偉大なる先輩達

本校からは沢山の才能ある人材が巣立ち、現在は多数の卒業生が各界で活躍していらっしゃいます。
ここでは卒業生の中から著名な人物を取り上げて皆さんにご紹介し、是非本校の歴史を心に刻み、また自らもビッグになる決意を新たにしてほしいものです。

第1回:「高温高圧流体力学の親」苦竹博士

       


     近影      
(準備中)





サン・ファン・バウティスタ・苦竹(本名不明)

昭和30年本校トローリング科入学
昭和35年卒業
その後高知にてサバ猟師として活躍後、再び学問を志し、ボストン硬貨大学に入学。
馬頭観音のお告げで方向転換し、東北オルゴン工業大学大学院在学中に高温高圧流体力学の基礎理論を発見する。

平成9年、高温高圧流体研究所を設立。
大家さんにはとても言えない試行錯誤の後、苦竹98の開発に成功する。
 博士が高温高圧流体理論を発見したのは、意外な偶然がきっかけでした。
 研究室で失恋のウサばらしに泥酔し、ふとサバ猟師だったときのことを思い出して、冷蔵庫にあったサバの押し寿司をレンジで加熱しました。
 すると、レンジの時間が長すぎたため押し寿司の水分は抜け、生臭さで食える代物ではなくなっていました。
 しかしその瞬間、博士の脳裏にあるひらめきが生まれました。
 箸も刺さらないほどご飯を固め、サバの水分を抜いてしまう押し寿司製造の圧力。
 まずいけど食べようとしたら唇を火傷させるほどの、レンジ加熱による高温。
 これらの2つを合わせれば、かつてないクリーンなエネルギー開発が実現されるはずだ、と博士は気づきました。
 そして、当時の彼女に押し寿司を作らせるこ28本。途中3回ほどアニサキスをもらってしまいましたが、ついに同理論が完成したのです。
 学会での反応は最初は冷たく、レンタルビデオ・スペース駅前店の会員資格を剥奪される憂き目にも遭いましたが、博士はくじけずに実験を繰り返し、「美味しいベニアズマの蒸し方」に高温高圧流体力学が有効であることを証明し、世に認められました。
 そのあと、フィリピンパブのアンナマリーちゃんとの同棲と破局、西公園異臭騒ぎなどの苦労もありましたが、ついに苦竹98を開発。
 そして本校推進機関に同理論が採用され、本校とは切っても切れないご縁の深い秀才科学者なのです。

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