第二部 遺産都市

第四章 闘神の森(3)

 
 「何……っ」
 その硝煙は、ラルの首筋から。
 もっと正確に言えば、ラルの肩に支えられた、桜井の銃口から立て続けに二発。
 ラルは、背中を切り裂かれる激痛に耐えながら、脱臼した桜井の肩関節を押し入れ、桜井が、ラルに隠れ、なおかつ彼女の肩をサポートにして、ディーヴァの死角から撃ったのだ。
 先刻の報復とばかりに、至近距離からハイパワーの銃弾を、正確に両方の上腕部に撃ち込まれ、ディーヴァの右肩は後ろにずれ、左の腕も、ナイフを落として無力化している。
「マグナム持ってるのは、何もお前さんだけじゃない……」
 そう呟く桜井の腕もまた、今の二発ですっかり痺れきっている。
 肩に乗りっぱなしの銃は、いつものコンバットコマンダーではなく、コルト・パイソンの6インチモデル。
 今や姿勢を保っているだけのラルも、耳元でマグナムを発射されて、鼓膜がまともではない。耳たぶの一部も、火傷を負って痺れている。
「ふふん、昔とった杵柄でリボルバーかい。……」
 三人三様、ともに戦闘能力を失っている。
 暗闇から足音。
 両軍の部下が、今の銃声を聞きつけて駆けつけて来たようだった。
「……思ったよりやられたよ、桜井さん。仕方ない、今日の所は退いておこう。」
 両腕の効かない状態で、それでも不敵に彼は笑い。
 最後に、目線をラルに注いだまま振り返り、自軍の方に走っていった。

 忘れるな、と。
 その背中は、確かにラルにそう語っていた。

「桜井さ……」
「喋るな、このバカ。」
二人が、漸く大きな息を付いた。
「……馬鹿野郎、俺があの位でどうにかなると思ったのか!余計なことをしやがって……」
「す……すみません……」
 本当に、自分でも何故あんな行動に出たのか分からない。
 ただ、軍に必要な人だから、死なすわけにはいけない。そう思った。
 そう言ったなら、またどやされるのだろう。
「まったく、そのせいで却って状況がひどくなっただろうが。……ほら、傷見せてみろ。」
 ラルを抱きかかえたままで、背中を見る。
 深さは大したことはない。骨にも達していないようだ。
 ただ、不等号の形の大きな傷がぱっくり口を開けていて、脇の辺りで大きな血管が何本かやられたらしく、出血は小さくない。
「……深くはない、大丈夫だ。ただ、消毒と止血だけしておかないとやばいな。」
 まずそう言って気を確かに持たせてから、ベストから医療キットを取り出し、患部周辺の衣服を大きめに切り裂いてから、鎮痛剤を注射し、応急手当を行う。
 傷は丁度、心臓の裏側から始まっている。
 そこから一気に突き立てれば、たやすく絶命したはずだ。彼一流のいたぶりかもしれないが、なぜわざわざこんな傷を付けたのか、理解に苦しむ。
「どうして……」
 桜井の疑念をみぬいたように、ラルが掠れた声で呟く。
「何で、あいつは……あたしを殺さなかったんでしょうか。」
「……さあな。”天才”の考えることは、俺には分からねえ。……っと、あんまり喋るなって言っただろ。」
「なめられたんでしょうか。」
「……そりゃそうだろう。おら、これでベースに着くまでは何とかなるだろ。……そろそろ眠くなったか?」
「はい……」
「よし、じゃ俺の首に両手回せ。……うん、もっと二の腕から。で、手首組め。」
 桜井が、自分の首にラルの手を回させる。丁度、彼女が深く抱きつくような格好になる。そのまま、肩と膝の裏を保持して、傷口を刺激しないようにして抱き上げた。
 薬のために眠りに落ちつつあるラルの体重は、桜井に全て委ねられて、段々重くなってくる。
 前髪が、桜井の頬に触れそうになる。苦しそうな寝息。血の匂い。
「桜井さん!!大丈夫ですか……それにラルも!!」
 急いで駆けつけてきたマルクが、二人の様子を見て、血相を変えた。
「大丈夫だ。薬が効き始めてるから、大声は出すな。」
「ディーヴァはどうしたんです?」
「ああ、奴も退いた。……被害状況は?」
「あいつが途中でいなくなったから、大したことは無かったですよ。……ラル、あいつにやられたんですか?」
「……そうだ。……どうも、俺のせいらしい。」
「は?」
「いや、何でもない。俺達も退こう。」
 桜井の肩の傷を見とがめて、マルクが代わりにラルを抱えようとしたが、桜井は輸送車両に入るまで、彼女を抱え続けていた。

 急に薄れ行く意識の中。
 黒い森の、土の匂い。
 呼吸する木の葉の、清涼な空気。
 何故か、そんなものが体を満たしていく。
 何故だろう。
 暖かい。ラルは、そう思った。

 「サキオン大尉、傷の具合は如何ですか。」
心配そうに、副官が彼に聞く。
「まあな、外れただけだろうから、大したことはない。下手に自分で入れたりすると、後で変なクセが付くからな。心配するようなこっちゃない。」
「はあ……」
 副官は、複雑な返事をする。
 心配するなと言われても、これだけの傷を負って帰ってきたとは思えないほど、ディーヴァの表情も喋りも、変に高揚しているのだ。痛み止めに打った薬を間違えたかと思うほどだから、心配にもなる。
「まあアレだ、怪我しただけの収穫はあったってことだ。」
「収穫?」
「あれ?お前、データ取ってなかった?まさかそんな事はないだろう〜?」
 ディーヴァはわざとらしくそう言って、子供のような悪戯っぽい表情で副官を覗き込む。
 無理矢理、今日の奇襲を「データ収集」の目的のものと定義付けて置きたいらしい。勿論、そんなものは白々しい後付に過ぎないのだが。
「も、勿論、収集いたしました。後日、会議の上総括したいと……」
 その反応を見て、ディーヴァがさも可笑しげに笑いを噛みしめる。
「それにしてもやってくれた。……面白いぜ、なあ?」
「はい……」
 回答に困る副官の顔を見て、ディーヴァは横たえられたまま、更に表情を高揚させた。
 そんな時の彼の瞳は----やはり、味方の目にも、赤く輝くように映るのだった。