南極観測船・宗谷に関して

 掲示板「TV高札」にいただいた、やまい様の書き込みを編集させていただきました。
 やまい様、いつも様々な情報を提供いただきまして本当に有り難うございました!!


「宗谷」は元々は北満鉄道買収の代価としてソ連向けの耐氷構造商船として建造、
それが後に キャンセルされて国内の海運業者に入手されて昭和13年竣工、その時の名前は「地領丸」。
日ソ関係悪化により耐氷構造に着目した海軍が購入、「宗谷」と命名、輸送兼測量艦として 北洋からラバウルまで駆け回ったフネ。基準排水量3800t、長さ77.53m、幅12.8m。
その船体に当初の機関出力1450馬力。 それゆえに、かなり足は遅く(汗)、速力12.1ノット。

これが航空機にも潜水艦にも致命的傷を負わされず、全く幸運にも終戦を迎える。
そして復員輸送。「耐氷構造」程度ではなく本格的砕氷艦である「大泊」は機関不調で
復員輸送にも従事せず解体。宗谷もやがて解体を待つ。しかし、海上保安庁の灯台補給船に 空きが出てしまい転用。さらに巡視船となった翌年に艦齢18年で南極観測船への転用が決まる。

昭和31年と云うと、高度成長期のまだもう少し前。チキンラーメンはまだその2年後。
日本の国連への加盟が年末にやっとみとめられる年。住宅公団が初の入居者募集をした年。
インスタントコーヒー輸入が開始された年。ビルマ/インド方面への政府遺骨収集団が
初めて出発した年。初の週刊誌(週刊新潮)創刊。「少年」に「鉄人28号」連載開始。
トヨタ「コロナ」発売。売春防止法公布。石原裕次郎デビュウ。川上哲治2千本安打達成。

といった背景なのですね〜。

↑宗谷は石炭焚からディーゼルに換装されておりますね、後に。
でもって、関連情報を少々。
宗谷そのものは、
http://www2s.biglobe.ne.jp/~ships/kagaku1.htm
南極観測隊の「お宿」は、
http://www.takenaka.co.jp/news/pr9707/m9707_01.htm

上の方に書いた宗谷の要目は南極観測船に改装される前。
船の科学館に展示中の宗谷の要目が上記↑サイトにあるので、
比較すれば牧野元造船官の苦労も多少想像できます。
比較と云うなら、そこに併記されてる「ふじ」「しらせ」と
比べれば、宗谷の非力さがよーく分ります(汗)。
「宗谷」は運行が海上保安庁で、「ふじ」からは海上自衛隊かな。
「ふじ」の模型はニチモから出てるのですが、宗谷はちゃんとした
模型が市販されてない模様。タミヤで良いのを1/350で出さぬかなあ。
2つは買って、関わった人々を思って泣きながら作るけどなあ(笑)。

 いつもながら、飛行機・船舶・ミリタリー系をはじめとするやまい先生の博識にはお世話になっております。有り難うございました。