「あの話。ほら、この間、タージ・マハル組が言ってただろう。」
と、彼は部下に尋ねた。戦場での闘気溢れる顔付きと違い、普段の様子は、むしろ年齢以下の、妙な愛嬌さえ感じさせる。
「ああ、はい。コーンウォール軍に見慣れない新兵がいたとかいう話でありますか。」
多少緊張気味に部下が答えた相手。
南アジア系を思わせる、日焼けではない褐色の肌。暗い金髪。陽を受けるとオレンジ色に近く見える、鋭い瞳は、今はむしろ好奇心に輝いている。
「で、それが、女だってんだろ?」
「と、いう話でした。自分もよくは知りません。」
「美人らしいじゃないか。」
「……戦闘中にそんな所に目が行くほど余裕があるのは、貴方だけですよ、サキオン大尉。」
「そんなものかい。」
彼、ディーヴァ・サキオンはとぼけた表情で言った。
「興味がおありですか。」
「何だよその面。言っとくが俺は、お前の考えてるような興味があるんじゃないぞ。コーンウォールの桜井少佐が、女を使ってるって事の方が面白いんだ。」
と言って、煙草をくわえる。すかさずその部下が火を出そうとするのを制し、オイルライターで火を付けた。
「いいよいいよ、お前、吸わねえのに気ぃ使うな。……で、そいつに会えるもんかね。」
「タージ・マハル組の生き残りでは、敵はフォワード中心のチームだったらしいですから。大尉みたいに前線出まくってれば、いつか会うんじゃないでしょうか。……相手が死んでなけりゃ、の話ですが。」
「まあ、そりゃそうだ。」
敵にも味方にも”魔神”と称され恐れられている男・ディーヴァは、いやしかし面白いよなあ、と呟いて、美味そうに煙を吐いた。 「このバカ、未成年のくせに。」
桜井は、ラルから取り上げた煙草とライターを、有無を言わさず窓の下に投げ捨てた。
「な・ん・で・俺がこんな教師の真似事までしなきゃならねえんだ。」
俺はもう知らん、お前もう出てけ。と言い放って、一日の喫煙本数を訊いた。
「……5本くらい。吸わない日もあります。」
身体を固くして、ラルが答えた。
「もう17だよ。堅いこと言わないでさあ。大体桜井さんだって喫煙者じゃないですか。」
と、マルクが混ぜっ返す。
「人並みに使えねえのに、体力下げるような真似してどうすんだよ。……大体俺は、一日二本までしかやらねえぞ。」
「じゃあ、ラルちゃんも一日二本まで、ってことで。」
「マルクなあ、手前黙らんと終いには殴るぞ。とにかくラル!」
「はい!」
鉄拳に身構えたところで、いきなりホセが走り込んできた。
「桜井さん!本部から緊急照会です!」
「いきなり何だ。」
「本日20:00の作戦行動の要請がありました。」
「20:00?」
桜井が復唱すると、全員一斉に時計を確認する。あと5時間もない。
「どういうことだ?何かネタでもあったか?」
「あるんですよそれが。……サキオン部隊の進撃、らしいです。早速動けば、アンブッシュ(待ち伏せ作戦)も可能と言えば可能ですが。」
「ディーヴァ・サキオン?」
隊員が口々にその名を呟き、一気に緊張が走った。
「場所は?」
「ベースから20q。シュヴァルツ・ヴァルト付近らしいです。」
「どこからのネタだ。」
「本部で傍受したらしいですよ。」
「ホセなあ……多分それは、奴が自分でリークしたんだろう。」
「はあ?どうしてそんな……」
「アレの考えることは俺には分からん。」
と言って、桜井は今日二本目の煙草を口にした。
「ディーヴァ・サキオンは天才だからな。……何か企んでるか、何も考えてないかの二つに一つだろ。」
「でも、悠長にはしてらんないですよ。」
急に真顔になって、マルクが言う。
「そんなにベース近く。しかもあそこを押さえられたら、水源も通路も手持ちが減りますよ。」
「だから。俺たちに出てきて欲しいんだろ。理由は知らねえ。」
いつもの苦虫噛んだ表情で、しかし落ち着きは少しも失わずに、桜井は一同を見回した。
「で、どうします桜井さん。」
「そりゃ出るさ。……しかし、別件で出てる連中が結構いるからな、今残ってる奴は大体出て貰うぞ。」
と、一際頼りなさそうな顔でラルを一瞥し、仕方なさそうに言った。
「お前もな。」
「いいか、お前は絶対俺から離れるなよ。」
全員手早く装備を調えたところで、桜井は真剣な顔でラルに言った。今日のオーダーでは桜井がフォワードリーダー、バックスはホセに一任されている。少ない手駒で、多分フォワードで来るであろうディーヴァに対して敷いた布陣である。万全とは言い難いが、桜井とマルクの二枚看板で行くしか手はないのだ。当然ラルも下っ端フォワードとして動く。
「と言っても、お前を庇ってる余裕はない。もし奴がいて、銃で狙える位の距離だったら、」
「はい。」
「----さっさと逃げろ。」
「はあ?」
「お前もここで暮らしてるんだから、奴の話は聞いてるだろ。あれはな、言いたくもないが天才だ。」
「人を殺す……天才ですか。」
「そうだ。しかも、余裕があるから、闘いを楽しもうとする。お前なんかは、格好の遊び道具だろうよ。だから逃げろ。色気なんざ出したら即死ぬぞ。」
「逃げろって言われたって、そいつを見たこともないんですよ。」
「ああ、あれはよ。見りゃすぐ分かる。肌は黒くて、金髪で。ふざけた外見だぜ。」
マルクが口を挟んだ。
「目立つから。見つけたらさっさと逃げろって。桜井さんの言うとおりさ。…特に言っとくけど、奴とは絶対にナイフでやり合うなよ。」
「ナイフ?」
「何でも器用な奴だけどよ、ナイフコンバットはもう、無茶苦茶上手いんだ。」
「そういうことだ。……ところでお前、スーツのグレード上げたか?」
上着のジッパーを上げつつ、桜井が言う。
「はあ……でも、金がないんで2つだけ。」
「それじゃあなあ……着てないのと一緒だ。やっぱりお前、絶対逃げとけ。」
「……はい。」
「忘れるなよ。」
それだけ言うと、全員に時計を合わせさせ、7:30に作戦行動を開始した。
季節は、春である。七時前には日は暮れている。
嘗て地球上で「黒い森」と呼ばれたシュヴァルツヴァルト。それを模した人工の森では、夜露を帯びて強まった新緑の香りが漂う。
昼尚昏き森の中は、当然空の灯りを通すこともない。
意義の薄い出撃だ--と、新しい副官はディーヴァを批判した。
「何なんですこれは。確かに第一方面隊の指揮官は貴方ですが、気紛れで出撃するのは勘弁していただきたいですね。……それも、わざと傍受されるようなチャンネルで本部に連絡したでしょう。あれは、何です?」
「おいおい、敵地の近くでよく喋る奴だな。」
隊長たるディーヴァは、面倒臭そうな顔で答えた。前の副官は、先日の戦闘の折りに桜井隊から重傷を負わされて、原隊から外れていたから、意志疎通が上手くいかないのは仕方のないことだった。もとよりディーヴァは直感的な行動が多い男である。程良く適当な部分がある人間でなければ、とても側でやっていけるものではない。
「それはなあ、罠だよ罠。」
「そんなこと、桜井隊相手じゃばれてるに決まってるじゃないですか。」
「決まってるよ。でもいいんだって、それで。」
「……どうして、こんな半端な場所で、こんな少ない人数で作戦展開するんですか?」
「叩く価値のある奴かどうか、品定めしたいのさ。」
全く答えになっていない。この上官にとって、あらゆる戦闘行為は彼の嗜好で為されるのだ。それでいて、天性の能力とセンスで戦果を挙げてしまうのだから、余計始末に負えない。
ディーヴァ・サキオンの行動原理は、全く理解できない。また、彼と同じように出来るはずもない。そう思って、半ば呆れながら副官は天を仰いだ。空にある全ての光は、黒き森の葉と幹に阻まれ、全く見えなかった。
「おうし!」
軽い気合いを入れて、ディーヴァは愛銃・デザートイーグルのスライドを引き、戦闘態勢に入った。勿論サブウェポンとしての携帯だが、44マグナム弾使用のパワーを更に強め、カスタマイズしたものである。撃つ方への反動と衝撃も凄まじく、それをねじ伏せる力を持つ彼だからこそ使いこなせるという代物である。彼のイニシアルに引っかけて”Dイーグル”と呼ばれるその銃は、力と禍々しさでディーヴァ・サキオンを象徴する一丁だった。
先程副官が愚痴った通り、作戦に参加している人数は20人程度とやけに少ない。その人数が無目的な感じを引き立て、副官の苛立ちを煽るのであった。
大体、ディーヴァの作戦行動の元では、作戦目的成就率こそ高いが、味方の損傷率も大きいのだ。その成功はひとえにディーヴァの力量によるものである。基本的にワンマンの用兵である。同じサイドにいる者としては、この男に”味方”などというものが必要なのかさえ疑わしくなるときもある。
ディーヴァの天才肌がコーンウォールを出し抜き、桜井の緻密な戦略がウェールズを追いつめる。そんな図式が定着しつつあった。
「予想作戦はカウンターアンブッシュ。敵も実働できる”兵隊”は少ないはずだ。恐らくフォワード勝負になる。基本的に、俺をフォローしろ。なお、見ての通りの森の中だ----実はこの木がそれぞれ継承遺産に指定されているんだが、まずそれはいい。跳弾にだけ配慮して戦え。以上。」
潜めながらも、青年期の張りを持ってよく通る声。ディーヴァの指示は、一度で全員に通った。
「どうせ最初からあいつのペースなんだ。ならアンブッシュなんて面倒臭いことしてやる必要もないだろう。」
と、桜井は言った。
「しかしホントに……来ちゃってるけど、あいつ、何しに来たんだろうな。」
「斥候……みたいなモノかもしれん。」
桜井にしては、歯切れが悪い喋り方だった。思わずマルクが聞き返す。
「斥候?何のために。」
「俺が知るかよ。……”みたいなモノ”って言っただろうが。とにかく、人数的にはトントンだし、奴らも深追いはして来ないだろう。あくまでフォワードで押す。但し、絶対に深追いはするな。」
「正面から行く、ってことですか?」
ラルがおずおずと尋ねると、桜井は黙って頷いた。
相手もこちらも捻りなしということだ。先日の初陣からはや一ヶ月、何度かの出撃を生き抜いたラルの目には、この戦闘の方が余程訓練のように感じられた。
「やだなあ、何か。……単なる喧嘩みたいでよ。」
と、マルクの言うとおりだ、とラルは思った。戦闘行為なら戦闘行為と、それなりのけじめがあった方が明解に行動できるのに、今日の行動には何か違和感がつきまとって離れない。
何かしら、個人的な意志の介在を感じるのだ。それが何かはよく分からない。
見え透いているだけに不気味な敵の動き。それにわざわざ応じてやる桜井の真意すらも疑いたくなるところだが、事前情報があり、なおかつ敵が実際に動いている以上、こちらも腰を落ち着けているわけにはいかないのだろう。
見れば、桜井の表情も十分不本意そうだった。
彼の指示で、敵からは見えず、味方同士は確認できるようなフォーメーションで配置に付く。何しろ森の中で、遮蔽物には事欠かないが、その分視界も悪い。
葉の一枚に至るまでが遺産物件。長い時間をかけて定着した鳥や小動物たちも継承指定遺産である。いつもは安らかな、夜鳥の引っ張るような鳴き声も、齧歯類が梢を駆け抜ける幽かな物音も、妙に不気味に響き、神経を逆撫でする。
その奇妙な緊張感が全員に行き渡ったとき。
炸裂音と共に、黒い森が一瞬閃光に包まれた。咄嗟に目を閉じたが、視界は数秒の間奪われてしまう。
「ホセ隊、スターライトスコープ外せっ、照明弾だ!」
古典的な手を、と忌々しげに呟いて、桜井が指示を飛ばす。僅かな光を増幅するスターライト方式の暗視装置は、激しい閃光を不意に食らうと、使用者の眼自体がダメージを受けてしまうのである。
「距離200、来ます!」
背後からホセの声がして、敵味方の足音は、やがて入り交じった。
嫌な感じだ。
この戦闘……いや、戦闘と言っていいものか。マルクの言うとおり、命はかかっているがただの喧嘩。そんな感覚だ。実際に戦闘が始まり、ナイフをふるいながらもそうなのだ。敵も味方も、何やら腰が座ってないではないか。
両方、戸惑っている。
誰かにかき回されているだけ。そんな感覚の中、尻の座りがいいわけもない。
それとも、とラルは思う。
いつもそうなのだろうか。ディーヴァ・サキオンという男がいる戦場は、いつもこんな浮ついたプレッシャーのまま、自分のペースになれずじまいで終わるのか。
他の隊員と連携で、敵を一人仕留める。ラルの手つきも段々と堂に入ってきている。
その敵が地に倒れ、少しだけ開けた視界の奥に----彼はいた。
それはまだ遠景であったが。
虎のようだ。
プレッシャー溢れる、しなやかで力強い動き。ジャーマングレイの戦闘服で包まれた、堂々たる体躯。激しい動きに揺れる金髪。
咄嗟に、美しい虎を連想した。
あれが、ディーヴァ・サキオン。この戦場の、主なのだ。
遠い間合いから、虎は悠然とこちらに振り向いた。
視界は、突然桜井によって遮られた。
目線一つもラルの方にはくれないが、背中全体が、ラルに「退け」と命令している。さっきの指示を思い出させようとしている。
それに気づき、ラルはすかさずディーヴァの死角方向に、音もなく移動した。いつまでも魅入られている場合ではない。しかしそうなると、今度は桜井がディーヴァの前で孤立無援になる。
「ディーヴァ・サキオン。」
マチェットタイプのナイフを眼の線にかざし、桜井は静かに虎の名を呼んだ。
「よう、メイジャー桜井。」
桜井を正面に受け、馴れ馴れしい口調でディーヴァが答えた。
「一体何をしに来た。」
ディーヴァは鼻でちょっと笑った。
「相変わらず真面目だよあんたは。……何しに来たと思う?」
「天才傭兵の胸の内なんぞ、分かるかよ俺に。」
静かな声の中にも、一段の凄みが籠もる。挨拶のような会話に流れる殺気の応酬に、周りの部下たちは手出しが出来ない。
「ははっ、あんたにおだてられちゃ、気味が悪いぜ、桜井さん。----そうだなあ、俺はね。」
全体、暗いままなのだ。それなのにディーヴァの眼光の閃きは、ここからでもよく見える。
オレンジ色を通り越し----何故だろうか、深紅の輝きに、ラルの眼には写った。
「多分、あんたの嫌がることをしに来たのさ。」
「ふざけるな。」
とだけ桜井は言い捨て、ナイフを僅かにかざして、ディーヴァを挑発した。
元来、ディーヴァは挑発には好んで乗る男である。が、一応ナイフを抜いてはいるが、逆に桜井をあしらうような口調で、
「桜井さん、東西剣豪対決と行きたいんですか?でも、悪いけど今日、俺はそういう気分じゃない。」
と言うが早いか、一気に桜井との間合いを詰めて、白刃の火花を3、4回散らしただけで--つばぜり合いから自分で飛びすさり、マチェットの刃を弾いて、桜井の脇から後方へ走り抜けた。
速い。
桜井ですら、目で追うのが精一杯だ。
「サポートっ!!」
振り返り様にホセ隊に怒号を飛ばすが、バックスの弾丸の一部は樹木で跳弾し、大半はディーヴァが既に駆け抜けた地表に着弾した。
行きがけの駄賃とばかりに、力を入れた様子もなく、2,3人のコーンウォール兵を斬り捨てながら、ディーヴァが走る。
虎は、刹那を数える間もなく、ラルの眼前に滑り込んできて、そして足を止め、何故か彼女をしげしげと見つめた。
鳥が数羽飛び去る羽音。
風が広葉樹の葉を揺らし、幽かな月光が漏れて差し込む。
自分との身長差は20cm近くある、噂の男が、ラルの顔を覗き込んでいた。
一瞬の硬直。
しかしラルは我に返り、血糊をふき取って少し曇ったナイフを構え、模範的な動きでディーヴァに斬りつける。しかしそのストロークは、ディーヴァの肘で簡単に受け止められた。
上着は切り裂いたが、その下のケブラースーツは全くの無傷である。
垂直に立てた彼の肘が、自らの装備品の高品質を誇り、ラルの武器の無力さを叩きつけた。そのラルのナイフを弾き落とすでもなく、彼は、
彼は----不敵な笑みを端正な表情に走らせ----
「やっと逢えた。」
そう言った。
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