人形造形について

人形造形:友永詔三(ともなが・あきみつ)

1944年、高知県に生まれる。東京デザイナーズ学院インテリアデザイン科卒業。
1968年、オーストラリアに渡り、ピーター・スクリンベン氏と美術家イゴール・ヒチカ氏に師事。
1969年。オーストラリア国立人形劇団に移り、1970年の大阪万博での演劇「魔法のプリン」の人形制作を担当。
同年帰国後、人形デザインと制作、舞台美術・演出などで活躍。87年には、舞踊劇「卑弥呼−日の出女王」をニューヨークで上演。
作品集に『聖少女幻想』など。

先日、山形県酒田市の本間美術館で開催されている「友永詔三の世界−魅了する造形−」展を見てきました。
その中にプリンプリン物語で使用された人形も展示されており、20年以上ぶりの再開を果たすことが出来ました。
プリンプリンやボンボン・カセイジン達のほかにもランカー・ヘドロ・ルチ将軍、花のアナウンサー、またサブキャラなど40対以上の人形と、イメージデザイン画が展示されていました。
惜しむらくは、人形の足元に名前だけでもいいからキャプションをつけておいて欲しかったです。(もう忘却の彼方のものも多数あるので…)
操演用の付いた手の部分あたりがかなり傷んでいたので、実際に操演に使われたものと思われました。
実際に間近で見てみると、印象以上にキャラの顔色が黒く、木地の色が生で出ている感じなのに驚きましたが、このことについては以下のインタビュー記事で納得。

聞き手:1979年から放映されたNHKの連続人形劇「プリンプリン物語」では、三年間に五百体もの人形をお作りになったそうですね。
友永氏:人形劇における造形作家の仕事は、脚本を読んで、文章からイメージして、キャラクターを形にしていくことです。
     「プリンプリン物語」の場合、幸い、とても自由に造ることが出来ました。
     僕は、関節に球体の入った独自のスタイルで人形を作っていましたが、それをこの人形劇用に改造してみたんです。それで、全身を木で作ることができました。
     プリンプリンにはアメリカヒバを使いました。まつげには鳥の羽をつけて、口紅とほお紅を塗っていますが、肌は、木地そのままなんです。
     ランカーには桐の木、シドロモドロには松の木を使いました。
     プリンプリンの髪の毛は日本刺繍の糸カセイジンは鶏の羽毛、そのほか、金属を使ったり、タワシで作ったり、使えそうなものは何でも使うという感じで作りましたね。
     衣装やアクセサリーなどで、それぞれのキャラクターに個性をもたせるために、当時、原宿の名物となっていた竹の子族などもよく見に行きましたよ。

(以上「SPOON」2002年8月号のインタビューより)


そういわれてから見てみると確かに様々な素材が使われていますな。

細かいアクセサリーなどや持ち物、画面では見えにくい靴の先までもキャラクターの個性を活かして作り上げ、また本物の銀細工やビーズ、布の素材もいろいろに使い分けされ、時には本当の牛革やヘビ皮などが貼り付けてありました。その妥協のなさには感心させられっぱなしでした。

この展覧会は各地を巡回しているようなので、そのうちにお近くに来るかもしれません。その際には是非ご覧になってみてください。
ちなみに酒田での開催は9/3までです。
(会場で販売している図録には、プリンプリン関係の写真はありませんでした。)

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