注:下線があるのは、先生が文の脇に、「特にここが良い」と言う意味で「」を付けた箇所。
   ガキの作文なので省略が激しく、灰色の部分で主語などを補っている。

「おとうさん」 二の四 だいどうじ れい
(5月30日)

わたしの おとうさんは、朝、(私が)気もちがわるくて、
「気もちが、わるくて、おきらんね(*1)。」というと、
「けびょう、けびょう。」というので、わたしは、そのたび、いやに なります。
*1
方言。「起きられない」。
 このあいだの、土よう日に、かぜを、ひいたけれど、
(父が)「けびょうを つかうな。」といったので、(*2)
 かえるときに、くみちゃんと、たけ田さんに かたを かしてもらって
かえって きました。 
*2
ここの省略が激しいので補足。
朝、不調を訴えたのだが「仮病だろう」と信用されず、無理をして登校。午前中に高熱を出して保健室で倒れ、友人の肩を借りてようやく帰ってきたということがあった。
要するに、そこまで疑われるほどに、日頃とにかく学校を休むべく画策していたらしい。
 でも、日よう日だと、ときどき、わたしより、おそく(まで)、ねているときが あります。
 だから、そんなときは、
「人のことは いえないよ」。というと、おかあさんも 「ほんとだね」と いいます。
 このごろ、“アデランス”のコマーシャルがあると、
(私は)あれつけろ、あれつけろ。」といいます。
 なぜなら、うちの おとうさんは、さいきん、おでこの あたりの かみが
うすくなって いるからです。
(*3)
 いまにも 車が スリップ しそうに つるつるです、
41さいにもなったんだから、むりもないです。
(*4)
*3
先生もなぜこんな所に「○」を付けたんだか、全くもってわからん。

*4
ガキのくせに、妙に物わかりのいい文章である。
 もう 一つ こまることは、イビキです。
おかあさんの ねるのが おそくなると、あとから、おとうさんが きます(*5)。
 そして、まん中に、おかあさんが いないので、すこしずつ 
ちかよって くるのです。
 わたしは そのたびに ゾーッと します。イビキは、うるさい。
わたしは、「なんで もっと いい人と けっこんしなかったの。」ときくと、(母は)
「おとうさんは、 わかいころなんか、ハンサムで やさしかったのよ。」といいます。(*6)
 「そうかなあ。」と いまでも ナゾに おもっています。
 ほんとに へんな クセばっかりもっているなあ、
「あんなのが、わたしのおとうさんだとおもうと がっくり くるなあ。」
というと、おこられます。
*5
当時、一つの部屋に、私・母・父という並びで川の字に寝ていた。
母の就寝が遅くなると、私が寝た後に父が布団に入る。
母というクッションがない状態で近寄ってこられるのが、よっぽどイヤだったようだ。
というか、イビキそのものよりもイヤだったんだな。
*6
しかしこの10年後、「正直、選択を誤ったと思う」と告白した。
でも、いいおとうさんだなあとおもいます。(*7)
だけど、やっぱり、ヘンなクセはなおしてね。おとうさん。

                                 おわり
*7
「そろそろシメも近いし、このへんで一応フォローしとくか」という計算がミエミエで小ざかしい。
しかし、フォローの根拠が何もないので、上っ面だけなのが分かりすぎるほどに分かってしまう。
やさしい いい おとうさんね(*8)
おもしろい かぞくですね、とてもじょうずに かいてありますよ
*8
この文章のどこを見て
「優しいいいお父さん」と言うやら、
先生のコメントも謎である。

書き起こしてみたはいいけど、あんまり笑えるもんでもなかったですね。すみません。
つーか、「お父さんが嫌い」ということしか伝わってこないよな。


「二年生になって」(4月12日)

(抜粋)

二年生の べんきょうは、一年生より、すこし むずかしいけど、
がんばって べんきょうを すれば、きっと たいいくの せいせきも
上るだろうと おもいました。
(*1)
*1
前向きになってるのはいいんだが、あまりにも虫のいい発想だ。

「えんそく」(5月10日)

(抜粋)

 きのう、えんそくで、●●●の ようとんじょに いきました。
 いくまで、とてもつかれました。
さいしょに、ぶたを見ました。
ぶたごやが くさいのは、あたりまえでしたから、わたしの もってきた 
せんたくばさみで、ちょっと、(鼻を)とめていたら(*1)、田中くんから、
「だいどうじさん、天ぐになるぞ。」と いわれて、わたしは、いそいで、とりました。
 そして、ずっと、ハンカチで、おさえていました。(略)
*1
準備周到なところが実にコドモらしくない。
 おかあさんに、「ニワトリのフンが、すな山の ようにいっぱい あったよ。」と、いったら、
おかあさんが、
「んだら、もらってくると いかたな。(*2)」といったので、
「なんで。」といったら、
「こやしにすると いいんだじぇー(*3)。かげぼしにすっど いいんだよ。」といったので、
「ほんと。」といったら、
「ほんとだよ。」といったので、
「んだら、なにさえっでくっどいいのや。(*4)」といったら、
「ビニールぶくろさえっでよ。(*5)」といったので、
「リュックの中くさくなる。」といったら、
「そのままでよ。」といったので、
バカかとおもわれる。」(*6)といいました。

                                                おわり
*2
「だったら、貰ってくればよかったね」
*3
「肥やしにするといいんだよ」
*4
「じゃあ、何に入れてくればいいの?」
*5
「ビニール袋に入れてくるのよ」

*6
シメの一言が妙にクールかもしれない。

「じしん」(6月20日)

(抜粋)

(略) 
 はじめは、バスの 音かと、おもいました。
 でも、あまり、ゆれるので、じしんと、気が つきました。
 おかあさんが、わたしの 手を、いやと いうほど ぎつく にぎるので、
これいじょう ぎつく にぎられたく ないので、いそいで にげました。
(略)
*1
生まれて初めての大規模地震だったのに、逃げる根拠がそこか。
 そして、じしんが、やっと、おさまったので、テレビを 見ようと、おもったら、ていでんなので、つきませんでした。
 おにいちゃんの ラジカセを、きこうと おもったら、かんでんちが ないので きけませんでした。(*2)
*2
危機管理がてんでできてない家である。

(宮城県沖地震の時の作文。マグニチュード7.5の、初めて経験する大地震で、怖かった記憶がはっきりあるんだが、当時の作文を見るとヘンに暢気にしか見えない。)


「がんばりたいこと」(1月10日)

それから、四ばんめは、やせる ことです。
わたしは、学校の 体じゅうそくていの 日が とても いやです。
二学きの 体じゅうそくていの日に、ほけん室の 先生から、
「太りすぎの おねえちゃん。」といわれた時(*1)は、心ぞうが
「ドキン」
と しました。そして、とっても くやしいような 気もちが しました。
*1
今だったら間違いなくクレームものなんだろう。
そして、五ばん目は、朝早く おきることです。
いつでも、わたしは お母さんから、六時半すぎに、おこされるのに、
きがえの おわったのが 七時だったという ことが ありました。だから、
夜は 早く ねて、朝は 早く おきる くせを つけないと、大きくなってからもこまるし、(*2)
それに お母さんも こまると思います。
だから 早ね早おきを人の ためで なく、じ分の ために じっこう します。
*2
その通りです。困りまくってます。

「はじめて ひこうきに のったこと」 三ノ四 大道寺 零

わたしたちは、17のA、Bせきで一ばんうしろでした。
17のCせきの外人さんは、オレンジジュースを3ばいもおかわりしました。
よっぽど気になってたんだな、ジュースが。
多分、自分も三杯おかわりしたかったんだろう。

「小さい時の エジソンについて」(11月30日)

 エジソンは、小さいころから、まわりのことに気をつけて見ていたから、
火はなぜもえるかとか、木はなぜくるうか(*1)、かげえのうつるわけなどを、しんけんに考えられたのでしょう。
まだ五才なのに、そんなにものごとをしんけんに考える力を持っているなんて、すごいなあと思いました。
 わたしなら、そんなことを考えてもわからないから、そんなことを考えても、考えただけで、終わってしまうでしょう。
 なのに、やっぱり、アルは近くのものにきょうみをもって、ふしぎだと思えば、すぐ人に聞いたりして、その理由を自分でたしかめてみたいという気持ちがあったんだな。
 えらいと思いました。
 そういう気持ちが大きくなって、そして、どりょくをかさねて、三千もの発明をなしとげられて、「発明王エジソン」といわれる りっぱな人になれたんだと思いました。
*1
どういう内容だったか、もう思い出せないので不明。
 わたしは、どんなにがんばっても、エジソンみたいなりっぱな発明は、できないと思います。
 そして、エジソンのようなりっぱな人にもなれないでしょう。
(*2)
 エジソンは、すごくりっぱな人だと思いました。
*2
偉人の評価から自分語りに入って、客観視を始めるのはガキ作文の常道だが、何もここまで見切らなくても。

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