考察:秋田書店サンデーコミックスの歴史(あくまで私製)

注:このページは、Web上の情報をメインにサンデーコミックスに関して集めた情報をもとに勝手に考察・妄想したものであり、秋田書店の正式な社史等とは何の関連もありません。また、サンデーコミックス分類の際に使うタームや「第●期」という表現もあくまで便宜的に用いているのみで公式なものではありません。
文中の「サンデーコミックス」は、何も断りのない限り「秋田書店サンデーコミックス」を意味します。
小学館の「少年サンデー」掲載作品のコミックスレーベルについては「少年サンデーコミックス」と表記して区別します。

<前史その1>
秋田書店は、秋田貞夫氏(1909〜1996)によって創業された。
貞夫氏は戦前に小学館で少年誌、退社後は朝日新聞社でグラフ誌などの編集に携わる。
復員後、昭和22年に朝日新聞社を退社。
「石原書店」を立ち上げ、福島鉄次の作品などでヒットを出し、その後秋田書店を設立する。
1949年に「少年少女冒険王」(のちに冒険王)を創刊し、福島鉄次「砂漠の魔王」などを看板作品として、絵物語・漫画中心の少年雑誌としてその後30数年存続していくことになる。

<参考: (「人面犬の『秋田で始まり、秋田で終わる』 」から秋田書店創業者・秋田貞夫の業績より)>

[略年表]
(灰色文字はライバル誌の主な動向)

1948/8/10 秋田書店創業
1949 「少年少女冒険王」創刊
1950/4 「少年画報」創刊 少年画報社 1971年6月号休刊
1952/1 「少年少女冒険王」→「冒険王」に誌名変更
1952/1 「漫画王」創刊
1955/1 「ぼくら」創刊 講談社 1969年「ぼくらマガジン」に誌名変更+週刊化→1971年休刊
1959/3 「週刊少年マガジン」創刊 講談社
1959/3 「週刊少年サンデー」創刊 小学館
1960/1 「漫画王」→「まんが王」に誌名変更
1960/1 「少年ブック」創刊 集英社 1969年4月休刊(少年ジャンプに統合)
1963 サンデー新書誕生
1963/8 「少年キング」創刊 少年画報社 1980年休刊(「少年KING」に誌名変更→1988年休刊)
1966/1 「別冊冒険王」創刊
1966/7/15 サンデーコミックス誕生
1968/8 「少年ジャンプ」創刊 集英社
1969/7/15 「週刊少年チャンピオン」創刊
1970/7/20 チャンピオンコミックス誕生
1971/5/1 「まんが王」休刊
1983 「冒険王」休刊→「TVアニメマガジン」へ
1984/9 「TVアニメマガジン」休刊
サンデーコミックスに関連のありそうな少年誌周辺のみを大まかに拾い上げたもので、少女誌含む秋田書店の他の書籍については触れていません。

<前史その2:戦後〜1960年代の漫画状況>
戦前から好評を博していた紙芝居は、戦後の子供たちの娯楽として爆発的な人気を得て、街頭紙芝居は時代の風物詩となった。
同時に少年向け雑誌も多数発売され、絵物語や漫画・読み物に人気が集まった。
また、「赤本」と呼ばれた書き下ろし漫画本も、内容は玉石混交であったが絶大な人気を誇った。ページ数に比べて価格はやや高めだった。
昭和30年代にテレビ放映が始まると紙芝居は廃れ、描き手たちは貸本単行本へとシフトしていく(水木しげる・小島剛夕などが代表例)。
書籍全般はまだまだ高価なもので、赤本以外の漫画単行本も存在したが、裕福な家の子供でなければ手が出ないものだったという。
赤本は貸本単行本に移行し、貸本用単行本の版元からは、劇画・少女ものや恐怖ものなどの単行本が出版された。
劇画人気もここから生まれていった。
一方、漫画雑誌は月刊誌がほとんどで、連載本数や豊富な付録・別冊漫画の封入などで人気を競っていた。

1959年に「マガジン」「サンデー」が創刊され、次第に漫画雑誌のメインストリームは月刊から週刊へ移行。安価で提供される週刊漫画誌が人気を博すと同時に、書籍の流通量も増加したことから、漫画は「借りる」ものから「買う」ものへ変化していく。貸本業自体はしばらく存続するが、メインの商材であった貸本用書き下ろし単行本発行事業は収縮の道をたどった。
このあおりを受けて貸本単行本の描き手たちは週刊誌・月刊誌へと活躍の場を移し、同時に「劇画」というジャンルの定着とブームへとつながって行った。
単行本としては、ごく一部のハードカバー(高価)や、抜き刷り・別冊的な薄く雑誌サイズのものが多く、まだまだコストパフォーマンスが低い存在だった。
また、「連載した作品を単行本としてまとめて出版する」ということもまだまだ一般的ではなく、単行本は書き下ろしか、ごく一部の作家の大人気作品がまとめられる程度だった。

秋田書店サンデーコミックスが生まれた1966年は、漫画単行本にとってエポックメイキングの年だった。
現在私たちが「コミックス」と呼ぶ形の単行本が生まれた歴史的な年である。
その特徴は
・サイズは新書版で、扱いやすく、雑誌版のものに比べてコストを安価に抑えられる
・本体+カラー印刷カバーの「ソフトカバー」が基調
・内容は漫画雑誌に連載された内容をまとめたもの(シリーズによっては、貸本の再録作品も多かった)
・各社それぞれにレーベル名を付けてシリーズ刊行した

という点である。

それまでは雑誌は基本的に読み捨て、あとから読みたければ雑誌をとっておいたり、お気に入りの作品をスクラップして自分で綴じ本を作るしかなかったものがまとめて刊行されて読めるというのは大きな朗報だった。
しかも価格は200円台に抑えられており、これは当時と現在の物価の差を思えば今よりは相対的に各段高価ではあるものの、従来の単行本よりはずっと手の届きやすいものだった。(ちなみに、当時の貸本の料金は1泊2日10円程度だったという)
また、先駆けて1960年代初頭に各社で「新書出版ブーム」が起こっていた(秋田書店も1963年より「サンデー新書」というレーベルから出版を行っていた)こともあり、既に家庭では新書版というサイズはおなじみであると同時に、同じサイズの漫画単行本は書店にとっても導入しやすいものだったのかもしれない。

新書版単行本シリーズを刊行したのは、タッチの差でコダマプレスの「ダイヤモンドコミクス」(5/10〜)が先駆けと言われている。
コダマプレスは「フォノシート」と呼ばれたレコード(「ソノシート」という名称が最も通りが良いが、これは朝日ソノラマの商標である)と、それと複合した雑誌を出版していた会社。ダイヤモンドコミクスに収録された作品は、他社の連載作品や貸本初出のものがメインだった。新書版刊行のパイオニアといえる会社なのだが、翌1967年に倒産してしまう。
続いて5日あとに小学館の「ゴールデン・コミックス」が刊行開始。こちらは白土三平作品と、自社の雑誌(「ボーイズ・ライフ」や「サンデー」)収録作品がメイン。
そして次に登場するのが「秋田書店サンデーコミックス」のレーベルである。

なお、同年には
9月:コンパクト・コミックス(集英社)
11月:サンコミックス(朝日ソノラマ)
翌1967年には
キングコミックス(少年画報社)、KC(講談社コミックス)
1968年には
虫コミックス(虫プロ商事)、コミックメイト(若木書房)
と、各社単行本レーベルラッシュが続く。

<サンデーコミックス誕生とサイボーグ009>
秋田書店サンデーコミックスの歴史は、1966年7月15日、石森章太郎の「サイボーグ009」1巻から始まる。
初出リストをご覧いただいてお分かりのように、自前の雑誌を持たない出版社ならばいざ知らず、「冒険王」「まんが王」という自社看板雑誌がありながら、他社雑誌掲載作を意欲的に取り入れたのがこのレーベルの最大の特徴といえる。
「サイボーグ009」は元々「少年キング」に連載されていた。
今でこそ同氏代表作として語り継がれる名作だが、1回目の連載では不遇だった。
意欲作として、当時ほとんど誰も耳慣れない「サイボーグ」という概念を引っさげて登場したのが1964年。
とはいえ、同誌の人気作は「0戦はやと」(辻なおき)や「忍者部隊月光」(吉田竜夫)などが主力で、009はあくまで「その他新連載」という位置づけにすぎなかった。(新連載時の表紙も「0戦はやと」である)
「キングの読者に対しては内容が高度すぎる」「SFテイストが強くて分かりづらい」という側面があり、人気投票としてはあまり芳しくなかったらしいが、別冊での描き下ろしなども加えつつ、それなりの位置で連載が続けられた。50〜60年代の石森作品を評価する場合によく出てくるのが「早すぎた」「時代の先を行きすぎていた」という言葉なのだが、009もまさにそうだったのだ(とはいえ、プロットの発案自体は連載開始よりさらに5年前の話で、それがあちこちに先鋭的すぎて蹴られたというのだから当時の石森の才気は尋常ではない)。
連載途中で編集長が金子一雄氏に交代する。この人がまた、「分かりやすさ至上主義」とも言える編集方針の持ち主だったために、009のおぼえはめでたくなかった。「アレは分かりづらくていかん」と真っ先に槍玉にあがり、担当編集者のとりなしも空しく突然打ち切りという形で終了してしまう。(「ミュートス編」がいきなりバッサリと終わってしまうのはそういう理由)

その後、劇場版アニメ映画製作の話が持ち上がった頃にマガジンでの連載を打診されて、1966年7月に「ヨミ編」の連載が開始。
ちなみに劇場版アニメ第1作の公開が同1966年7月21日(1号試写は7月6日)。
サンデーコミックス第1号として1巻が刊行されたのが同年同月15日だから、マガジン連載と単行本化は、映画公開に合わせて狙い澄ましたタイミングで行われたと考えていいようだ。
秋田書店の「冒険王」「まんが王」におけるメディアミックスの取り組みはかなり早いうちから行われていたが、このタイミングもまたその一つと言えるだろう。

サンデーコミックスでの出版のいきさつについては、キング時代の「009」を二人三脚で育てた編集者・桑村誠二郎氏の談話が詳しい。
僕は(画報社の前に)秋田にいたから、「『009』を本にしようと思うけどどうかねぇ」と(秋田書店から内密の相談があった)。
それで当時のいきさつを話したら、それは石森から聞いたよと。
それで「そりゃ、何としても出してあげてほしい」って。その単行本の売り上げで今の秋田のビルが出来たという。よかったちゅうか、自分の評価が認められたという想いはあるね。
劇場版アニメは好評を博し、翌1967年の春には2作目の「怪獣戦争」が公開。
さらに1968年には初代アニメが放映されて、009は漫画でもアニメでも人気を爆発させ、サンデーコミックスの売り上げを牽引したという。
(とはいえ、秋田書店ビルに関しては「ドカベンで建った」「がきデカで建った」などとも言われているので談話の最後の方の信憑性は不明ではあるが、人気を集めたのは事実である)
ここからは完全に余談になるが、新書版コミックス時代の到来は、石森章太郎の作家性がいかんなく発揮される舞台となり、一気にヒット作家へと駆け上がって行く一大契機ともなった。
サンデーコミックス以外のレーベルでも、石森章太郎は大活躍していく(1966年11月に刊行開始されたサンコミックスの第1号も石森章太郎の「黒い風」だった)。
この「資質」については、上掲の桑村氏がかなり的確に語っている。
(キングでの009は)人気投票的にはあまり良くはなかった。ただ、それは物理的なデータの問題でね、感覚というのは出てこない問題。
(石ノ森の)才能は光った。だからそこのプラスアルファをどう見るかというのが編集者の能力。
週刊誌の16ページだとか20ページじゃわからなかったものが、単行本でつながって読むとパワーになって出てくるということにおいては、単行本作家というべきか
それは不名誉な言い方になるけど、それだけのものを持っていたということを、(当時の関係者が)見抜けなかったのだと思う。
(桑村氏の談話及び当時の状況に関する記述は、「サイボーグ009コンプリートブック」(メディアファクトリー)を参考・引用元としました)

刊行数
1966 7
1967 35
1968 49
1969 33
1970 37
1971 36
1972 35
1973 23
1974 23
1975 20
1976 27
1977 8
1978 14
1979 10
1980 14
1981 4
1982 3
1983 なし
1984 なし
1985 2
1986 なし
1987 なし
1988 8(4)
1989 5
1990 3
1991 1
1992 なし
1993 なし
1994 なし
1995 なし
1996 なし
1997 なし
1998 なし
1999 7
2000 3

左の表は、サンデーコミックス刊行開始後の、各年の刊行数(重版含まず)をカウントしたものである。
(2000年以降の新刊は出ていないので省略した)

・参考リスト→年表付き作品毎初出リスト

[第1期](創刊〜1982年)

<1960年代>

刊行数の数字的にはもっとも勢いのある時期。
初版点数としては1968年の49点が史上最多となっている。
自社の冒険王・まんが王掲載の作品もそれなりの数だが、サンデー・マガジン・キングなどの他社誌連載からけっこう有名作や看板作品をうまく引っ張ってきている印象。
連載が数年前のものも多いが、この当時は2,3年くらいの感覚はタイムラグには入らなかったのだろう。
手塚治虫や石森章太郎や横山光輝、小沢さとる・楳図かずおの作品をかなり持ってきている。
各社が単行本出版に乗り出す中、どのようにして大作の版権を引っ張ってきたのかはよく分からないが、「8マン」(1963〜65年マガジンの大人気連載。作者の拳銃所持による逮捕で連載終了というショッキングな最後だった)や、「W3」(「W3事件」と呼ばれる有名な(その割に詳細と真相はいまだに藪の中みたいな話なのだが)手塚治虫-講談社間のゴタゴタによりサンデーに移籍。その後10数年間にわたり、手塚と講談社がほぼ絶縁の状態にあった。)など、やや「いわくつき」の作品も。

この頃、各出版社が競うように単行本レーベルを立ち上げ。サンデーコミックスのような複数出版社から連載作を持ってくるサンコミックス(朝日ソノラマ)のようなレーベルもあれば、自社作品のためのレーベルを確立する講談社(KCシリーズ)も。

1968年には「少年ジャンプ」が登場。
そして1969年には、秋田書店が週刊漫画誌「少年チャンピオン」を創刊する。
この頃には各社独自(あるいは雑誌独自)の単行本レーベルが生まれており、「自社の連載作品は自社で単行本にする」という流れが既定路線となっていた。
少年チャンピオンもその流れを念頭に置いて出発し、翌1970年には「チャンピオンコミックス」レーベルが早速登場する。

<1970年代>

徐々に、オリジナル作品はチャンピオン→コミカライズやメディアミックス作品は冒険王という住み分けが進む。
TVでアニメ・特撮作品の数が増えて大人気となった流れにうまく乗る形で、コミカライズ作品の占める割合が増えていく。
70年代当初はほぼ60年代と同様の刊行点数だが、1973,4年に大きく点数を落とすのは第一次オイルショックの影響か。

中盤以降は点数が大幅に減。もっとも過去作品の重版もけっこう行われているので一概には言えないのだが、コミカライズ作品以外は定番作家の過去作品がほとんど。
同時期に「がきデカ」「ブラックジャック」「ドカベン」などのヒットで大いに勢いづいたチャンピオンコミックスと比較するとどうしても寂しさは否めない。
この辺りから、いろいろな意味でサンデーコミックスは手塚治虫らの定番作品重版を支えとする「名画座」的な立ち位置を固めていく。

<1980年代初頭〜冒険王休刊>

ダイナミックプロ系列作家がコミカライズとオリジナルで健闘、また石井いさみなどのチャンピオンで活躍する作家の他誌作品、「キャプテンハーロック」や「戦場ロマンシリーズ」などのプレイコミック組の作品も刊行されるが点数は1桁となる。
サンライズ系ロボットアニメのコミカライズを獲得し、岡崎優版ガンダムなどの珍品が生まれたりしたものの、1983年に「冒険王」は長い歴史を終える。当時アニメ雑誌が複数の出版社から出され、アニメファンは専門的な情報を求めてそちらの方に走った。従来のようなメディアミックスの広く浅い内容ではニーズに合わなくなっていったのかもしれない。
タイトルとしては1982年の「伝説巨神イデオン」のコミカライズの後は、2年間サンデーコミックスの新刊は発売されない。

ここまでを便宜上「第1期」と区切ることにする。

[第2期](1985〜1990年)
この時期の刊行点数はやはり少なく、さらに明確な意図も見えないリリースが細々と続く。
これまでサンデーコミックスに貢献した作家の過去作品や、チャンピオン・プレイコミックなどで連載した作家の他社作品について、「チャンピオンコミックスで出すわけにもいかないし、ほかに適当なレーベルがないんだけども、まあウチで出してやるか」という感じで落ち穂拾いをしている・とりあえずのレーベルという印象を誰もが抱くのではないだろうか。

1985年に楳図かずおの「生き人形」「キツネ目の少女」が思い出したように復刻されてまた空白が2年。
1988年になぜか「バンパイヤ」が4巻本として再リリースされ、実質の新刊は4点。
(楳図かずおの「100本めの針」と横山光輝の「サンダー大王」全3巻)
1989年は乾はるかの「学園戦士L」(掲載:ホームティーチング=旺文社の通信教育システムで配布された雑誌)、小山田いくの「ろこモーション」(掲載:こどもの光=農家ご用達の雑誌「家の光社」で出している子供向け雑誌。「キテレツ大百科」の初出連載もこの雑誌だったりする)は、いずれもかなりレアな雑誌での連載で、まさに落ち穂拾い。
1989〜1990年に村生ミオ作品が数冊刊行。絵柄・作風とサンデーコミックスマーク・背表紙の装丁とのミスマッチがすさまじい。
この後実に7年間新刊なし。

[第3期](1999〜2000年)
手塚治虫の復刻ものを出すためだけの刊行
2008年現在でも現役商品として入手できることと復刻という性質により、ラインナップとして含まないリストやコレクターも多い(まんだらけでのサンデーコミックス全巻発売の際にはセットに含まれなかった)。
この時期出版界は「懐かし漫画復刻ブーム」にあり、それにあやかったものだろう。けっこう他のサンデーコミックスの重版も同時になされた記憶がある。
しかしラインナップ自体は、すでに講談社の手塚治虫全集や、秋田書店からも文庫でリリースされた作品がメインであり、「なつかし漫画風にするためにサンデーコミックスの装丁で出してみました」という安易な印象が強い。「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」などの有名作品に交じって、「ダスト8」などのマイナー作品もちらほら。
表紙の黄色の枠も、なんだか講談社全集のデザインを露骨にパクったような印象が強く、かつての「黒ガクブチサンデーコミックス」に思い入れがあるオールドファンとしては残念だった。これらの作品を読みたいというファンは全集や文庫で購入済みの人が多いようだったし、よく分からない復刻という印象が強かった。

[現在]
2000年以来、サンデーコミックスレーベルの新刊はリリースされていない。しかし現在でも定番タイトルの一部・150冊がほぼ初版当時の装丁のままで現役商品として入手可能なのは他のレーベルにはまねのできない偉業である(似たようなラインナップとしては、小学館ゴールデンコミックスで出ている「カムイ伝第2部」くらいだろうか?)
現在は超定番作品を時折重版する「細々とやってる名画座」のような状態だが、この先再び第何次かの復刻ブームが来たときには、また何かやらかしてくれるんじゃないだろうか?とひそかに期待しているのだが…

<サンデーコミックスという存在/その功罪>
筆者が生まれたのは1970年代初頭で、漫画を読み始めた頃には、現在「4大誌」と呼ばれる」ジャンプ・チャンピオンといった大手少年誌はすべてそろい踏みし、各社レーベルも完備されて、ジャンプ連載の漫画がジャンプコミックスから出るように、「雑誌付属レーベルで単行本化される」のが当たり前となっていた。
その中にあって、「チャンピオン」「冒険王」という自社漫画雑誌があるのに「サンデーコミックス」という別名名乗り、しかも過去のマガジンやサンデー連載の漫画をラインナップに入れていたこのレーベルはとても特異に見え、謎すら感じる存在であった。
しかしこうして調べてみると、サンデーコミックスが生まれた60年代後半という時期には、サンコミックスのような混合初出のレーベルは珍しいものではなかった。単にサンデーコミックスが生き残り、それも飛びぬけて長命(というか現在も健在)であるために今では変わった存在に見えるだけなのだ。

思えば、「冒険王」という創業以来の雑誌があるのだから「冒険王コミックス」という名前でスタートしてもおかしくなかったレーベルである。
それをしなかったのは、以前述べたように、先行の「サンデー新書」のコミックス部門としてシリーズ的に扱う構想があったのではないかという自分の仮説が一つ。
また、大きく影響したのではないかと思われるのは、当時の社長・秋田貞夫の思想である。

そもそも秋田書店の創業や冒険王の誕生に際しては、
戦後間もない世情騒然とした昭和23年に「日本の子どもたちに正義の精神と夢の世界を取り戻し、希望を与えよう」と出版を志して
秋田書店公式サイト 会社概要より)
という熱い思いがあり、また、
「読者は面白いものしか買わない。大手が出しているから、という理由で買う読者はいない、シビアだ」が口癖だったという。

アメリカのスーパーマンに触発された先見性、漫画に徹底的にこだわった読者を大切にする純粋性、そして反大手資本というアナーキーな精神性からそこから秋田書店は生まれた。

「人面犬の『秋田で始まり、秋田で終わる』 」から秋田書店創業者・秋田貞夫の業績より)
という理念を持ち続けていたという。

これはかなり強引な拡大解釈になるが、冒険王や自社誌だけにこだわらず、他誌や過去の連載からも「本当に面白い作品を読者に届けたい」という思いが、あのラインナップの充実につながっていたのかもしれない。
サンデーコミックスについてよく「他社掲載作品を扱うためのレーベル」と表現されることがあるのだが、自社誌の比率(全体でも過半数に達しないけれども、会社別に見てみるとやはり一番高くはある)を考えても正確ではない。
実際には、「自社掲載の作品でも他社掲載の作品でも、面白いものを提供する」ことこそがサンデーコミックスの第一のコンセプトだったのではないだろうか。
一方、各社の「自社雑誌連載作品の単行本化は自社(自誌)レーベルから」という流れも1970年の声を待たずに進み、1974年の「少年サンデーコミックス(小学館)」の誕生によってそのルートは完備に至った。これ以降、他誌でリアルタイムに連載している作品がサンデーコミックスに入ってくる機会は減り、自社誌率が上がるとともに、縁のある作家の過去作品やコミカライズ作品の割合が多くなる。
コミカライズ作品といえば、多数の雑誌で「少ページ」「番組内容に準拠」という縛りのある中、ストーリー漫画のページ枠で作品を展開できる「冒険王」は貴重な場所であり、桜多吾作版「マジンガーZ」「グレートマジンガー」などの伝説的な自由度の作品も生まれた。
また、70年代後半は、「週刊少年チャンピオン」にヒット作が多数出て黄金時代を築き、オリジナル作品はチャンピオンへと住み分けが進んで、レーベルの立ち位置は後発のチャンピオンコミックスが1番・サンデーコミックスは2番手と完全に逆転した形になる。
筆者がサンデーコミックスを手に取るようになったのは、1979年放映の「サイボーグ009」新作TVアニメ経由で同作品に傾倒してからのことなので、1980年代初頭、つまり新刊点数も1ケタ台になった時代のことである。
正直な話、私の周囲でこのレーベルを読んでいる、というより存在を知っている同年代の子供はほとんどいなかった。
時代はチャンピオンの黄金時代が終わりかけ、子供界での一番人気は少年ジャンプ。「Dr.スランプ」などが人気を博し、のちの「ジャンプ80年代黄金期」前夜とでも言うべき時期で、勢いと活気があった。一方でちょっとコアな漫画好きは「うる星やつら」を擁したサンデー系にも注目していた。
そんな時代にあって、秋田サンデーコミックスは書店に必ず居場所があったものの、だんだんと位置は端の方に移動。1980年当時においてすでに「なつかし系レーベル」と認識されていた。
同級生は「サンデーコミックス」といえば「少年サンデーコミックス」しか知らないし、一部のチャンピオン読者にしても、「たまにコミックスの後ろに宣伝が載ってる、なんか古いマンガばっかり出てるシリーズだよね」という程度に存在を認知している人がごくまれにいる程度で、「小遣いを貯めてちまちま買い集めている小学生」は私一人だった。
ほどなく冒険王が休刊し、サンデーコミックスも事実上新刊事業は休眠状態に入る。「冒険王」読者は周囲にほとんどおらず、休刊についても話題にも上らなかった。
1980年代になると漫画雑誌が爆発的に増え、それにともなってレーベルも増加し、中規模以下の書店ではサンデーコミックスを置かなくなる店も出始めた。

しかしサンデーコミックスの評価すべき点は、そうした状況になっても、定番作品の重版は細々ながらも続けていたことだ。
しばらくはチャンピオンコミックス末尾にも「009」や「W3」などの宣伝が掲載されていたし、コミックス同梱の新刊リーフレットの裏にも主なラインナップが記載されていた。
それが直接購買につながらないとしても、「こういう作品がある」「名作として今も読み継がれている」と存在を告知し続けたことに意味がある。
読者はずっとそれを目にしているだけで、「読んだことないけども、石森章太郎の『サイボーグ009』とか手塚治虫の『どろろ』って作品があるのだけはなんか知ってる」と認識し、記憶のどこかに残る。読み継がれ、語り継がれるということの中で、「ある」と認識される意味は非常に大きい。

本文で何度か書いたように、70年代後半には既に、チャンピオンコミックスが「封切館」ならば、サンデーコミックスは「2番館」「名画座」的な立ち位置が定着していた。
「古さ」を伴って認識されながらも、定番名作の重版を(しかもほぼ原形の装丁を保ちながら)続け、控え目ながらその存在を告知し続けたのはまさにこのシリーズの大きな「功」の部分と言えるだろう。その中にはもちろん多くの絶版作品があるけれども、一部の作品とはいえ絶版にせず、レーベル自体を絶やさなかった秋田書店の判断は評価されていいと思う。

一方、「罪」の部分は、一部の作品収録にあたって大幅なカットや意図不明な改編を行ったことである。
サンデーコミックスの作品の中には、「連載期間に対して明らかに巻数が少ない」ものがあるのだが、これらの中には、数編がカットされて未収録だったり、ものによってはエピソードの配置を入れ替えられて、話の筋が飛んだり、つながらなくなってしまったものもある。
幸いにも現在多くの作品は「完全版」という形で復刻され、できるだけ補完された形で見ることができるようになっているけれども、それがかなっていない作品もある。当然、ファンや作者には不評の的であり、桑田二郎も「超犬リープ」単行本化の際の編集のひどさに憤慨したという話が残っている。
もっとも刊行当初の事情を考えると、「単行本になるだけでラッキー」という状況であり、その際にエピソードをコンプリートしなければならないという風潮は必ずしもなかった。単行本としてまとめるのに都合のいいページ数で切り上げるためにカットが行われるのは他社単行本においても珍しいことではなく、現在の感覚をもって批判するのはやや手厳しすぎるかもしれない。
また、作者側の事情(例えば「エイトマン」の最終エピソードは、作者逮捕のゴタゴタの中でアシスタントが代筆したため、サンデーコミックスには未収録だった)や、他誌作品を持ってくるがゆえの「大人の事情」も多分に絡んでいるので秋田書店側だけを責めるわけにはいかない。
とはいえ、近年になっても「"1巻"とクレジットしておいて2巻以降を出さない」などのことはチャンピオンコミックスなどでもやらかしているし、過去名作の愛蔵版・文庫化にあたってわけの分からないエピソード順番組み換えを行う(「サイボーグ009」や「マカロニほうれん荘」は絵柄が入り乱れたこともあって酷かった)など、今だに意味不明な改編をやってしまうのがこの会社の謎と言える。
ともあれ、「レーベルが存続している」という事実だけでも十分に意味のあることで、その盛衰や迷走も含め、「新書版コミックスの誕生から現在に至るまで」の漫画史・あるいは秋田書店少年誌史の語り辺そのものと言えるだろう。
誕生後の勢い・冒険王が休刊に至る背景・20世紀末に訪れた復刻ブームなど、その時々の漫画界の動きがそのままサンデーコミックスの動きに反映されているのだ。

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