの人の訓練はハンパじゃなくキツいよ、俺達でもな。」
「…夜中の寝技訓練よりはマシです、軍曹。失礼!」
「俺は准尉。…いや、だから悪かったって。多分もうしないから。」
絶っっっっっ対にやめて下さいよ、今後!」
 器用に椅子を蹴飛ばして、凄まじい音でテーブルに収めると、ラルは怒った背中を見せて歩き出した。コンバットブーツの靴音も、腹立たしげである。
「いやあ、怒るとこの迫力だよ。好きだなあ、俺。」
惚れ惚れした表情で、マルクが実に楽しそうな笑みを浮かべる。
「多分、桜井さんがしごけばしごく程、絶対食らいついて帰らないだろうな。そういう娘だよ、あの子。」
「本当に好き者だなあ、マルクは。…それにしても昨夜みたいな冗談は、桜井さんも僕も嫌いだな。」
「冗談〜?俺は冗談で夜這いなんてしねえよ?」
「じゃ、あわよくばと思ってたんですか。」
「当然じゃん。」
「…あれだけキレイに技食らって、少しも懲りてなかったんですね…もういいです。」{(女が来ると手間が増える、と桜井さんは言ってたけど…)
ホセは食も進まないまま頭を抱えた。
(要するに僕の仕事も増える、ということだな…)

 昨日の選抜をクリアーした中で、全くの軍隊未経験者は、どうやらラル一人らしい。
 午前中前半の課程、「射撃座学」に出席して、初めてそれが分かった。だから、銃の構造だの各部名称という、”ABC”の部分は省かれている。全員がそこそこに銃を扱えるということが、指導の大前提になっている訳だ。
 ラルも一応、拳銃を所持している。中古のカスタムで、物心ついた頃にエドから護身用に貰ったものである。今思えば、誕生日のプレゼントだったのだろう。”娘”と呼んでいいほどに成長した彼女に、場所柄レイプ等の危険が増えるのを慮ったらしい。
 人間に向けて撃ったこともある。殺したことはない。確か肩辺りに当たった記憶があるが、あくまで威嚇だった。彼女の殺傷はいつも防衛であり、積極的に他人の命を奪おうとしたことはなかった。
 それが、今日からは自ら進んで人を殺す訓練を始めるのだ。その行為にどれほどの精神力を要するのか、軍隊生活初日のラルには想像もつかない。それは思う以上に重い行為かもしれないし、案外軽いような気もする。
 「人体を貫通するよりも、体内に弾丸が留まるケースの方が、遙かに損傷の度合いが高くなります。これはご存じでしょう。このコーンウォールの作戦では、貫通抑止を更に重要視した弾丸使用が重要となります。…つまり、ここでの戦闘行為全般について、絶えず留意していただきたいのですが…」
レクチャーは既に、使用弾丸の項にさしかかっている。壇上で講師をしているのはホセだった。淡々とした喋りで、なかなか分かりやすい。
「…作戦が展開するのは、大部分が”遺産”の上だということです。我々に要求されるのは、作戦行動の成功の他に、その際に文化遺産を破壊しない、という厳しい条件なのです。レーザー兵器を原則的に使わないのは、法令規制が厳しいということもありますが、貫通して施設類を破損しない為でもあります。また、サイト・レーダー等の電子系周辺機器のジャミング、もしくは逆探知が行われやすい欠点もありますので…」
 講師も淡々としているが、”生徒”も大半が淡々と耳を傾けている。これから銃が撃てる、と興奮しているような素人は一人もいない。それは当然の事だろう。昨日桜井が言っていたとおり、”何故傭兵を登用するのか”を考えればいい。彼らの持つスペシャリティが必要なのは第一のこととして、根本的な事は経済効率、要するに金と時間の問題なのだ。
 水準に達した兵士を育てるまでには、経費と膨大な時間が必要とされる。それが特殊技能兵なら尚更である。手持ちの軍隊が、必要人員とレベルに達していない時には、傭兵に高いサラリーを払う。それでも育成にかかる資本(時間を含む)を考えれば十分にペイできる。
 何しろ、そういった場合は常に”有事”である。資本の2要素のうち、”時間”には、いくら払っても惜しくはないわけだ。
 だから、集める傭兵は、既に経験と実力を兼ね備えた者でなくてはならない。常識で言えば、いくら可能性があっても才能開花に時間がかかる素人は、真っ先に条件から外れる。求められているのは満開の生花であり、苗でも種でもない。蕾ですらない場合もある。
 では、プロの目利きたるエッカーマンが何故自分を選び、桜井が入隊を許可したのだろう。考えれば考えるほど、ラル自身も不可解な思いにとらわれる。
(案外、この戦争が長引くかも…って事か…)
せいぜいそのくらいしか思いつかない。
 「標準装備は自動小銃、MP5A3を使用します。弾丸は9mmパラベラムマスター。基本的に全員同一の装備をして下さい。弾切れの際の弾倉の受け渡しや、パーツの交換を、いざという時に円滑に行うためです。個人的に微調整するのは自由ですが、シアーやマズルのカスタマイズは申請を経るように。パーソナルに携帯する拳銃は自由、支援班の装備は別途説明。また作戦目的に合わせた換装は、各リーダーの指示に従い…」
 敵であるウェールズ軍の作戦主力もまた傭兵である。両軍とも戦争に早く決着を付けるために傭兵部隊を投入した。大体戦争というものは、勝っても負けても、”長引く”事が政治的には最悪なのだ。あらゆる意味で、電撃作戦をスマートに成功させれば、(非人道行為さえ無ければ)最高の幕切れとなる。そうなる予定だった。
 戦力的に拮抗し、一進一退となれば、これは長丁場になる。今の惑星コーンウォールが当にその状態であった。どの軍事評論家であっても、現在の戦況を説明するのに「互角」以外の言葉は持たないだろう。
 尤も、焦っているとすればそれはコーンウォール軍の方だろう。当初有利と報じられていたものが今互角ということは、ゆっくり押されているということだ。今回の新兵補充もそれに関連してのことかもしれない。
(まあ、現場にもまだ出られない奴が考えても仕方ないか…)
とラルが思ったとき、ホセがプロジェクターを消した。
「それでは10:00からレンジに移って、射撃訓練を行います。各自愛用の拳銃をお持ち下さい。--なお、今日の結果は部隊配属の参考にさせていただきますので…」

 何か言われたり驚かれたり、まあ色々されるだろうとは予想していた。それにしてもマルクの声はでかい。ラルはそう思った。
「すっげーなこりゃ!!俺、実物見たの初めてだぜ!」
彼はラルの腰から勝手に銃を抜いてしげしげと観察している。
「有名っちゃ有名だけど。いるんだな、本当に今時こんな銃持ってる奴--で、ちゃんと弾出る?」
「……”今時こんな銃持ってる奴”ですいませんねえ。」
予想の範囲内とはいえ、自分の持ち物をからかわれるのはやはり面白くない。ラルは思いっきり気分を害してます、という顔でマルクに突っかかる。
「大体あんたは自主トレ中でしょうが。さっさとあっち行って下さいよ。」
「いいじゃん〜、もう少し触らせてくれても。」
「一応出ますよ、弾。頭にぶっ放してみましょうか?--あとホラ、私ド素人ですから、何処に跳弾しても許されますよねえ。」
「怒んないでくれよ、 別にけなしてないって。ただホント、珍しいからさ。」
「…もう、いちち五月蝿い上官ですね。」
と言って、ラルが愛銃をむしり取る。細目のグリップは彼女の手に見合うサイズ、6インチの銃身は少し長めに見える。
 ルガーP.08というこの銃が誕生したのは第一次世界大戦時下、今から実に1000年以上を遡る古い銃である。モーゼルMシリーズと並び、マシーン・ピストルの祖と称される名品で、第二次大戦中もドイツ軍制式銃として採用されていた名品である。ただ、いかんせん”祖”であるから、自動拳銃で優れたものはその後いくらも作られた。全盛期モデルの実弾銃を愛用する連中でも、P.08を実装している者は珍しい。マルクが驚いたのはそういうことである。
 この銃で目を引くのは、リアサイト部の尺取り虫運動をするパーツで、トグル・ジョイントと呼ばれるシステムである。要するに銃弾を装填するコッキング・ハンマーと同機能なのだが、一発発射する度にこれが跳ね上がる。この動作が照準に際しては視界を妨げるため、ルガーP.08の最大の特徴であり最大の欠点と言われている。
 ラル自身も、絶対これしか使わないと固執しているわけではないが、少なからず愛着はある。その上、馬鹿にされれば意地も出てくる。ただし、今問題になるのは銃の種類ではなく、あくまで技術だった。

「O・K、2マガジンクリアー、立射やめ!」
 レシーバーから桜井の声が響いた。ラルは詰めていた息をゆっくり吐き出し、防音レシーバーを外して、前方を見やる。
 2弾倉、つまり18発を人型のターゲットに発射したうち、着弾8発、中央集弾は僅かに一発。完全に”まぐれ”の範疇である。
(…まずかったかな…)
 ラルは右の肘をそっと支えた。カスタマイズを加えて銃口の跳ね上がりを抑えているとはいえ、2マガジンを連射しきったのは初めてだ。これだけで腕全体の筋肉が堅く、熱っぽくなっているのが分かる。
「…格闘技はまあいいとしても、お前、こっちの方は…」
案の定これか、と言いたげに桜井が寄ってきて呟いた。
「いやその…」
「打てないことはない、辛うじて当てたことはある…って所だろ。訓練してなかったものは仕方ないがな、この程度で。」
「でもホラ、こう、素質みたいなものを感じたなあ俺は。」
またもや口を挟んだマルクを、桜井が例の眼光で睨み付けた。
「お前はとっとと帰って訓練してろ!…大体こんなキレーキレーな弾着で何の素質が分かる!」
 とりあえず、五月蝿いのを無視して指導を始める。射撃姿勢に手を添えながら、スタンスから始まって、構え、肩と腕の力の入れ方抜き方、脇の締め方を一から叩き込んだ。何を教えても、一回でピタッと決まるのには、桜井も内心驚愕した。半可通よりも素人に教える方が、変な癖がないので楽だ、というのは知っていたが、この飲み込みの速さは並ではない。他人にものを指導して、これほど感動的な思いを抱いたのは初めてだった。
 「サイトの見方は分かってるな、この時絶対に片目でなく両目使って見る、そういう癖を付けろ。片目サイトは当たるもんも当たらないぞ!」
「はいっ!」
と返した返事は良かったが、着弾したのは肘の辺りだった。
「…器用な外し方するな…」
「何処見たらいいのか、よく分かりません。…なんだか、フロントサイトが2個見えて…」
「重なるところまで絞れ。慣れれば見えてくる」
「はいっ」
「軸ぶれないように!呼吸は止める!」
 分かりやすい指導だ、とラルは思った。正統派のシューティングの基本が、すっと体と頭に入ってくる。恐らく桜井のシューティング自体にクセがないせいもあるのだろう。
 さっきよりは相当楽になったが、それでも腕がきつくなってきた。訓練で使用する模擬弾は、破壊力ほど的を撃ち抜く程度しかないが、発射時の反動と衝撃は実戦用と変わらないのだ。尤も、そうでなければ最初から訓練にならない。
「よしっ、もう1マガジン!」
 左も右も、辛うじて銃を保持するだけの握力しか残っていない手で、号令に反射するように弾倉を換える。しかし、それも遅い、と怒号が飛んでくる。
「さっき言ったこと、覚えてるか!」
「はい桜井さん、弾丸はチャンバーに一発残して弾倉交換!」
「そうだ。その返事くらい上手くやってみろ。」
 ラルはセミオートでトリガーを引く。一発、二発、9発から1発を引いて8発撃って止めればいいのだが、気がつけばトグルがカラ撃ちの軽い音を立てる。また9発出し切ってしまったと言うことだ。頭では分かっていても、1発のみ残すのは相当難しい。後1発で止める感覚を体で覚えるしかないのだ。
「おらっ、ちっとも分かって無いだろ!その上当たってない!」
「くっそ…」
 きゅっ、と奥歯を噛みしめて、ラルは前方のマンターゲットをもう一度睨んだ。彼女はこういう状況であればあるほど、目線を下げない。手も入れてないのに形のいい眉と深い鳶色の瞳をキリッとさせて、えも言われぬ意志的な表情を作る。
 その闘志の滲む顔が、寒気がするほど美しい、とマルクは思った。
 誰にでも、最高の表情というものがある。普通の時には、ラルも並の美少女でしかない。それにひとたび闘気が宿ると、この輝きを発散するのだ。どちらかと言えば男性的なオーラなのに、目が引きつけられて離せない。
 エッカーマンがバイエルンで見たのも、こんなラルの姿だったに違いない。それならば一目で惚れ込んでしまっても仕方がない、とマルクは思った。桜井が怒ると知って素人を連れてきたのも、彼女に見せられたせいだ、と言うのなら…戦場の彼女をみたいと思ってしまったせいなら、納得がいく。彼はそう思った。

 もう何マガジン撃ったのか、頭も手も覚えていない。彼女がいよいよ限界に達したのを気づかない桜井でもなかった。
「ちょっとは着弾もマシになって来たが、まっだまだだな。午前はあと上がってよし。」
 銃口が熱くなってしまっているので、すぐにはホルスターに収められない。10本の指も、構えの形のまま固まってしまっている。本当はその場に座り込んでしまいたかったが、昨日から桜井に抱いている妙な意地がそれをさせなかった。
「…とりあえず、当分支援班には回せないなあ、お前は。」
 桜井から駄目押しの一言を叩きつけられても、言い返す元気は残っていなかった。

 「午後の日程?格闘技ですが。」
「…………。」
ただでさえ疲れているのに、そのホセの一言で更に食欲が失せた。元来、精神的なことで食の細くなるようなたちではないが、肉体が極端に疲労すると食物を入れる気がしなくなるものだ。
「どうしたのラルちゃん、食わないと午後倒れるぜ。」
 朝からずっとつきまとっているマルクは、見たまんまに脳天気だ。午前中の訓練でげんなりしているルーキーたちを尻目に、牛馬の勢いでランチを平らげている。ラルは半ば呆れ半ば感心して、
「…あんたこそ、午前中何の運動もしていないのによくそれだけ食えますよ。」
「いつでも何処でも食えるときに食う、寝られるときに寝る、これが傭兵にとっちゃ大事な素養なの。こればっかりは本当だぜ。」
「まあ、そりゃそうでしょうけど。」
と言って、皿のシチューに手を付けようとした瞬間、手に持っていたスプーンが跳ねて、落ちた。
「痛っ……!!」
 急に筋肉が硬直し、激痛が走った右腕を押さえる。その左手も木のようにこわばっていた。
「お前は、メシも静かに食えんのか。」
後ろで、桜井の声がした。全く平静なのが癪に触る。
「…見っ、見てないで助けてくれたらどーなんですかっ!」
「大袈裟な奴だな。貸してみろほら。」
例のごとくぶっきらぼうに言って、ラルの腕を取った。そのまま慣れた手つきで強く指圧する。
「痛ったたた!痛いときよりまだ痛いですよ、桜井さん!」
「訳わからん悲鳴上げるな、たかが痙攣で!…全くド素人は。」
 相当痛い処置だったが、的確だったようで、筋肉の収縮がすっと引いていくのがよく分かった。
「筋肉はあるようだが、それにしても細っこい腕してるな。日頃鍛えてないからこういうことになるんだ。--よし、これでいいだろ。----まだ痛いか?」
「え?…あ、もう大丈夫、です。」
「そうか。メシもちゃんと食えよ。」
 無造作に手を放すと、桜井はわざわざ別のテーブルについて昼食を始めた。
「あの人って…実は暇なんじゃ…」
別に美味そうにも不味そうにもしていない彼の表情を眺めつつ、ラルが呟く。
「まさか。いつ寝てるか不思議なくらいだよ。」
と、ホセが笑う。
 「全く、元ポリはやることが乱暴だよな。」
「え?今なんて…」
ラルがマルクに聞き返す。
「ポリ、ポリ。警察。桜井さんはもと刑事なんだそうだ。」
「へえ…それは何だか、すごくよく分かる話。」
 彼の堅物ぶりの理由の一つが分かったような気がした。
 指圧されて血行も良くなったせいか、腕が温まってきた。力強い桜井の掌は大きく、意外なほど綺麗な指をしていた。その指の力を、まだ自分の左手が覚えている。熱が不思議と消え残っているのを、ラルは感じていた。