「ターザンの冒険」について
概要・及び考察ページでも書いた通り、この「ターザンの冒険」という本は、中身はジュニア小説なのだが、SCコードの平仄をあわせる意味・及び版型・装丁が非常に秋田サンデーコミックスと似通っているため、「サンデーコミックスのラインナップ」の一つとして数えられるのが定説になっている。
この一冊についていろいろ調べてみた結果、本題である「サンデーコミックス調査」とは関連のないことが多くはあったのだけれども、せっかくなのでこのページにまとめてみようと思う。
基本書誌情報 「ターザンの冒険」 エドガー・ライス・バローズ 原作 本多喜久夫 訳 挿絵:伊東あきを カバー絵:小松崎茂 口絵:梶田達二 1967(昭和42年)発行 246ページ 秋田書店 JUNIOR SUNDAY NOVELS 背表紙表記ジャンル:大人気冒険小説 |
<カバー折り返しコメント> (執筆者は不明) 私たちが少年のころから、冒険の好奇心で夢中になって見ていたターザンは、映画でのみ知っていたが、この物語の原作を読んで、ターザンに対する興味を新たにすると共に、これは本当におもしろい本だ、世界中の人々を熱中させたのも当然のことだと思った。 これは、単なる冒険小説ではなく、ロマンチックな教育的大衆文学であり、健全な大人にも子どもにも喜ばれるように作られている。 ぜひ、一家に一冊は、おすすめしたい本である。 |
1:"JUNIOR SUNDAY NOVELS"について
この本の背表紙最上部に、秋田サンデーコミックス及び秋田書店サンデー新書と共通する「丸に鳥」デザインのマークがあしらわれ、その中に「JUNIOR SUNDAY NOVELS」というレーベル表示がされていることは以前のドキュメント内でも述べた。
「NOVEL"S"」とは銘打ってあるものの、同シリーズの書籍は確認できず、実質この一冊だけと考えられる。
秋田書店からは1963年から「サンデー新書」という新書レーベルを発売しており、この「丸に鳥」マークを使用していた。
実用・趣味・教養やルポが中心のラインナップであったが、国内作家の小説も登場し、1966年の「SFエロチック・ミステリー」からは「SUNDAY NOVELS」というシリーズロゴを使用するようになった。少なくとも1970年までは、「サンデー新書」というロゴと「SUNDAY NOVELS」ロゴが併存していたようなので、「サンデー新書の小説部門」という位置づけであったように思われる。
これは推測でしかないのだが、もしかしたら、新書版の「サンデーシリーズ」の一環として、"サンデーノベルズジュニア版"としてジュブナイル小説シリーズを刊行するという計画の青写真があって、「ターザンの冒険」はそのテストケース第一号として放たれたのでは?という可能性も考えられる。
いずれにもそも子供向けの読み物をメインに据えて成長した会社で、ある意味「本来の十八番」のはずなので、もしこれがシリーズ化されていたとしたならば、あとにはどんな作品が続いたのか、あるいはどういう企画が存在していたのかは非常に興味深いところではある。
経緯を考えると、本来「サンデーコミックス」側にくっつけるよりは「サンデー新書の亜種」として分類するのが妥当なのかもしれないが、上記の理由からサンデーコミックスシリーズの一冊(しかもとびきり入手困難な一冊)として目されている。
カバー折り返しにサンデーコミックスの宣伝が入っているのも大きな理由である。
サンデー新書・コミックスを含めて一つの「サンデーシリーズ」と仮にとらえた場合、
大人向け→サンデー新書(実用・趣味・ノンフィクション)
→サンデーノベルズ(フィクション類)
子供向け→サンデーコミックス(漫画)
→サンデージュニアノベルズ(ジュブナイル文学・漫画以外の読み物)
→ジュニア入門百科(実用・ノンフィクション)
<これは「サンデー」の名前はなく、版型も異なるが、鳥マークは付いている>
というようなカテゴライズコンセプトがあったのかもしれない。
2:内容について
バローズの「ターザンシリーズ」は実に多くの作品があり、この「ターザンの冒険」が具体的にどの小説・あるいは映画に対応しているのかは(何しろ未読なので)よく分からない。特にどれかを訳したというよりは、映画などを参考にダイジェスト的にリライトしたものの可能性が高い。あるいはもっとも著名な「類猿人ターザン」が底本か?
少年向けのターザン本は漫画・読み物を問わずいろいろ出ており、その中で「ターザンの冒険」と銘打たれたもののほとんどが「類猿人ターザン」を基本としているため、本書も同様の可能性が高い。
<参考:ターザンシリーズリスト>
●小説
ターザン・シリーズ(TARZAN series)(エドガー・ライス・バローズのSF冒険世界へようこそ!)
●映画
wikipedia「ターザン」→フィルモグラフィー
*バローズおよびターザンシリーズについてかなり無知の部類なので、「ターザンの冒険」をお読みになった経験のある方の情報・ご意見など随時お待ちしております。
3:初出について
Web上の情報としては、
日本SF年表 1941(昭和16)年(怪美堂)
に、「1941年9月に、新興音楽出版社から本多喜久夫訳の『ターザンの冒険』が単行本として発行された」というものがあり、サンデーコミックスリストには一応これを初出として掲載した。
「新興音楽出版社」は、現「シンコーミュージック・エンタテイメント」の前身(私たちの世代にとっては1983年から使われた「シンコー・ミュージック」という社名の方が通りがいいかもしれない)で1932年に創業。戦前〜戦中は、楽譜や楽器教則本・音楽・芸能関係の書籍の他にちょこちょこと海外文学の訳本も出版していたようだ。
国立国会図書館データベースで「新興音楽出版社」で検索した結果には「ターザンの冒険」は見当たらず、上記のSF年表以外には情報を得ることができなかった。
ちなみに日本では、1932年の「類猿人ターザン」を皮切りとしたジョニー・ワイズミュラーのターザン映画シリーズが公開されて人気があった。この時期にターザンを題材とした書籍が出ること自体は時代的に見て十分ありうることではある。
4:訳者について
訳者としてクレジットされている「本多喜久夫」氏の名前を見たのは初めてで、普通に翻訳家・あるいは英米文学研究者なのだろう…と思っていたのだが、調べてみるとこれまたいろいろと面白い経歴の人だったので、かなり脱線してしまうけれどもまとめておく。
本多喜久夫(1920〜1973)
戦前、映画雑誌を発行・編集する傍ら、各社から翻訳ものを中心に著作活動。
戦後は「オールロマンス社」を設立し、探偵雑誌「妖奇」・雑誌「オール・ロマンス」などを創刊。
編集業だけでなく、「輪堂寺耀」「尾久木弾歩」の名前で自ら小説を執筆したとも言われている。
雑誌類の刊行事業を終えた後はいくつか地震関係の書籍などを発表し、1973年に享年53で逝去。
年 | 月 | 項目 | 著書 | 雑誌・事業 |
1920 | 誕生 | |||
1941 | [訳]英国敗走兵の手記(リイ・ワアナア)[新興音楽出版社] | |||
?[訳]ターザンの冒険(エドガー・ルイス・バローズ)[新興音楽出版社] | ||||
4 | 若い科学者[新興亜社] | |||
[訳編]世界の屑籠[新大衆社]<本多喜久雄名義> | ||||
1942 | 戦争と音楽[新興音楽出版社] | |||
若い科学者-エヂソンの少年時代[興亜文化協会] | ||||
[小説]印度の曙<輪堂寺耀名義>[啓徳社出版部] | ||||
1943 | デマ[愛亜書房] | |||
終戦 | ||||
1947 | 7 | 探偵雑誌「妖奇」創刊 | ||
「オール・ロマンス叢書」発刊 | ||||
1948 | 4 | 「オール・ロマンス」創刊 (〜1954頃?総66冊) |
||
1951 | 10 | オール・ロマンス事件 | この年3月〜1952年9月まで 「妖奇」編集を離れる? |
|
1952 | 11 | 「妖奇」→「トリック」に改題 | ||
1953 | 4 | 「トリック」終刊(総74冊) | ||
1958 | [訳]逆立ちしたM(H.P.トーマス)[東京ライフ社]<尾久木弾歩名義> | |||
[訳]ウガンダ―私は冒険と結婚した(オサ・ジョンソン)[三笠書房] | ||||
1960 | [小説]十二人の抹殺者[小壷天書房]<輪堂寺耀名義> | |||
[訳]タイピー〜南太平洋の愛と恐怖(H.メルヴィル)[白揚社] | ||||
1963 | [再録]世界ノンフィクション全集.(第47)/「私は冒険と結婚した」収録[筑摩書房] | |||
1967 | [再録?][訳]ターザンの冒険(エドガー・ルイス・バローズ)[秋田書店] | |||
1968 | 大地震に予告はない[ルック社] | |||
1969 | 地震[ルック社] | |||
大都市崩壊のとき[ルック社] | ||||
1971 | 大地震の恐怖-そのために[双葉社] | |||
1973 | 逝去 | |||
没後 | ||||
2003 | 1 | 光文社文庫より「蘇る推理雑誌」シリーズ第4弾として「『妖奇』傑作選」刊行。 同書に「生首殺人事件」(尾久木弾歩)収録。 |
●尾久木弾歩
「ほんだきくお」を逆読みにして当て字で作った名前。
ただし本多本人の他に何人かの投稿者も用いた共同筆名でもあるらしい。
●輪堂寺耀
「輪堂寺耀」の正体についてもいくつか説がある。
鮎川哲也のエッセイによれば、"尾久木弾歩"同様に本多喜久夫が作り出し、自分も使うとともに、共同筆名として他の投稿者・作家にも使わせたものだという。
1942年に既にこの名前で著作があるということは、小説家としての本多の筆名だったのだろうか?
探偵の"江良利久一"(名前は「エラリー・クイーン」のもじり)が活躍するシリーズで知られている。
●本多喜久雄
同一人物として扱ってみたが違うかもしれない。
名前を使い分けたのか別の人物かは不明。
WEB上ではいくつか混同表記が見られるが、意図的な書きわけか単なる誤記かはちょっと判然としない。
●探偵雑誌
推理小説や犯罪実話・ルポなどを中心に編集された雑誌の総称。怪奇・猟奇事件の記事なども好まれた。
当時はいわゆる「カストリ雑誌」と呼ばれた雑多でおおむね粗悪(紙・印刷的にも内容的にも)な雑誌が雨後のタケノコのように短いサイクルで創刊されては消えていき、誌名やスタッフを変えてまた復活したりする状況であったことが知られている(「カストリ」の由来は、当時「粕取り酒」と呼ばれた粗悪な合成酒にひっかけて、『悪酔いして三合で潰れてしまう』→『3号で潰れる雑誌』の意とも、使用していた紙がカスまじりの粗悪なものだったからという説とも言われている)。
探偵雑誌のテイストも、ルポ寄り・文芸寄り・エログロ猟奇寄りとさまざまだったが、一般には「カストリ系雑誌」よりはワンランク上の雑誌と位置付けられることが多い。後のミステリ大家の新人時代の作品が載っていたり、江戸川乱歩などの戦前の作品が再録されていたり、時代特有の妖しげな雰囲気が魅力ということで、古雑誌収集界では人気のジャンルらしい。
探偵雑誌もカストリ雑誌同様に創刊・休刊のサイクルが短かったようだが、その中にあって「妖奇」はかなり続いた部類といえる。
他に有名な探偵雑誌としては、一時期江戸川乱歩が編集・運営に関わったことで知られる「宝石」がある。この雑誌の名称は1964年の廃刊後に光文社に譲渡され、数年前まで「週刊宝石」の誌名の中に残っていた。
●覆面作家・別名の使用
上記のように、昭和20年代は雑誌文化が急速に活気づいた時期でもある。
多くの雑誌の文芸セクションにおいて、戦前の人気作家の再録は人気のあるコンテンツではあったが、さすがにそれだけでは目新しさを欠く上に、雑誌が継続すればするほど、再録すべき作品のコマは次第に少なくなり、企画に行き詰まりを生じることもしばしばであった。
雑誌の数がやたらあるだけに、書き手は売り手市場にあった。
その中で無名作家や若手作家が発表の場を得ていくことになるわけだが、一方で
・一つの号に同じ作家が2つも3つも作品を発表するのは、編集部としていかにも書き手確保に不自由しているのが丸わかりで見た目がよろしくない
・本来は硬派な文学志向の作家なのだが、編集部に乞われて雑文やエログロ猟奇寄りの作品を書く・あるいは生活のために書かざるを得ない
という状況も多くあり、そのために別名・仮名を使用したり、「正体不明の覆面作家」として読者の興味を煽ったりすることがあった。
上掲の「尾久木弾歩」や「輪堂寺耀」も、そうした状況のために臨機応変に用いられた共同筆名とする説が有力である。
結局、「本多喜久夫」の略歴を調べてみても、「ターザンの冒険」の訳・リライトがいつ行われたのか、先行単行本があったかどうかは確定できなかったが、なかなか面白い経歴の人物だということだけは分った。
現在、「ターザンの冒険」は、そのレア度からオークションなどでもかなりの高値がついている(ネットで確認した限りでは、オークションにて58,000円という入札履歴があった)のだが、もしこれが「本多喜久夫」名義でなく、人気のある「尾久木弾歩」「輪堂寺耀」名義でクレジットされていたとしたら、その程度の価格では済まない事になっていたのかもしれない。
5:挿絵画家
国会図書館データベースによれば、本文の挿絵は「伊東あきを」とあり、関連著者として「伊東章夫」にリンクされている。
「伊東章夫」で検索すると、確かに関連著書の中にこの「ターザンの冒険」が入ってはいる。
何しろ本文中の書影を見たことがない(なんてったって表紙の画像だけで十分にレアなのだ)ので「伊東あきを」=「伊東章夫」なのかは分からない。
クレジットされているのが「伊東章夫」だとすれば、雑誌「ぼくら」で「狼少年ケン」のコミカライズを担当した漫画家である。
(「狼少年ケン」のアニメ放映は1963〜1965年、「ぼくら」の連載は1964年。現在は「マンガショップ」より復刻されており、当時の絵柄がうかがえる。
なお、作品の原作・キャラクターデザイン自体は月岡貞夫によるもの。)
現在は学習漫画を中心に活動している現役漫画家で、特に恐竜・古生物ものの著書が多い。
「マンガショップ」のプロフィールによれば
1937年、金沢市出身。貸本漫画から雑誌・新聞・単行本へと活躍の場をひろげる。75年『シリーズ・先祖をたずねて億万年』(新日本出版社)で、日本漫画家協会賞優秀賞受賞。そのほかの主な作品に『宇宙漫画シリーズ』(新日本出版社)、『台風ぼうや』(講談社)、『科学漫画館』『ファイト君』(ともに国土社)、『ミスター巨人』(秋田書店)、『すみれさん』(読売新聞社)、『みなしご恐竜トム』(理論社)。挿絵に『まんが なぞとき 恐竜大行進 全15巻』(理論社)。絵本に『トリケとトリプ』(教育画劇)などがある。
とある。
指摘するまでもなく、「狼少年ケン」はその生い立ちや風貌、ジャングルで動物の仲間と共に活躍するというコンセプトが「和製ターザン+和製ジャングル・ブック」の性格を色濃く持っているものであり、「伊東あきを=伊東章夫」だとすればその関連がなかなか興味深いところである。6:表紙画家について
さらに調べてみると、伊東章夫は、少なくとも昭和40年代中盤までは「伊東あきお」とひらがな表示の名前を使って各誌に連載などを持っていた。
また、昭和41年には秋田書店の「冒険王」別冊付録として、その名も「ジャングル太郎」(文・絵=戸田よしや)という作品を描いている。
これがまたまあなんというかその、名前からしてもうモロなんだけども、「どう見てもターザンです」という感じのキャラクターデザインで(しかもお供がサルだったりするのもモロ)、本文の挿絵もこんな感じだったのだろうか?
別の号の付録の扉には「TV放映決定!」と銘打たれてるらしいんだけど…その企画は実現したのだろうか…
(参考:「書庫の中」より「ジャングル太郎」)
この連載が縁で、「ターザンの冒険」の挿絵のお鉢が回ってきたのかもしれない。
表紙担当の小松崎茂(1915〜2001)についてはもはや説明不要だろう。
ターザンとの関連でいえば、昭和42年頃、「週刊少年マガジン」に絵物語「ターザン」の連載を持っていたようだ。
<例>
週刊少年マガジン昭和42年26(6/25号)号にて、
〈王者ターザン〉カラー2頁、小松崎茂・絵「有尾原始人との死闘」2色折込
〈ターザン大冒険〉2色&モノクロ8頁、
(連載)小松崎茂・絵「ターザン」
(古本データ参考)
7:口絵画家について
梶田達二(1936〜)もまた、少年向け雑誌を中心に幅広い媒体で活躍したイラストレーター・画家である。
精密な筆致を生かして、怪獣図鑑などの特撮アートも数多く手がけた。
現在は海洋と船舶(帆船類)や飛行機を題材にした油彩画をメインに現役で活動しており、検索でも多くの作品を見ることができる。
ターザンアートとの関連は不明。
秋田書店との関連としては、昭和40年代、まんが王などの雑誌に作品を掲載していたようだ。
8:日本におけるターザン輸入とブーム戦後、リメイク版ターザン映画の公開によって再びターザン・密林冒険ものの人気が再燃。
と同時に、山川惣治の「少年王者」の大ヒットが契機になって、「絵物語」が隆盛となり、冒険ものが各少年雑誌などで多数掲載されるようになる。なかでも山川作品「少年ケニヤ」や「ターザン」の影響もあり、アフリカ等が舞台となった「ジャングルもの」「密林冒険もの」というジャンルが大人気。ターザン翻案ものやその他の「ジャングルもの」が数多く登場する。
超有名作品である「ジャングル大帝」も、こうした状況にあって、「ジャングルもの」という場が十分あたたまったところでの登場となった。
元来の学童社版に登場するケン一(成長後)は、長髪をなびかせたたくましい半裸の青年として、ターザンを彷彿とさせる野性味あふれた魅力を漂わせていたのだが、原版消失後に書き直された版(そしてこれが現行版)では、腰ミノこそまとっているものの髪形も容貌もいつもの「ケン一少年」になっており、その姿と手軽に出会うすることは難しい。
(現在は「手塚治虫の奇妙な資料」(野口文雄・実業之日本社)などでその一部を見ることができる。)
左:学童社版・及び光文社単行本のケン一
左:小学館絵本版にて書き直された版(現行版の定本)のケン一以下のリストは、日本へのターザン輸入&周辺作品を年表にしたものだが、例によってあくまで暫定版で、抜けや誤記も多分にあると思われるのであくまで参考程度にどうぞ。
ターザン映画は基本的に日本公開年で整理しており、同年製作でないものにはカッコ内にオリジナル製作年を併記している。
また、数が多いので日本未公開作品は省略。
ただし、1970年代以降は未公開作品も一部記載している。
「訳本など」の項目は、バローズの原作にあたったと思われる翻訳本で、抄訳本・低年齢向けリライトなども含んでいる。
「周辺もの」は、和製ターザンもの・ジャングル/野性児もの・女ターザンものなど。これまた多岐にわたるため全容は把握していない。
「周辺もの」の[無]は、「タイトルに"ターザン"という文言が使われているが、ターザンシリーズや周辺フィクションとも無関係」の意。本来リストに掲載するのは望ましくないとも考えたが、「ターザン」という言葉がある種のイメージの共通言語的に用いられている例として記載してみた。
年 ターザン映画・重要事項 訳本など 周辺・翻案もの・ジャングルもの等 関連 1875 E.R.バローズ誕生 1894 「ジャングル・ブック」(キップリング)出版 1914 ターザンシリーズ第1作「Tarzan Of The Apes」初版刊行 1919 ・類猿人ターザン(1918)
<映画第1作>
・続編ターザン(1918)
(エルモ・リンカーン)1920 [洋画]女ターザン 1921 ・ターザンの復讐(1920)
(ジーン・ポラー)・ターザン2世(1920)
(P・デンプシー・タブラー)1922 ・大ターザン(1921)
(エルモ・リンカーン)1925 長篇怪奇冒険 「人か獅子か」
(※1)中學世界(博文館)連載 1927 ・獅子王ターザン
(ジェームス・ピアース)1930 ・巨人ターザン(1928)
(フランク・メリル)1931 [洋画」獣人タイガ(1929) 1932 ・類猿人ターザン(1932)
(ジョニー・ワイズミュラー初主演)吼える密林(南洋一郎) 少年倶楽部連載 1933 [洋画]密林の王者
(バスター・クラブ)[邦画]女ターザン 山嶽魔女 大都映画 1933〜1934 少年タイガー(山川惣治) 紙芝居 1934
・ターザンの復讐
(ジョニー・ワイズミュラー)[洋画]アフリカは笑ふ [洋画]蛇魂 ・無敵タルザン
・蛮勇タルザン(1933)
(バスター・クラブ)冒険ダン吉(島田啓三) 少年倶楽部連載 1935 ・猛虎ターザン(1929)
(フランク・メリル)・ターザンの新冒険
(ハーマン・ブリックス)1936 [洋画]妖鬼インヤー(1934) [洋画]密林の女王(1935) [洋画]ジャングルの女王 1937 ・ターザンの逆襲(1936)
(ジョニー・ワイズミュラー)[洋画]女傑ターザン [洋画]猛獣国横断 1938 [アメコミ]ジャングルの女王シーナ 1939 ・ターザンの猛襲
(ジョニー・ワイズミュラー)[洋画]ジャングルの恋 ・大ターザン(1938)
(グレン・モリス)1940 密林の王者-野獣狩冒険
(南洋一郎)1941 ターザンの冒険(訳:本多喜久夫) 新興音楽出版社 [洋画]森林の女王 1941.12 太平洋戦争開戦 1945 終戦 1946 ・鉄腕ターザン(1938)
(ハーマン・ブリックス)少年王者(山川惣治) 紙芝居 1948 ・ターザンの黄金(1941)
・ターザンの凱歌(1943)
(ジョニー・ワイズミュラー)勇ちゃんの豆ターザン(宇野一路) 青竜社 冒険ターザン(横井福次郎)
痛快ターザン(横井福次郎)光文社 少年王者(山川惣治) 絵物語/おもしろブック連載 「新ターザン絵物語 バルーバの冒険」シリーズ
(〜1951?)(南洋一郎)東雲堂新装社 ジャングル魔境(手塚治虫) 東光堂 ターザンの秘密基地(手塚治虫) 東光堂 [歌]ジャングル・ブギ(笠置シヅ子) 1949 ・ターザン砂漠へ行く(1943)
・ターザンの怒り(1947)
(ジョニー・ワイズミュラー)ターザン紐育へ行く
(著:沖沢利雄)旅行文化社 ターザンの王城(手塚治虫) 英文こども新聞連載 ターザンの洞窟(手塚治虫) 三島書房 かわいいターザン(大日方明絵) 光洋社出版 1950 E.R.バローズ逝去。
この後数年、ほとんどの作品が絶版になる。・ターザン紐育に行く(1942)
・ターザンと豹女(1946)
(ジョニー・ワイズミュラー)[洋画]ジャングル・ジム ターザンの決闘(横井福次郎) 光文社 ジャングル大帝(手塚治虫)連載開始 漫画少年(学童社)連載 1951 ・魔境のターザン(1945)
(ジョニー・ワイズミュラー)勇ましいターザン
(著:中正夫/絵:花山伸吾)
<世界童話文庫5>潮文閣 ターザン印度へ征く
(作:新井石根/絵:川路あきら)
<ターザン・シリーズ>匠人社 ターザンボーイ(伊東隆夫) 東京漫画出版社 少年ケニヤ(山川惣治)連載開始 産業経済新聞 ベビ・ターザン(謝花凡太郎) 中村書店 ターザン(藤波登)(※2) ふたば書房 1952 ・絶海のターザン(1948)
(ジョニー・ワイズミュラー)絶海のターザン
(著:高野てつじ)金の星社 ベビ・ターザン続編・巨人ターザン
(謝花凡太郎)中村書店 小人ターザン(都築敏三) 太平洋文庫 ジャングルのターザン
(著:中正夫/絵:花山伸吾)
<世界童話文庫21>潮文閣 魔境の黄金(横山まさみち) 日昭館 1953 ・ターザン魔法の泉(1949)
・ターザンの憤激(1951)
(レックス・バーカー)ミス・ターザン(謝花凡太郎) 中村書店 1954 ・ターザンと密林の女王(1950)
(レックス・バーカー)「全訳 ターザン物語1 出生の巻」
「全訳 ターザン物語2 帰郷の巻」
(西条八十 訳)生活百科刊行会(小山書店) ターザン物語1
(訳:塩谷太郎/絵:笹沢彪)
<世界名作全集79>
ターザン物語2
(訳:塩谷太郎/絵:柳川剛一)
<世界名作全集88>大日本雄弁会講談社 ターザンの怒り(著:高野てつじ)
<ターザン文庫5>金の星社 1954〜1955 ジャングル・キング(吉田竜夫) 少年画報連載 1955 ・ターザンと巨象の襲撃(1952)
(レックス・バーカー)ターザンの冒険(訳:西条八十) 小学四年生2月号 別冊付録 王者ソマイ(画:阿部和助) 冒険王 ターザンの生い立ち〜ターザン物語
密林の王者ターザン〜ターザン物語
<ロビン・ブックス>
(訳:大久保康夫)河出書房 [邦画]ブルーバ
(「バルーバ物語」の映画化)大映 少年ターザン(※3) 日本書房 1955〜1958 ターザンものがたり(西條八十) 小学三年生〜五年生(小学館)
小学四年生より「ターザン物語」に改題1956 [洋画]ジャングルの裸女 <ターザン文庫>
ターザンと密林の叫び
ターザンと外人部隊
ターザンと死の踊り
ターザンとジャックの冒険
(著:野上彰/絵:加納川郁之助)宝文館 1957 ・ターザンと消えた探検隊
(ゴードン・スコット)ターザンの冒険
(著:亀山博/訳:小西茂木)
<世界の名作21>筑摩書房 ジャングルのターザン
(著:中正夫/絵:花山伸吾)
<世界童話文庫19>日本書房 1958 ・ターザンの激闘
(ゴードン・スコット)ターザン物語3
(訳:塩谷太郎/絵:柳川剛一)
<世界名作全集94>大日本雄弁会講談社 1959 ・ターザンの決闘
(ゴードン・スコット)少年ターザン(和田義三)
<子供マンガ全集1>子供マンガ新聞社 1960 ・ターザン大いに怒る
(ゴードン・スコット)1961 ターザン:アメリカ民話
(著:金井茂/絵:花山伸吾)
<学年別世界児童文学全集>日本書房 [邦画]情欲の谷間 国映 1961〜1962 「ターザン物語」1〜6
(訳:野上彰)実業之日本社 少年ケニヤ(ドラマ) NET系放送 1962 古書店経営者が、バローズの著作権が切れている事を確認後、カナベラルプレスの名で復刻を開始する。他社も参入する。ターザンの模倣作品まで発刊されるようになる。
その後、裁判上のゴタゴタを経て、バランタイン社がターザンシリーズの版権を確保する。(wikipedia「エドガー・ライス・バローズ」の項目より)・ターザンと猛獣の怒り
(ジャック・マホニー)1963 ・ターザン三つの挑戦
(ジャック・マホニー)[邦画]情欲の洞窟 国映 1963〜1965 狼少年ケン(東映動画) NET系放映 1965 ジャングル大帝(虫プロアニメ) フジテレビ系放映 1966 ターザン1〜3(訳・塩谷太郎)
(世界文学全集版から抜き出し?)講談社 ジャングル太郎(伊東あきお) まんが王 新ジャングル大帝・進めレオ!(虫プロアニメ) フジテレビ系放映 1967 ・ターザンと黄金の谷
(1966)
(マイク・ヘンリー)[洋アニメ]ジャングル・ブック ディズニーアニメ ターザンの冒険(訳:本多喜久夫) 秋田書店 ターザン(絵:小松崎茂) 週刊少年マガジン ・ターザンと断崖の怒り
(マイク・ヘンリー)[未公開][洋画]ジャングル・ジョージ ディズニーアニメ 1967〜1969 ・TVシリーズ「ターザン」
(ロン・エリー)1968 [洋ドラマ]ジャングル少年ボンバ NET系放映 1969 ターザン
(文:神戸淳吉/絵:小野かおる)
<オールカラー母と子の世界の名作>集英社 1970 ・ターザンの大逆襲(1968)
(マイク・ヘンリー)1971 1981年まで
映画製作・公開なしハヤカワ文庫SFからシリーズ刊行開始 早川書房 1973 ターザンのぼうけん
(編著:はやしたかし/絵:高志孝子)
<オールカラー母と子の名作>集英社 ジャングル探偵ターザン
(斎藤伯好)
「世界ミステリ全集18」所収早川書房 1974 少年少女世界の名作・アメリカ編6
「密林の王者ターザン」
(文:三井ふたばこ)小学館 ジャングル黒べえ(アニメ) NET系放送 サケザン(松本零士) ビッグコミックオリジナル(5/20号) 1976 ビバ!女ターザン(永井豪) プレイボーイ(10/12号・読切) 老境のターザン(筒井康隆)
(『メタモルフォセス群島』所収)新潮社 こしぬけターザン
(作・絵:O.L.キアケゴー/訳:岡崎晋)さ・え・ら書房 1977 銀河鉄道999(松本零士)
29話『サケザン王国』週刊少年キング 1980 サケザン雷帝(松本零士) 少年マガジン(1/25増刊) ターザンの死
(ヨセフ・ネスヴァードバ)
(『東欧SF傑作集 下』所収)創元社 1981 ・類猿人ターザン
(マイルズ・オキーフ)1982 [ゲーム]ジャングルキング タイトー [エッセイ][無]
ターザンが教えてくれた(片岡義男)
角川文庫 1984 ・グレイストーク ターザンの伝説(1983)
(クリストファー・ランバート)少年ケニヤ(角川アニメ映画) OKAWARI-BOY スターザンS(タツノコプロ) フジテレビ系アニメ [洋画]シーナ 1986 雑誌「Tarzan」創刊(※4) マガジンハウス社 ターサン(徳弘正也) 「ターちゃん」のプロトタイプ作品 1988〜1995 ジャングルの王者ターちゃん
(徳弘正也)(※5)週刊少年ジャンプ連載
1990年より
「新・ジャングルの王者ターちゃん」に改題1989 ・ターザンニューヨークへ行く
(ジョー・ララ)[未公開]ターザン(著・児玉数夫) 平凡社 1989〜1990 ジャングル大帝(アニメ) テレビ東京系アニメ ジャングルブック・少年モーグリ
(アニメ)テレビ東京系アニメ 1991 ジャングル大帝(OVA) 1993 [絵本]ターザン・ゲーム
(舟崎克彦/著 橋本淳子/画)文渓堂 1993〜1994 ジャングルの王者ターちゃん TV東京系アニメ 1997 ジャングル大帝(劇場版アニメ) [洋画]ジャングル・ジョージ 1999 ・[アニメ]ターザン
(ディズニーアニメ)
創元社SF文庫からシリーズ刊行開始 ターザン(著:窪田 僚 )
ディズニー名作コレクション16講談社 メイキング・オブ・ターザン
(ハワード・E.グリーン)産業編集センターメディア事業部 ・[TV]ターザンの大冒険
(1996)
(ジョー・ララ)NHK-BS2放映
ビデオソフトのタイトルは
「ターザン・リターンズ」・ターザン 失われた都市
(キャスパー・ヴァン・ディーン)ビデオのみ発売 2000 ターザン(訳:村田さち子)
<ディズニー名作巻>世界文化社 ターザン
<Disney graphic novel series>ワニブックス [写真集][無]小笠原ターザン
(六渡達郎)竹内書店新社 2001 ターザン(構成・文/斎藤妙子)
<新ディズニーのおはなしきかせて 第1集>講談社 2002 ターザン&ジェーン(OVA)
(ディズニーアニメ)2003 [洋画]ジャングル・ジョージ2
●出版年度不明 「怪獣とターザン」 柿原輝行 四六判 64P ターザン物の赤本らしい
※1 「Tarzan and the Golden Lion」の翻訳リライト
※2 題名こそ「ターザン」となっているが、原作はバローズのものではなく、アメリカインディアン民話「ハイアワサ物語」の主人公:ハイアワサの名前だけを「ターザン」に置き換えた内容のものらしい。
(参考:北原尚彦の書物的日常より「SF的雑記」)
※3 ※2と同内容
※4 「ターザン」の商標はバローズが所有しているため、使用許諾契約を結んでいる。
※5 正式タイトルは最後にハートマークがつく。
[参考にさせていただいたサイト]
●笑うな危険!
●漫棚通信 ブログ版
「ユー・ターザン! ミー・ジェーン! その1」「その2」「その3」「その4」
●エドガー・ライス・バローズのSF冒険世界へようこそ!
●世界魔境美女図鑑
女ターザンマニアとしても知られるSF作家・山本弘氏による「女ターザンサイト」。
氏のサイト「SF秘密基地」内のコンテンツ。
<大正時代>
1919(大正8)年に第一作映画「類猿人ターザン」が公開され、以後シリーズ作品がコンスタントに公開されていく。
第1作はサイレント映画で、活動弁士が冒険譚を盛り上げた。
この時代の資料はあまり多くないのだが人気を博し、女ターザンものなども輸入され、公開されていることがわかる。
<昭和初期(戦前)>
ジョニー・ワイズミュラーのターザンが登場し、「例の雄叫び声」で大人気となる。
欧米で数多くの類似ターザンもの・ジャングルもの・女ターザンものが製作され、日本でも公開された。
少年向け抄訳や、ジャングルものの紙芝居や絵物語・ジュブナイル小説が出版されて人気を博す。
戦前ジャングルものを語る場合に欠かせない「冒険ダン吉」も大人気を呼び、少年雑誌文化を牽引した。
今回調査した限りでは、ターザン映画の公開(封切)は1939(昭和14)年が戦前では最後となっており、1941年12月の太平洋戦争開戦後からは「敵性文化」としてターザンの直輸入や出版は行われなくなっていったのではないだろうか。
そう考えると、1941年に本多喜久夫訳が出ていたとすればかなり貴重な抄訳本であり、また日米開戦に滑り込みセーフの形で世に出たのでは…ということが考えられる。
<昭和20年代>
終戦後は一気に外国ヒーローが再輸入され、ターザン映画も、戦中のワイズミュラーのものを中心に上映されるようになった。
「少年王者」や「少年ケニヤ」が好評を博し、大人気の少年雑誌や単行本のコンテンツとして、ターザンもの・ジャングルものが数多く描かれた。赤本などに登場したエピゴーネンはそれこそ数えきれないほど。
手塚治虫もいくつかのジャングルもの・ターザンものを手掛け、1950年には代表作となる「ジャングル大帝」の連載が始まる。
同時に、低年齢向けのターザンの抄訳・リライトものも各社から刊行されるようになる。
中には、ターザンとは無関係のアメリカインディアン伝説の主人公名を「ターザン」に変えただけという超強引なものまであり、当時の人気の凄まじさが垣間見える。
<昭和30年代>
ターザン映画の輸入・公開はコンスタントに続き、児童文学の枠組みの中で、抄訳ではなく全訳への取り組みも行われる。
「名作全集」シリーズものとして組み込まれる流れがあり、確実に「ターザン」が「定番コンテンツ」として定着した感がある。
娯楽の中心はラジオからテレビへと移っていき、「少年ケニヤ」のドラマ化やアニメ「狼少年ケン」の放映開始、「ジャングル大帝」のアニメ化が行われた。
一方、「アフリカの年」と呼ばれた1960年が象徴するように、アフリカ各国の独立運動が高まり、多くの国が分離・独立を勝ち取り、近代化への道が始まった時期でもある。。
<昭和40年代>
「ジャングル大帝」のアニメが放映され、また「少年マガジン」誌上で小松崎茂の絵物語が連載、大伴昌司のグラビアページにもターザンネタは何度か登場する。
本稿の主題である、秋田書店「JUNIOR SUNDAY NOVELS」の「ターザンの冒険」が登場したのもこの昭和40年代前半である。
ターザンのエピゴーネンものもいくつか存在したものの、数は少なくなっていく。
本家アメリカの映画シリーズも1968年の「ターザンの大逆襲」を境に10年以上空白期となる。日本での公開は1970年。
1971年に、ハヤカワ文庫SFレーベルにて、ターザンシリーズの本格的な翻訳が始まるという大きな出来事があったものの、ほかにはいくつか低年齢ものとして出版されたのみで、昭和40年代後半からはターザンのメディア登場機会は著しく減っていく。
少年文化の興味は劇画やSF、スポーツものへと移り、少年向け雑誌における絵物語の立ち位置が隅に追いやられつつある転換期にあった。
また、アポロ月着陸が象徴するように、「未開のロマンの地」は、アフリカやポリネシアといった南国から宇宙空間へ移行。SFや未来科学をテーマにした娯楽作品が人気を博す一方、現実のアフリカでは急激に独立や近代化が進んでおり、ターザンや従来のジャングルもののイメージからはかけ離れていった。そうした現実感のない密林世界の描写も急激に「古いもの」であり、リアリティの乏しい「絵空事」に変わっていかざるを得なかったのだろう。
<昭和50年代>
この時代の子供の中には、「ターザン」についてのかなりステレオタイプなイメージや、「ターザンごっこ」という言葉や遊びの中にその名前が生きていたのみで、映画封切りが長い間なかったことも手伝い、「児童文学全集などで大体どんな話かは知っているけど、ターザンの映画はちゃんと見たことがない」という程度の認識しかなかった。
「スター・ウォーズ」の大ヒットに象徴されるSFブームの真っただ中、ほかに映画館で人気があったのはホラーもの、パニックもの、また「宇宙戦艦ヤマト」に始まるアニメ映画の本数も増えていった時期で、「ターザン」のイメージはすでに「古典」となり、ハリウッド側も商売になるとはあまり考えなくなっていたのだろう。
この時期に製作されたターザン映画はわずかに2本。
1981年の「類猿人ターザン」はTVロードショーでも何度か放映されたのだが、正直主演のマイルズ・オキーフの印象は皆無で、「ジェーン役のボー・デレクがやたらと裸になっていた」インパクトばかりが強かった。実際この映画を示す場合に「ボー・デレクが出てたやつ」と言うのが一番通りが良かったりする。
少年向けのターザン訳本もほとんどなく(早川の刊行は続いていたが)、漫画や小説に「ターザン的なもの」が登場する機会はあってもストレートなものではなく、パロディや、斜めからの目線でいじられたものがほとんどだった。
1982年になぜかいきなり「少年ケニヤ」がアニメ化され、多少復刻も行われた。主題歌や原田知世の出演が多少話題にはなったものの、大林宣彦とアニメの相性もあってか、アニメーションとしてさほど高い評価は得ていない。
一方、1983年製作の「グレイ・ストーク」は、ステレオタイプな「雄叫びのバーバリアン」というターザンのイメージを払拭し、原作に忠実にインテリジェンス漂うターザン像を描く意欲作ではあったが、大ヒットには至らなかった。
あとはタツノコプロ製作のTVアニメーションとして「OKAWARI-BOY スターザンS」が放映された程度。
「スター・ウォーズのSF風味とターザンをミックスしたコメディ」というコンセプトで、何はともあれ久々の「ターザンもの」ではあった。主人公キャラクターが、低投身のコメディモードから二枚目モードに変身する面白さが売りで、主役の井上和彦の演じ分けがなかなか見事で、声優ファンを中心にコアな人気を博したものの視聴率はあまりふるわなかった。
<昭和60年代〜>
1999年のディズニーアニメ「ターザン」の公開に至るまで、劇場映画の輸入・公開はなし。
ターザンというジャンルのコンテンツ力を失ったかと思われる中、突如として久々のターザンパロディ、徳弘正也の「ジャングルの王者ターちゃん」が登場し、「ターザン」の存在感をつなぐ(と言っていいのかいろいろ疑問はあるのだが)。
最初は少ないページのギャグ連載であったが、人気が出るにつれて、ジャンプ漫画の(悪しき)王道である「友情・努力・勝利のバトル大会マンガ」に変化したのには驚かされた。この路線変更の中でアニメ化に至る。
1999年にディズニーアニメが公開になり、再び何冊かの低年齢向けリライトが出版、ジョー・ララ版のTVシリーズが放映されるなどの余波が多少あったものの一時的な動きでしかなかったようだ。
1980年代以降、
・近代化するかつての「南国」「密林」世界が、ターザンもの・ジャングルもので描かれた光景とはかみ合わないものになった
・かつて用いられたステレオタイプな原住民(「蛮族」「土人」というイメージとその言葉の使用も含めて)描写について、「人種差別的」「植民地主義的」という批判の対象になっていったこと(作品によっては、日本の軍国主義・南進主義の具現化であるという批判も受けることがある)
・動物愛護的な観点からのクレーム(時には主人公が動物の毛皮をまとうことすら批判される)
などの過剰反応的な批判が古い作品を中心に集まるようになり、ジャングルものやターザンもののリメイクは何かとやりづらくなってしまったのだろうか。
また、製作サイド自身がそうした反応に身構えての過剰な自主規制を余儀なくされていく流れも、ターザン・ジャングルものの衰退と大きく関わっているように思われる。
現在、直系のターザンものといえる作品は見当たらないものの、芸名やニックネームに「ターザン」という名前が用いられることはしばしばあり、断片的かつステレオタイプ(おそらくバローズの原作ファンは好ましく思わない類の)なものではあるが、「ターザン」のイメージの命脈はそういう部分でたもたれているようだ。
例えば、「蛮勇・気は優しくて力持ち・マッチョ・長髪・半裸・ワイルド・優れた身体能力・よじ登る・ぶら下がる・自然児・肉体派」など。
[例:ターザン後藤・ターザン山本・ターザン山下・ターザン山田 等]
枝葉の部分が長くなってしまったが、要するに本多喜久夫訳の「ターザンの冒険」は、まだターザンのコンテンツ力が健在であった時期に出版されたターザン抄訳本の一つとして位置付けられるものであろう。
また、もし一部のデータ通りに「1941年発行」のものと同じであれば、かなり早い時期の訳本と考えられる。