秋田書店サンデーコミックス 名称の謎と仮説

1:序

秋田書店サンデーコミックスは、1966年7月15日に刊行が開始された漫画単行本レーベルの一つである。
漫画文化が「貸本・月刊漫画誌」→「週刊漫画誌」という雑誌中心の流れから、「単行本」文化と並列化していく1960年代後半において、重要な役割を果たしたレーベルであると同時に、一部の作品ではあるが2008年現在に至ってもなお現役で刊行が続けられており、いわば「漫画単行本歴史の生き証人」と呼んで差し支えない存在と言えるだろう。

そのレーベル第1号が「サイボーグ009」(当初は少年画報社の「少年キング」・その後講談社の「少年マガジン」に掲載された)であることが象徴するように、収録作品における「他社雑誌掲載割合」が非常に高いことで知られている。
レーベル開始当時、秋田書店は「冒険王」「まんが王」という自社漫画雑誌を発行していたのだが、全作品初出におけるその割合は過半数を下回っており、「サンデー」「マガジン」「キング」「少年」といった多種多様な他社誌掲載作品をラインナップに加えていた。その中には「8マン」「伊賀の影丸」「鉄人28号」など、ライバル誌の看板であった作品も少なくない。

昔から不思議に思っていたのが、
なぜ秋田書店なのに、『サンデーコミックス』(言うまでもなく少年サンデーは小学館の雑誌である)という"まぎらわしい"名前なのか?
「このレーベルが開始した1966年にはすでに『週刊少年サンデー』(1959年創刊)が存在していたのに、小学館から物言いがついたりはしなかったのだろうか?」
秋田書店サンデーコミックスと小学館の少年サンデーには何か関係があるのか?

という疑問である。同じような疑問をお持ちになった経験のある方も多いのではないだろうか。

本稿はこの積年の疑問に対し、同時代の状況や秋田書店刊行物などを調査し、自分なりに解釈した仮説の展開を試みるものである。

2:巷説

同様の疑問を感じた方はやはり多く、Web上の掲示板やサイトでは、さまざまな説や仮説が存在している。

<参考>

・サンデーコミックについて (教えて!goo)

・秋田書店のサンデーコミックスって。(2chまんが板)


巷説の内容はさまざまだが、よく登場するのは主に以下のパターンに分類できる。
A:秋田書店一ツ橋グループ(傘下・提携)説

B:少年サンデーの作品を掲載するからサンデーコミックス説

C:小学館が自社単行本レーベルを持たなかった説


以下、この3説について検証を試みてみたい。

3:巷説の検証

A:秋田書店一ツ橋グループ(傘下・提携)説

秋田書店は小学館から資金提携を受けている、あるいは一ツ橋グループ傘下として関係があるので、独立・あるいは漫画レーベル創設時に「サンデー」の名前をもらったという説

秋田書店創設者の秋田貞夫氏(1909〜1996)は1930〜1940年の10年間にわたって小学館に勤務していた経験があるが、秋田書店自体は、資本的には一ツ橋グループとは無関係である。(というか音羽グループなどの大手出版グループ系列にはどこにも属していないはず)

<参考>
秋田書店創業者・秋田貞夫の業績人面犬の『秋田で始まり、秋田で終わる』 )」より
日本大学を中途退学し、小学館に入社。
当時、小学館には貞夫氏の兄が在籍しており、なおかつ、当時の小学館の社長(相賀祥宏氏)が隣村の出身だったことが縁で入社。
この兄が退職する変わりに入社したのが貞夫氏。
これが昭和5年、貞夫氏21才。

入社して「小学5年生」編集部に配属された。
やはり編集者としての資質は充分だったようで、三ヶ月で編集主任(副編集長格)に昇格したという。

そして小学館に10年間在籍。
会社経営陣と意見衝突することが多くなり、強烈なキャラクターも災いし、昭和15年11月、小学館退社。

「小学館を首になったのだから、小学館より格上の会社で一旗あげたい」との強い思いを胸に、朝日新聞社に転職し、8年間在籍。
「アサヒグラフ」「週刊小国民」編集部で活躍。
ところがこの間、太平洋戦争が激化し、徴兵され、命からが終戦後、復員。

B:少年サンデーの作品を掲載するからサンデーコミックス説

これについては、サンデーコミックスの全ラインナップを対象にし、作品ごとの初出を主眼にまとめたリストを見ていただければ一目瞭然なのだが、確かにいくつかの看板連載や過去の掲載作品の版権を取得して単行本化しているとはいえ、少年サンデーの連載が主力とは言い切れない。
自社の「冒険王」「まんが王」を除いても、「少年サンデー」以外の掲載作品も見過ごせない割合となっている。
パーセンテージ
総初出数(含不明・書き下ろし) 144
秋田書店 54 37.5% <自社率>
講談社 25 17.4%
うち少年マガジン 10 6.9%
小学館 24 16.7%
うち少年サンデー 19 13.2%
少年画報社 10 6.9%
集英社 5 3.5%
光文社 7 4.9%
上の表は全初出数(連載が複数にわたるものもあるので、総作品数ではない)における主な割合を計算したものである。
(注「W3」は旧版・新版があり重複しているので、この重複分は含んでいない)
こうして計算してみると、「少年サンデー」に連載された作品の比率は全体の13.2%となる。
調査が完全ではないので正確な数字とは言い切れないが、ほぼこれに前後する数字であることは間違いない。

また、小学館が「少年サンデーコミックス」の刊行を開始する1974年6月以前に限って計算してみると、
総初出数 94
少年サンデー掲載作 16 17.0%
17%という数字を得ることができた。

この割合は、「冒険王」などの秋田書店の自社雑誌を除けば他誌の中ではトップに位置するので、決して低いとは言えないのだが、しかしこれをもって「サンデーの作品を出すからサンデーコミックス」と断言するのはいささか弱い数字ではないかと思われる。

また、当時の「少年サンデー」掲載作品は、秋田サンデーコミックス以外にも、若木書房「コミックメイト」や朝日ソノラマの「サンコミックス」をはじめとする他社レーベルでも多数刊行されており、秋田書店だけに単行本出版権を任せていたとはとても呼べない状況であったことも見逃せないのではないだろうか。

C:小学館が自社単行本レーベルを持たなかった説

小学館は「少年サンデーコミックス」レーベル(1974年〜)以前にも、「ゴールデン・コミックス」というマンガ単行本レーベルを持っていた。
このレーベルは2000年まで「カムイ伝第二部」を刊行していた兼ね合いもあって、いまだ現役のレーベルである。
刊行開始は1966年5月であり、レーベルを持たなかったどころか、刊行時期としては秋田書店サンデーコミックスに2か月ほど先駆けている

このゴールデンコミックスに関しても、シリーズ刊行開始時期と初出に着目したリストを作成したので参照していただければ幸いである。

「カムイ伝シリーズ」や「忍者武芸帳」のインパクトが強く、「白土三平作品特化レーベル」と思われがち(実際、「カムイ伝」をはじめとする白土作品と「ガロ」に色気を持っていた経緯[※]の中でできたレーベルではあるのだろうが)だが、ラインナップを見ていただければ分かるとおり、「少年サンデー」「ボーイズライフ」「ビッグコミック」などの自社雑誌連載作品を単行本化するためのレーベルという性格も強く持っている。(口開けの刊行が「カムイ伝」と同時にさいとう・たかをの「007シリーズ」(「ボーイズライフ」連載)であることも併せて考えたい)
また、貸本や「ガロ」初出の白土作品や、手塚治虫全集や藤子不二雄短編集のような選集類を除けば、そのほとんどが自社雑誌初出作品であり、これは立派に「自社単行本レーベル」と呼んで差し支えないだろう。
シリーズだけで数えると23とあまり多くなく、「サンデーのためのレーベル」とは言えないものの、そもそもこの時期「雑誌ごとの漫画レーベル」という発想自体がほとんどなかった(おそらく、雑誌名をシリーズ名に冠したのは、少年画報社の「キングコミックス」(1967〜1971年、その後「ヒットコミックス」に一本化)が最初ではないだろうか?)

なお、1974年の「少年サンデーコミックス」刊行以降は、「イアラシリーズ」「藤子不二雄SF短編集」と「カムイ伝第二部」をラインナップに加えるのみとなってほぼ「自社作品刊行レーベル」の使命を実質的に終え、「少年サンデーコミックス」「ビッグコミックス」シリーズに任せていくことになる。
白土三平やさいとう・たかをらがメインになっているため「劇画系中心」という印象が強く、実際そうなのだけれども、石森章太郎や寺田ヒロオといったトキワ系作家の作品も収録されている。

とはいえ、このゴールデンコミックスレーベルに着目すれば、C説は誤り・もしくは白土三平作品専門レーベルという印象に左右されての誤解の産物と考えて差し支えないと思われる。秋田サンデーコミックス創刊開始当時、「小学館の自社漫画単行本レーベル」も、「小学館内におけるサンデー作品の受け皿」は存在していたのだ。
[※補注:白土三平と小学館]

「カムイ伝」は、青林堂の「ガロ(1964年創刊)」に連載されていた。小学館はこの作品の獲得を熱望し、「ガロ」ごとの買収を当時の編集長であり青林堂名物社長の長井勝一に打診した。
・小学館の雑誌「ボーイズライフ(1963年創刊)」に「ガロ」を統合させて新雑誌を発行する
・その際の編集長には長井氏を据える
という提案は、「ボーイズライフ」上での「白土三平劇場(過去作品の再掲載企画)」連載開始を手土産にする形で持ち込まれた。
結局この話し合いは、「漫画化が制約を受けず自由に作品を発表できる場」である「ガロ」の理念がそこなわれるとした長井側からの拒否を受けて立ち消えになった。

この時生まれた新雑誌構想は、1968年創刊の「ビッグコミック」として形になる。
念願の「カムイ伝」の掲載こそかなわなかったものの、第一号の巻頭カラーに白土三平の「野犬」を巻頭カラーに擁しての出発となった。
この作品は元来、「ボーイズライフ」に1963年に連載していた「三平劇場」の第6回用として執筆・脱稿されていた未掲載作品である。
その後も白土三平は、「ビッグコミック」を舞台に「神話・伝説シリーズ」などの作品を発表していく。
そして小学館側の熱望は、それから実に13年後の「カムイ外伝第二部」掲載として実現することになる。

このほかに、鼻で笑われそうな話ではあるが、可能性として否定できないのでは?と思い、こんな仮説もあえて検証してみた。

D:発行日が日曜日だからサンデーコミックス説

いやさすがに、こんなことを真顔で言っちゃう人はWeb上でも誰もいなかったのだが…

ほとんど戯れのノリで、各発行日(奥付に記載されているもの)の曜日を確認してみた。
(Excelでは、日付のセルの書式設定→ユーザー定義 で、(aaa)という記述を付け加えれば簡単に曜日の確認ができる)
というか、各発行日が「5」か「0」のつく日、または各月1日の切りのいい日になっている時点で調べるまでもないのだけど、やはり曜日はまちまちで、日曜日に特化しているわけではなかった。
また、第1弾である「サイボーグ009」1巻発売の1966/7/15にしてからが金曜日なので、日曜日とのゆかりはなにもなさそうである。

ちなみに小学館の「少年サンデー」は1959/4/5日号として発売され、この日は日曜日である(実際の発売日は1959/3/17火曜日)。
「サンデー」の名は4/5が日曜日ということにちなんだわけではなく、
この雑誌を読むとまるで日曜日のように楽しい気分に浸れるようにという初代編集長豊田亀市の願いによるもの

(Wikipedia「週刊少年サンデー」より)

だという。


4:仮説展開

巷説を検証していくと、「少年サンデー」と「秋田サンデーコミックス」の関連は薄く、むしろ何か別の線、もしくは少年サンデーにまったく関係なく「サンデー」という名称を用いたのではないだろうか?という可能性が強まってくる。

「秋田サンデーコミックス」というレーベルを知るために、web上でできる範囲という条件付きではあるが踏み込んで調べていくうちに、さまざまな発見に出会うことができた。

そのうちの2つが、

A・秋田書店サンデーコミックスのシンボルである「鳥マーク」(以下「SCマーク」と仮称)には、丸(初期)と角(1971年以降)の2種類があること
B・SCコードの平仄を合わせるためには、「ターザンの冒険」(1967/1/5発行)という小説本もラインナップに含めるのが妥当という定説があること


だった。

Aは古くからの購読者やコレクターにとってはごく常識らしいのだが、実際に「丸ツル」マークを目にしたのは、調査のために初版本・初期出版作品の書影を確認したのがはじめての機会となった。

Bについては、びざーる渡辺氏のリスト内の解説・及びまんだらけインフォメーションのページによってはじめて知る事実だった。

背表紙に記載されるSCコード(仮称)は、1975年7月20日発売の「宇宙戦艦ヤマト」から、発売順に付けられるようになった。このコードが「SC-267」であり、以下は基本的に発売順に割り振られていく。(こちらも参照のこと)
それ以前の刊行分については、原則的にシリーズ毎にまとまるように再販時に付与されていったようなのだが、1975年以降に再版されなかったタイトルもあるのでいまだ全容が明らかにはなっていない。
とはいえ、「宇宙戦艦ヤマト」のSCコードが「267」である以上、それ以前のレーベル作品は「266作品」存在しなければならないのだが、実際のラインナップ作品はどう数えても265作品しかなく、「空白の1つは一体何だ?」ということが長い間コレクターの間で謎とされていたらしい。
そして現在、「これを含めて266作品と数えたのではないか」と有力視され、定説になっているのが「ターザンの冒険」である。
この作品は、「SUNDAY JUNIOR NOVELS」というレーベル(実際にはこれ1冊のみのようだ)として刊行され、そもそも漫画ではないものの、

・サイズが新書版
背表紙の装丁やデザインがサンデーコミックスと共通しており、統一感が高い
カバー折り返しに「秋田サンデーコミックス」の広告(「サイボーグ009」「0011ナポレオン・ソロ」「忍法十番勝負」「ボンボン」「超犬リープ」と、この本が発売されるまでに発売されたサンデーコミックス5作品)が掲載されている


ことがラインナップ入りと考えられる理由となっている。

これから述べる仮説を導いてくれたのが、この「ターザンの冒険」だった。
左に示したのは、背表紙に記載された「SCマーク」のビジュアルである。
上の段は、サンデーコミックスにおける初期(丸)から1971年以降(角)への変化を示したもの。

さらにその下にあるのが、「ターザンの冒険」の背表紙にある鳥マークである。
ご覧のように、文字以外は全く同じマークを使用しており(多少デザインのバランスは違うものの)、同シリーズとしてのトータル感を演出するには十分である。
「ターザンの冒険」の存在を知り、他にも(装丁やサイズが異なっていても)「SUNDAY JUNIOR NOVELS」と銘打たれた単行本があったのだろうか?と探してみたが、この本以外には見つからなかった。
秋田書店はそもそも「子供に良質で面白い読み物を提供する」というコンセプトで生まれた出版社なので、漫画や絵物語ものの他にも低年齢向けの小説単行本(ジュブナイル向けリライトSFなど)を多数発行しているのだが、その中にあってもこのレーベル名を冠したものを探すことはできなかった。現状の調査の限りでは、「ターザンの冒険」1冊のみに付けられたものと考えられる。

次に考えたのは、「では、"JUNIOR"のつかない"SUNDAY NOVELS"というシリーズはあったのだろうか?」ということである。これはもはや「コミック」とは関係のない経路ではあるのだが、気になったのでついでのつもりで調べてみた。
すると、「サンデーノベルズ」という新書版シリーズは存在していた。
そして、「サンデーノベルズ」ラインナップの本の表紙には、「SUNDAY NOVELS」のロゴのほかに、見慣れた「丸+鳥」のマークが存在し、そのマークの中には「サンデー新書」というロゴが書かれていた。

ちなみにこちらも、1971年発行の作品(書影は1971年初版の「乱世武士列伝」(八切止夫)のもの)にて角マークに変更、その際にマーク内のロゴが「SUNDAY NOVELS」に変化していることも確認できた。

秋田書店の他の出版物・たとえば「チャンピオンコミックス」などにはこの鳥マークはどこにも存在しないため、てっきり「サンデーコミックス用のシンボルマーク」としか考えていなかったので、まさか他のレーベル、しかも活字本レーベルに使用されていたという事実にはちょっと虚を突かれたような気がして大いに驚いたのだった。
次に調べるべきは当然「サンデー新書」というレーベルについて、である。
そんな新書シリーズを秋田書店が出していたとは、何しろ秋田書店のサイトにすら掲載されていなかったので全く知らなかったのだが、大まかな全容と、ネットオークションや古本販売サイトなどを調査して一部のタイトルや書誌情報を得ることができた。

昔もあった新書ブーム」(猫を償うに猫をもってせよ)によれば、発行期間は「1963-76年」、総数は「122冊」とある。

「サンデーノベルズ」を独立レーベルとして扱うべきか、それとも「サンデー新書」の中の1部門として扱うべきかがはっきりとしないので、総数がノベルズを含んでいるかどうかはよくわからない。また、重版かもしれないが「1977年発行」のノベルズ作品があるので終焉は少しぶれがあるかもしれないが、何しろこのレーベルに関するまとまった記述自体が存在しないので貴重な資料である。

左の書影は、1965年にサンデー新書シリーズとして発行された「『時刻表』物語」の表紙である。当時の「時刻表」編集長が出版したこの作品はけっこう人気があって売れたようで、よく古書サイトで見かけた。

「サンデー新書」の鳥マークは表紙にあったり裏表紙にだけあったりと、作品によってあまり定まっていないようなのだが、いずれにしろこんな風に「サンデー新書」ロゴと鳥マークがカバーにレイアウトされるのが標準的な形だったようだ。

背表紙上部には、サンデーコミックス同様に鳥マークが印刷されている。
岩波新書の鳥マーク、光文社カッパノベルズのカッパマークなど、各社の新書には特徴的なシンボルマークが入っていて書棚で自己主張していたので、秋田書店でも何か…と考えたのがこの鳥マークだったのだろうか。

新書ラインナップの内容としては、実用・趣味・教養類に始まって、社会派ルポルタージュや芸能界レポート・旅行記など多岐にわたっている。
(こちらは暫定リスト。まだまだ不完全。)

サンデー新書(ノベルズ以外)内でもマーク変更があったか、いつごろまでマークが付与されていたのかについては現在のところ調べがついていない。
同じ作品でも、時期・版によってマークの有無があることは確認できているが詳細は不明。


なかなか背表紙まで写っている書影が少ないのだが、これは「旅行クイズ150問」(1969年初版)の貴重な写真。注目すべきは背表紙下部の赤帯+「秋田書店」の表示部分。
上部の鳥マーク+下部の赤帯というレイアウトで、サンデーコミックスとある程度のコーディネイトを感じさせるものになっている点に着目したい…とまで言うのは無理やりだろうか。
実際にはすべてが赤帯付きだったわけはなく、表紙のデザインやカラーリングに合わせて、背表紙デザイン(帯部分の色)にもいくつかのバリエーションがあるようだ。
同じ秋田書店から「サンデー」という名を冠したシリーズ(それも新書版)が、「サンデーコミックス」刊行(1967年)より早く存在(1963年〜)していたという事実は大きな意味を持つ。
もちろん1959年に生まれた「少年サンデー」がさらに先にある事実は変わらないし、「サンデー新書」という名前を用いるにあたって小学館に打診したり許可が出たりというようなやり取りがあったかどうかということは一切わからないのだが、その時点では漫画と活字という媒体の大きな違いもあることだし、大きな眼くじらは特に立たなかったのかもしれない?という方向の想像もできる。
第一、「サンデー」という名前自体小学館の専売特許ではなく、毎日新聞社の老舗週刊誌「サンデー毎日」が大きく先行(なんと発行開始ははるか1922年だ)しているので大きく出れなかったのかも?とか、同じ1959年に実業之日本社から「漫画サンデー」が創刊されたりもしているので、意外に鷹揚だったのかも?など、妄想の域を出ないけれどもいろいろ考え付くところである。

それはそれとして、鳥マークのつながりが

「当時秋田書店は、軽い読み物のラインナップであるサンデー新書を起点として、小説のサンデーノベルズ・漫画のサンデーコミックスというように範囲を広げ、叢書とまではいかなくとも、子どもから大人まで楽しめる一つのエンターテインメントシリーズとしての"サンデーシリーズファミリー"のようなものを構想していたのではないだろうか。マークの共用やある程度コーディネイトした背表紙デザインもそのコンセプトのなごりではないだろうか」
「サンデーコミックスは、その漫画部門として生まれたものではないか」
「"サンデー"という名のシリーズがコミックスに先行して存在し・しかもマークが共通している事実は、"少年サンデーとの関連説"を否定するのに十分ではないのだろうか」


という一つの仮説に導いてくれた。


言うなればこの「サンデー計画」が秋田書店の中でどのような存在でどう進んでいたのか、あるいはもっと軽く「単にマーク揃えてみっか」程度のものであったのかどうかはわからないのだが、「サンデー」というシリーズ名称が「サンデー新書」から継承したものであることはまず間違いないと考えていいだろう。
「サンデー●●」という同社の刊行物が他にもあるか探してみたのだが、現在のところ判明していない。
ただ、この鳥マークを付けた刊行物は一つだけ確認している。
秋田書店のヒットシリーズで、「持っていた」「今でも押入れに1冊くらいあるかも」という方も多いかもしれない。
当時子供向けに各社が出した「ビジュアル実用百科」の一つ、「カラー版 ジュニア入門百科」シリーズの、1970年あたりのデザインである。

 
左は1970年発行(再販)のものの背表紙なのだが、おなじみの丸+鳥マークが印刷してあり、子供向けの実用百科にもこの鳥マークが付けられていたことを示す重要な資料である。

ちなみにこの「ジュニア入門百科シリーズ」はしばらく刊行が続くのだが途中で装丁が大幅に変わってしまい、それにともなってシンボルマークも以下のものに変わってしまう。
  
   (←ジュニア入門百科の新マーク)

どの時点で変更が入ったのかは確定できていないが、おそらく1973年ころかと思われる。



こちらは「ジュニア入門百科」ではなく、左が「写真で見る世界シリーズ」の一冊(1960年)・右が「世界画報シリーズ」内の一冊(1971年)の背表紙なのだが、タイトルロゴの雰囲気・下部の赤帯+秋田書店の表示部分など、これまたサンデーコミックスとの共通点・統一感が見られるデザインではある。
まあ、「あの頃の本はなんか全部そんな感じだった」と言われればそれまでなのだが…

5:その他のサンデーコミックス

何はともあれ、「サンデーコミックス」という名前は秋田書店に使われてしまったので、小学館が1974年に「少年サンデー」独自レーベルの漫画単行本を出すにあたっては「少年サンデーコミックス(SSC)」という名称にせざるを得なかったわけなのだが、実はそれ以前に「小学館のサンデー・コミックス」というものが存在していた。

左は1966年1月〜1967年2月にかけて刊行された「ジャングル大帝」の単行本(全5冊)で、テレビアニメ化のタイミングに合わせて出版された。学童社で連載されたオリジナルの原稿が失われた分を描き直し、さらに未完であったストーリーを補って書き足し、完結させたものといわれている。
サイズはB5版でページ数も多くはなく、中身はカラー刷りページ一部+単色刷りメインの構成だったという。
単行本というよりは「サンデー増刊」というような位置づけなのだろうか?見たところあまり厚くはない。

このシリーズでほかの作品が刊行されたのかは不明だが、「ジャングル大帝」1巻の奥付に「1月号」「創刊号」とあり、同巻が第1号であったことは間違いない。

ちなみに秋田書店サンデーコミックスでも2000年に「ジャングル大帝(こちらの内容は学年誌&幼年誌版)」が復刻されていて、ただでさえ版がややっこしい「ジャングル大帝」の出版履歴がさらにややっこしいことになっていたりもする。

このレーベルについても調査を続行していきたい。

5:結び…というかこれから

まだまだわかっていない部分(そもそも「なぜ新書をサンデーという名前にしたのか」「なぜ鳥マークなのか」というような根本的な部分)は多いし、そもそも書影や現物の確認についても甚だ不完全なので、現時点での一仮説にはすぎないのだが、「サンデーコミックス以前のサンデーシリーズ」の存在の判明にたどり着けたこと自体にはある程度満足している。

60年代の新書はなかなか大型新古書店でも見つかりにくい(というか買い取ってもらえないことが多い)し、ジュニア書籍の類はシャレにならないプレミアが付いていてどちらにしても入手しづらいものではあるが、これからはそういう方面についても古本屋に出かけた際にリサーチしたり、実家の両親の本棚などもあさってみたりしようかと考えている。

これ以上サンデー新書を調査しても特に新しい発見があるようにも思えないのだが、リストを作ったからにはできるだけ完全なものに近付けたいと思っているので、リストにないサンデー新書をお持ちの方、もしくは「これはサンデー新書とは書いてないぞ」という情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、メールフォームよりお知らせorお叱りいただければ幸いでございます。
また、それ以外の秋田書店の刊行物における「サンデーシリーズ」の存在や、「鳥マーク目撃情報」等についても随時お待ちしております。
(2008.2.19)
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