2004年3月後半 

ルーズな管理人ゆえ、毎日書くとも限らない日記です。
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*は購入書籍類、#は購入ソフト類、●は作った食事など。

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3/31(Wed)

▼天気はよかったが、風と黄砂と土ぼこりがひどく、3分外にいるだけで花粉症になりそうな天気。だが全然辛くないのは、シソの実オイルが効いているのだろうか?昼、兄が代休とって帰ってくるのを待ち、父と三人で回転寿司「太助」で昼食。変わったネタを多く置くので有名な店。今日は鯰とダチョウ(赤身でありながら超タンパク)ほか、好きなものをいくつかつまむ。帰りに土産の煎餅を買い、店で高校野球の経過を聞く。ダメモトだったのだが、「6−1で勝ってる」と聞き驚愕。急いで帰宅して試合終了を見届ける。中身はほぼ外人部隊とはいえ、もう「ベスト8にも行った事がない」という言われ方だけはされずに済むのはやはり嬉しく思う。ところで「山形が勝ったら全裸で六本木ヒルズを闊歩します」と宣言した人が某所にいたのだが、その後どうしたのだろうか。
▼実家の町で看板探ししながら帰途に着く。思いのほか色々収穫あり。次に来た時には、裏道の方も回ってみようかと。東根のあたりで、兄が折角用意してくれた生蕎麦を忘れてきた事に気付き、父に送ってくれるように頼む。ゴメン兄。新庄でもちょっと撮影。他にも色々物件はあったのだが、国道ではなかなか止まれず残念。だが、次回帰省する時の楽しみとはなった。
▼途中、戸沢で休憩した時に買ったキムチとマッコルリは夕飯の時に楽しむ。また、母の綾土産「木挽(芋焼酎)」限定バージョンも美味かった。
▼どうでしょう公式サイトのD陣日記に、ついに「旅に行って来ます」の文字が。人の旅の出立でこんなにワクワクさせてくれるのは、どうでしょうさんならではだろう。どういう企画になるかは放映されてのお楽しみなのだが…なんとか、「リターンズ」視聴地域で見れるようにしてくれんものか。

●マグロ頬肉とエリンギのバターソテー/やりいか煮/ほうれん草ともやしの胡麻和え/カクテキ/大根と油揚げの味噌汁

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3/30(Tue)

▼山形の事務所で一件引継ぎの用事あり、久々に車で向かう。いつものようにバスで爆睡していく予定だったのだが、時間に合うバスがないために車にする。途中で足を止めて看板撮影する心積もりもあったので苦にはならない。天気はとても良く、1m以上も雪が残る月山道で窓を少し開けると、いい感じに涼しくて、気分爽快。高速を使って山形到着。車を事務所の駐車場に停め、すずらん街と駅前裏道あたりを少し散歩しつつ、少し撮影。そこそこ収穫があった。特に、今はなき「ニチイ」には、子供の頃の思い出が沢山あり、電信柱にその看板が残っていたのは嬉しかった。
▼Hさんと仕事引継ぎの打ち合わせ。私よりもずっとスキルのある人なので、後を上手く続けられるかがすこぶる不安。打ち合わせは一時間程度で終わり、そのあとPCのことや職場のこと、食べ物屋さんのことなど、気が付くと随分長く、楽しく話し込んでしまった。
▼夕食の準備を整え、母と兄の帰りを待つ間、自分の部屋や家の飾り棚を物色し、撮影できそうなもの・昔の広告グッズなどを探す。富士銀行の貯金箱、コカコーラのスーパーカー王冠、小学生の頃コレクションしていたマッチから、よさげなモノを選ぶ。特にスーパーカー王冠は、キープしていた自分を褒めてやりたいほど。
▼母が先日、九州に出張に行ったときの写真を見せてもらう。宮崎に泊まったそうで、綾の吊橋・鬼の洗濯岩など、「どうでしょう」でおなじみの場所が続々と。また、宮崎に行ったついでにジャイアンツのキャンプも見学し、ローズ・高橋・清原などの写真も撮ったと見せてくれた。結構よく映っていた。ホテルにいた王監督の写真も。神社に寄った際にキープしてくれた狛犬の写真も貰う。
▼最近広告撮影に走っている、という事を言いながら、昔の思い出などを母と語る。私がはじめて覚えた言葉は、「つづく」だったと母は言う。根っから、相当のテレビっ子だったらしい。
▼部屋にて、小学生の時の作文ファイルを読む。全体的に見て、小学生低学年の時点からダメ人間ぶりを発揮していて、我ながらイヤになるほどだ。

「『二年生になって』

 わたしは、二年生になって、二日目の あさ、早おきが できるように なった。
 なわとびでもしたくなったので、しようと おもったけど、『テレビジョッキー』というテレビで、じかんを いつも つぶします。」




orz。

一日たまたま早起きしただけで「早起きできるようになった」と大口叩いておいてこの体たらく。
やっぱり双葉よりダメ人間。
中でも、父について書いた作文は、あまりに容赦なさ過ぎて突出した出来だった。
ガキの作文とは、誰でも突き抜けちゃってて笑えるもので、この程度のものは珍しくも何ともないのかもしれないが、記念に一つUPしてみた。お暇な方はどうぞ。
▼昨日の日記に書いた「メリーミルク」、調べてみると、まだ缶で販売されてはいるらしい。業務用メインか?
▼海洋堂と水族館共同企画のボトルキャップシリーズ。最近食玩も種類がありすぎて付き合いきれず、本当に興味のあるものだけに絞って買っているので、「もう海ものボトルキャップはいいかな…」とスルーにかかっていたのだが、セブンイレブン限定でドリンクノベルティ(また「MIU」か?)になるとのこと(「食玩ニュース」より)。くそー、菓子に比べて本体の実用度が高いだけに、また買ってしまいそうだ。それにしても「伊勢海老」は盲牌分かりまくりかと思うのだが…そのへん上手く梱包で誤魔化すつもりだろうか?

●鳥の水炊き/カツオとひらめの刺身/五月菜のおひたし/炒り大根/かぶときゅうりの浅漬け/なめこと豆腐の味噌汁

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3/29(Mon)

▼芸能界で有名なホーロー看板愛好者といえば、あき竹城なんだそうだ。くしくも同郷だが…ちょっと微妙な思いが。
▼知っているか!スコッチブライトのこのキャラクターの名前は「スミちゃん」というのだ!
……たったそれだけのために、普段は買わない高級スポンジ(いつも100均かそれ以下ばっかりなので)を買ってしまう私はホントーにバカだ。
▼子供の頃よく食べたコンデンスミルクに、明治の「メリーミルク」という製品があった。検索したところ、今も作られているかどうかは不明。廃盤か?缶には、女の子(多分この子がメリーさん?)が缶を持って立っている絵があった。この持っている缶がメリーミルクの缶と全く同じデザイン。だから彼女の持つ缶の中ではまたメリーさんが缶を持ち、その中ではまたメリーさんが…と、「無限メリーさん」はどこまで終わるのか?と考え出すと、ガキながら迷宮に迷ったように頭がクラクラしたのを覚えている。これほどの奥行きを感じさせる缶のデザインも、後にも先にもなかったような気がする。もう最近は、イチゴに練乳をかけることもなく、せいぜい夏に数回作るかき氷に使う程度(それも大体は使いやすいチューブ式)なのだが。チューブでもいいからメリーさんが登場してくれないものか、と思うのだが、アレは缶を持ってるからサマになるのであって、チューブを逆さに持っててもカッコつかないか。
▼ゲーム「塊魂」のCMを見ていると、「幻魔対戦」初期の準トラウマシーン・「人間ボール」を思い出してならない。小説版の生頼イラストもキツいものがあったが、よーく見てみると石ノ森版もエグかった。あの辺りまでは面白かったのに。幻魔も、平井和正も。(遠い目)

*「食いたい!男の漬け物」 小泉武夫/「東大教師が新入生にすすめる本」 文藝春秋編

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3/28(Sun)

▼昨日小アミのゴミ取りで目を酷使したせいか、夜更かしを差っ引いても異様に眠い。「デカレンジャー」もせっかくジャスミンの話だったのに、最後5分落ちてしまっていて自分を責める。「デカレンジャー」が良いな、と思える要素の一つに、「自ら目指してデカレンジャーになり、プロとして、誇りと責任を持って頑張る姿」がある。だから全員がキリッとして見える。ここのところ(ガオレンジャー以来)、「たまたま(もしくは秘められた素質があって)●●から選ばれ、成り行きに同意して戦う」というパターンが多かった(ハリケンジャーはちょっと違うが、あれも成り行き型ではある)のもあるかもしれない。ジャスミンは、役柄を除外しても、キリリで美人だ。あの微妙な死語と年寄り臭いお茶目(この言葉自身が死後だ)さがたまらん。勿論仙ちゃんも、今日も美味しかったし、小梅は絶滅危惧種であるポニーテールの良さを存分に振りまいている。この辺のキャラクターにコクがあるだけに、赤のキャラの薄さ(なんてことを毎年言ってるような気がするけど)が際立っているのが悔やまれる。
▼昼、初めて家でタンタンメンを作ってみる。この間「愛のエプロン」でお手本を見て、「実は家で作りやすいのでは?」と思ったので、芝麻醤を買ってきてもらって試作。ちょっとしょっぱめだったが、なかなか食えた。味は少しお湯を足して調整。甘さ・辛さ・コッテリ具合を自分で好きに調整できる上に、味の性質上、ベースのスープもあまりうるさい事言うようなもんでもない(勿論、きっちり作りこめばさらに美味しいだろうけど)ので、タンメン以上に家で作りやすいラーメンかもしれない。外で食べると、割と高い上に、醤類を使い惜しんでハズレの店もある(酒田ではアッサリ志向が強いので、全体の味が薄く仕上がってる場合がある)ので、これは試行錯誤する価値があるかもしれない。
▼午後、なぜか激烈に頭痛。少し休んで買い物に行く。昨日ゴミ取りで疲れたのと、頭痛で色々やりたくないので、手抜きする事にして、豚しゃぶに決定。水菜がなく、うちの定番であるほうれん草(これも十分に美味しいのだが、相方の結石によろしくないのであまり気が進まなかった)でやる。旨し。
▼明治時代から続くパッケージとビン目当てに、明白の「美顔水」を購入。早速付けてみるのだが、伝統化粧品にありがちな強烈な匂いが立ち込める。しかも少し刺激を感じる。「にきびを防ぐ」のがウリのアイテム、30代の肌には厳しかったか?久々に「@cosme」で口コミ情報を見たところ、「ニキビにはよいが、乾燥する」「刺激が強い」「薬感覚で、スポットだけに付けるのが吉」「肌質にもよるが、全体に付けるのは危険かも」などのご意見が。鏡を見たらいつもより顔全体が赤らんでいたようだったので、一度洗い落とし、いつもの化粧水を付ける。やはり「もはやニキビじゃなくて吹き出物と呼べ」な年齢で試すのは身のほど知らずだっただろうか?「ふき取りに良い」「夏場のTゾーンに」という情報もあったので、いずれベタ付く季節に、部分使いで試してみるかも。ちょっとがっかり。まあ、高いものではないので、最悪腕にでも塗ったくるという手があるけれど。頭痛は食後にはおさまり、安堵する。
▼ニュースで、「算額を作ろうコンクール」表彰式の模様が映されていた。「和算」という文化はまだまだ一般に広く知られているとはいいがたいが、算数好き生徒の活躍の場としてこういう企画があるのはいいことだと思う。しかもきちんと算額の形(「奉納」の二文字から始まっている。そうでなくては)で出品されているのが、神社好きとしては嬉しい限り。日頃の鍛練の成果を披露し、さらなるレベルアップを祈願して流鏑馬行事が行われるのと同じように、和算の問題と解法を書いた大きな絵馬が奉納された。これが算額だ。(詳しく紹介しているサイトに、「和算の館」がある)山形県にも重要な流派があり、わりと多くの算額を見る事が出来る。大賞を受賞した女子高校生の算額は、額としても字や絵が美しく、問題もエレガントだった。数学苦手人間としては、「すげーなあ」と感動するのみ。

●豚とほうれん草のしゃぶしゃぶ/卯の花煮/タイサイと油揚げの炒め煮/豆腐とネギの味噌汁

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3/27(Sat)

▼もう10年以上前の「TV探偵団 地方CM特集」で、四国は香川県の銘菓「かまど」というおまんじゅうのCMを見た。このまんじゅう、真ん中よりちょい下にかまぼこ形の焼き模様がついていて、あたかもかまどのように見える。CMでは、そのまんじゅうに小さな目をつけて擬人化し、CMソングを歌わせていた。ただそれだけのものなのだが、素朴な顔が「かーまーどー かーまーど♪」と歌うのがひたすらにツボを突かれて可愛くてたまらなかった。それを思い出して、「かまど」で検索し、サイトを発見。しかもページの至るところに、あの「かまどちゃん」がいる。カーソルを動かすと画像がついて来る、という演出はウザくて重くてキライなのだが、かまどちゃんとなれば話は別だ。もう萌え死ぬかと思うほどに。例のCMも見れるし、ミニゲームも出来る。この神経衰弱ゲームは、制限時間が短く(クリアした人に抽選でグッズが当たるらしいので)、コマもかまどちゃんだけなので、微妙な表情と動きの違いを覚えておくのが難しく、思いのほか厳しい。Webって本当に素晴らしい。食った事もない遠くの銘菓のキャラクターでこんなに萌えられるとは。
▼「スピカ」最終回。どう転んでも、「みんなで一緒に宇宙目指して頑張ろうね!」というラストにしかならないだろう(そうでなければ、「●年後」…というパターンか)とは思っていたが、もうちょっとやりようがあったような。かといって、叩くほど酷い出来でもないけれど。「ライオンさん」がいる世界だから、「クローンが記憶を継承する」くらいのことはアリだとしても、マリカのテレポーテーションは許容するわけには。同じマリカでもジャスミンさんなら別だけども。また、ライオンさんの成仏もあまりにイキナリで説得力なし(彼が成仏ということは、もう「第二部」を作る可能性はないということか)。この作品は、「十二国記」製作中止で余った枠を埋めるために企画され、準備期間も十分ではなかったらしいが、それにしてもエピソード割り振りや作画のムラをどうにかして欲しかった。1話ではぐっと引き込まれて、期待もしただけに。
▼アイキャッチのアスミのダサい(30年前のピアノの発表会で、母親が忙しいのでばあちゃんに買いに行ってもらったこうなっちゃった的な)服、この先のエピソードで登場するのかと思っていたが、特にそういうこともなく。あのワンピースは一体なんだったのだろうか。獅子号墜落の原因より、そっちの謎の方がよっぽど気にかかっていたのだが、最後まで解明されることはなかった。それが何より残念だった気も。砂羽おねーさんも今日で最後。最後まで眠い表情だったが、変にアニメ声でキンキンされるよりは良かったのかもしれない。お疲れ様でした。
▼午後三時半頃に家を出て、相方と海に小アミ(春先に取れるオキアミ。生食できる)を取りに行く。場所はこの間豊漁だった、発電風車のすぐ真下。ゆったり回っているかに見える風車だが、近くに寄ってみると結構な速度で回っている。風も強めだったので、始終ゴウンゴウンと大きな音を立てていた。先週「鉄腕DASH」にもチラッと登場した場所だ。今日は流れがなく、昨夜の雨で川からの土砂やゴミが入り込んでいたので、猟果はこの前に比べると今ひとつ。手製の網にロープをつけて投げ込み、それを手元に手繰り寄せるというシンプルな手順で小アミを取る。岸の近くをさらっても、ゴミに砂、それに「イサダ虫」という虫(釣りえさに良いらしい)だけが入ってきて、アミ率が低い。岸から5m位のところまで遠投すると、ゴミも少なめで、そこそこアミがかかってきた。家族で少し生食するには十分なくらいに取り、帰ろうとしたところに義父登場。バケツを託し、夕食の買い物をして帰る。

 
▼網からこぼれた小アミや、捨て置かれたイサダ虫を狙い、ウミネコが何羽も寄って来ていた。エサ取りに夢中で、至近距離まで近づいても逃げもしない。見た目は白くて爽やかだが、声は名前どおりネコ(それも発情期の野良猫のような)そのもので、たかっていられるとあまり気味のよい生き物ではない。

▼夕食を料理中に義父帰る。私たちが帰ったあとにアミが流れてきたらしく、いきなりバケツ一杯の小アミ(&小ゴミ)。流れがあって海が綺麗ならば、そんなにゴミも混じらないのだが、今日は水が濁っていたので、ゴミを丁寧に取り除くのが骨だった。しかも、イサダ虫も分けなければならない。40分くらい作業して、とりあえず食べる分だけキープ。食後も頑張って1時間30分ほどやったのだが、結局アミの量も多すぎて(うちの義父は採れるとなると際限を知らずに取って来る)とても手におえず、結局ジップロックに入れて冷凍し、釣りエサ用にする。食後の90分、丸っきりの徒労に終わってぐったり。
▼そんなわけで、K-1の時も作業していたので、音だけ聞いてあまり絵は見ていない。「戦い足りない」と言って出てきたボブサップ、またも(というか前回に輪をかけて)瞬殺。何だったやら。小錦、ファイトスタイルがかみ合わず、マナーもよろしくなかったが、迫力もインパクトも、大晦日よりずっと増していた。終始押していたので、減点があったとはいえ、ジャッジの2点差はどうか?とも思った。マッチ名句を急がずに、時間をかけて研磨して、年末くらいにサップと再戦…なんてのは、なかなかいいバトルが見られるのではないだろうか。
●焼ビーフン/小アミの刺身/えのきと卵のスープ/タイサイ漬けと油揚げの炒め煮

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3/26(Fri)

▼ついに最終回を迎えたエリア88の様子を見に、アニメ板に行ってみる。これまでももうアレコレ散々お見舞いされて、覚悟完了だったはずの住人たちの予想を遥か斜め下に行った結末だった模様。揃いも揃って心斜め(下方に)75度なレスの数々が泣ける。魂のこもった名作を作るには時間も手間もかかるが、冒涜するのはなんと簡単で効率的なことか。「壊してしまうのは一瞬で出来るから大切にして」とママも泣くわけだ。「SEEDとの間にすら越えられない壁がある」という意見まである。表現というものの可能性はまだまだ(下方に)無尽蔵であるらしい。公開イベントでのトークで

|まず監督就任まで原作を読んだことがなかった。
|昔、周りがファンになって騒いでいるのをバカにしてた。
|で、読んでみたけど絵柄が好みでない。
見てほしいポイントはCG。どんな工夫を?との司会者の質問に、
|「いっぱいいっぱいで工夫のしようがない
|今までメカを描く仕事をたくさんやってきた。でも地味なメカばっかりだった。
好きなキャラはオリジナルの新庄真。原作は男ばっかりなのでアニメは女キャラにスポットを当てる。
|声優の選定はavexに言われたとおりに。でも風間真の子安武人は自分が強く推した。
(以上、アニメ板エリ8スレのテンプレより引用)


なんてことを平気で喋る人間に監督をさせると、こんなにもひとかどの作品を作れるということか。
イヤ本当に、むしろ原作や新谷かおるに悪意があるとしか思えない改竄ぶりの根っこに何があるのかが気にかかるほどだ。
▼昨日一応形にした広告画像リンクをアップロードしたまでは良かったのだが、リンクメニューからファイルへ設定したリンクの部分、字自体が見えなくなっていた。アップロードしたファイルをFTPソフトで見ると確かに文字が入っているのだが、ブラウザソースを見ると、文字列自体がなくなっている。もう散々色々試したがダメで、久々に焦る。というのは、これまでホームページビルダーの2001とV6を両方インストールして、なんとなく使い慣れた2001を使っていたのだが、もう2001の講座もないので、アンインストールしてV6だけを使っていくことにした矢先だったからだ。ので、「V6の不具合か?」と色々調べまくった(ソースを見ると、タグの書き出し方とかが結構違っている)。しかしどうしても変わりなく、ためしに別のファイルへのリンクを設定してアップロードしてみると見える。ということは、ノートンインターネットセキュリティが悪さをしているということになる。つまりうっかり、リンク先のファイル名を「ad.html」としてしまったため、「禁止文字の"ad"が含まれるリンク」ということで、広告ブロック&不可視機能が働いたのだ(その割に広告ブロック切って、ブラウザ再起動してもダメだったのだが)。わかってしまえば何と言うことはない。NIS以外を使っている人、広告ブロック機能を使っていない人は問題なく見れたのだが、ノートンユーザーも多いことだしと思い、ファイル名を変更してリンクを貼りなおし、ヤレヤレとなる。おかげで徹夜に限りなく近い寝不足。
▼引き続き広告画像捜索を続ける。ふと、子供の頃に使っていた「ウタマロちり紙」のラベルが懐かしくなって調査したのだが、「ウタマロ製紙」という名前だけしか検索できず、サイトもなし。探せば、爺ちゃん婆ちゃんご用達のお店なんかで見つけられそうな気もするが。思い起こせば、「箱入りティッシュ」は普及し始めていたが、まだまだ家庭での「ちり紙」の存在は大きかった。トイレの水洗化が進んでいなかった地域では特にそうだろう。トイレで使うような、クレープの寄った、暗い色のあのちり紙ではなく、ウタマロのやつは、箱にさえ入っていなかったが(ビニールのパッケージだった)、中身はティッシュで、高級感があった。何に使うかといえば、勿論鼻もかむんだけど、折り畳んで幼稚園や学校に持っていくためだ。当時、ポケットティッシュもあるにはあったが、ちょっと贅沢なイメージだった(相対的な価格も今より高かったように思う)。大人はともかく、「子供はちり紙で十分!」という感覚があった。で、事実、他のクラスメートも(金持ちの子を除いて)そうしていた。小学校では「せいけつ検査」なるものがあって(今もあるのか?)、ハンカチ・ちり紙を持っているか、爪が伸びすぎていないか、なんてことをチェックしていた。しかし便所で使うアレを持っていくのはちょっとビンボーなイメージがあったもんで、結局ウタマロに落ち着くのだ。せいけつ検査係もいた。あのウタマロティッシュの何が、現在の箱入りティッシュより優れていたか?考えてみれば、利便性は何一つない。取り出しづらいし、何枚も重なって出てくるし、くしゃみをすれば吹っ飛んだ。価格も、今の箱ティッシュと比べて高額だった。ただ懐かしいという、それだけだ。肌に当てた時の柔らかさや、それを使って化粧していた母の姿や、化粧水の当時っぽいキツめの匂い、ドルックスの瓶などが思い出される、それだけなのだが。
▼それよりも、「ウタマロ」という言葉で検索すると、もう別方面のフレーズやページが引っかかる引っかかる。「俺の自慢のウタマロであの子も以下略」みたいな武勇伝やらカラいばりやら、風俗店の名前やら、モータードライブなオモチャやら。イメージ検索なんかもう大変で、なんか疲れてしまった。まあ以前からそういう文脈で使われ続けている言葉。それを思うと、ちり紙・ティッシュの商標で「ウタマロ」というのも相当狙ってたような気がしてくる。子供のポケットよりも、枕元にこそふさわしいような。
▼ところで、ホーロー看板文化を衰退させたのは、デザイン潮流や生活スタイルの変化なのだが、もっと明確な要因があったということを、検索していて知った。環境庁長官時代の石原慎太郎が、「鉄道や国道沿線の美観を損ねる」として、路上看板の撤去を推進したことが大きいらしい。車窓からの、普段知らない町の看板なんていうのは大きな楽しみだったものだが。大きな意匠文化を破壊した事など、本人はいまだに気付く由もないのだろうな。
▼女性の年齢を揶揄するのにクリスマスケーキだ大晦日だ、というような下世話な言い方は昔より随分減った。多くの女性が、現実と格闘しながらも、社会的地位や収入を得て自立した存在となり、「未婚」ではなく「非婚」という概念が確立した。なんてことは今さら言わずもがなだ。なんだけど、最近TVで、タレントやアナウンサー、また番組に登場する素人も、「結婚した」ではなく、「結婚できた」という言い方をする人が増えたような気がする。10数年、結婚は「できる」「できない」という文脈ではなく、「する」「しない」という表現の方が多く使われ、また妥当で無難だという意識まで持ってきた筈なんだが、ここに来て少しずつ逆行が始まっている…ように考えるのは考えすぎか。「できる」という言葉の裏には、「できてよかった」という意識があり、「出来ないのはネガティブなこと」という認識が裏にある。聞いていてなんだか、「いまどきそういう言い方するかなー」と引っかかる文脈を、けっこう若い人が使っているように思う。単に、不景気による女性の就職難で、若い世代に、潜在的(もう顕在的になってるか?)な結婚願望が大きくなっているのかもしれない。とりあえず、結婚願望のある人間が、自分のことを指して「できる・できない」言うのはいいが、その価値観を当然のものとして、他人を言う時にまで使い出すのはやめとけよ、と思う。余計なお世話かもしれないが。
▼先日の日記で「公開する予定無し」と言っておきながら、身近で撮影した広告写真をアップしてみた。これは本当にデータ価値がないので、正真正銘自分用。
▼色々検索していたら、こんなものがあった。収納場所に困るコンドームを、恥ずかしくなく保管するための熊のぬいぐるみ(既に販売終了)。隠しファスナーから中にブツをしまえるというもので、大して可笑しくもないんだが、同サイトにある

ポケクマくんのお尻にはコンドームが入るポケットがあるよ!

というフレーズを深読みしてしまう自分がキライだ。

●牛丼/ワカメときゅうりの酢の物/大根菜と油揚げの味噌汁/卯の花煮/たくあん漬け

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3/25(Thu)

▼以前中華街に行った折に、「華泰行」で購入した「老干媽」の風味豆鼓、美味しいのでラー油として、調味料として中華料理に愛用していた。これがもう、熟成を経ていよいよ旨みを増してきた。しかし当然ながら瓶底が見える日も近づいてきた。オンラインで買えるショップ(現在一時通販受付中止のようだが)を見つけたのでそこで購入しようかと思案中。この辺でも、中華やエスニック調味料が色々買えるようになってきたのだが、流石にこれは取り寄せしないと無理だろう。この風味を知ってしまうと、もう普通の豆鼓では満足できなくなっている自分がいる。
▼検索ついでに見つけたゲンダイネットの記事「パソコン画面の時計はどうしてすぐ狂うのか?」、参考になった。なんで気がつくと遅れたり進んだりしてるのか?とおぼろげに思っていたのだが特に気にしていなかった(まあ、現実の時計自体が、電波時計でもなければそういうもんだし)。なるほど。いまだにXP(は、自動調整機能がついている)入れてないってだけの話ではあるが。
▼終わりが見えた平成版の「エリア88」アニメ。久しぶりにスレを覗くと、さらに状況はひどくなる一方で、みんな一種の悟りに似た諦念に到達しているのが印象的だった。中でもこんなコピペ文。(元ネタは宮崎吐夢(ペリーの人、と言ったほうが今や通りがいいのだろう)の「ピアノレッスン」)

「…Oh、違うでしょ。違うでしょ。何も違うでしょ今掛(*1)。Listen,Listen,Listen.
エリア88。これがエリア88。あなたの作ったのはコリア日日(*2)。
エリア88とコリア日日。違うでしょ全然。
話が第一違うでしょ(*3)。話が違うから当然人気も違ってくるでしょ?
エリア88とコリア日日。OK?
No,No,No.怒ってないよ今掛。わたし全然怒ってなぁ〜いよ。
今掛smile again? ……オーーーウッ、GOOD!!!
Try、Try今掛。

No,no,no,no,no!!!!!……何もかもが違〜う!!
Oh〜No! ボケッ!!! 今掛殺しますよ!? いっぺん、ぶちますよっ!!
新谷さぁ〜ん新谷さぁ〜ん、同人誌メイキングストーップ!!
今掛が作ってくれないんです、男の尊厳作品を作ってくれないんです!!!
Oh今掛、それは偽ロッキー(*4)!! 
私が作ってもらいたいのはエリア88!! 新谷絵でっ!!
グループタック(*5)さぁ〜んグループタックさぁ〜ん、製作ストーップ!!!!
糞アニメ製作ストーップ!!!!!!
Oh今掛さん、Oh今掛さんそれは偽セラ(*6)!! 私作ってもらいたいのはエリア88!!
Oh新谷さん聞いて下さい!違う!コミケストップ!! ストップ!かよのさん(*6)!
Ohグループタック、Stop!! もうっ!! Ah、今掛さんっ!!!!!!
ア゛━━━━━━━━━━━━━ッッツ!!!!!!!!!!」


*1:平成版アニメ「エリア88」の監督
*2:韓国や中国に下請け発注していることと、字面は似ているが似て非なるものであることとのWミーニング
*3:違うんである。
*4:アニメオリジナルキャラクター、戦場カメラマン新庄のこと。原作のロッキーと立場と顔が似ているのだが、役割も根性も全然違うのでこう呼ばれる。もっとも同作では「偽ミッキー」「偽マッコイ」「偽グレッグ」など、偽でないキャラクターを探す方が困難らしい。もちろんシンもサキも偽らしい。オリキャラのクセにやたらと物語でのウェイトが大きいのだが、カメラのギミックが出鱈目だったりして、本作のダメさを象徴するキャラクターと言われている。
*5:本作の製作プロダクション
*6:*4同様、アニメオリジナルのキャラクター、キトリを指す。サキの従姉妹で、腕利きパイロットという設定だが例によって相当ダメポキャラとのこと。原作に登場する唯一の女性パイロット・セラと同じ位置にありながら、あの姐御とは似ても似つかないところから。
*7:佐伯かよの。新谷かおる氏の奥さん。
爆笑させてもらった。監督批判よりむしろ、「新谷さん同人誌メイキングストップ」に。地方組なので内容は一度も見たことが無いのだが、「ミッキーがグーでパンチするシーンで、右パンチを相手の右頬に食らわせた上に、相手を左向かせる」ようなイリュージョン作画の件をはじめ、ここまで酷い話ばかり聞くと、話の種に一度見てみたくなってくる。これこそavexの真の狙いなんだろうか。
▼広告画像リンク、ようやく出来た。しかし考えてみれば、私以外に誰も興味を持たないリンクページ。しかも有用なURLは、調査の過程で全て私のブックマークに入れてあるわけであり、全くもって意味の無い存在かもしれない。さっさと気付いとけ。
▼しかしこうして並べてみると、自分の好みというのが改めてよくわかってくる。丸っこくて単純な線というのが本当に好きなのだ。デザインをマイナーチェンジしているものも、やはり子供の頃に親しんだ昭和40〜50年代の方が圧倒的にツボに刺さる(例えばママーのマークとか、郵便局のキャラクターとか)。まあ、当時の人間が、当時の人間向けにデザインしているのだから当然で、今のデザインがデザイン的に遅れをとっているというわけでは勿論ない。あの頃の意匠が伝える楽しさは、子供の頃の買い物の楽しさそのものなのかもしれない。しかもまだスーパーが少なく、町や村ごとに商店街があった頃。肉は肉屋に、魚は魚屋に買いに行った、あの楽しさだ。歩き回るので時間もかかるし、小さい店だから商品数も少なく、選択肢があるわけじゃない。スーパーに比べればずっと不便だったが、どうしても否定できないワクワク感があった。とか言いつつ、次第にスーパーにしか行かなくなり、商店街を消滅させた原因の一人であるわけだが。まあ、全てはノスタルジーに帰結してしまうのだろうけど。
▼色々企業サイトを巡っていて、広告デザインを(少なくともサイト上で)大切に扱っているのは、菓子・化粧品業が多く、製薬業の一部がそれに続く。いずれも、商品そのものと機能だけでなく、「+α」を売る業種と言えるのではないか。子供の「おやつ」の楽しさや、お茶を入れて一息つく団欒の空気、「自分を手入れする」リラクセーションと充実感の演出、「この薬を使ったからもう大丈夫」という、プラセボ交じりの安心感…など、いろいろ挙げることができる。そういう空気や気分(その上商品・企業の由来や商品の効能までも)を図案に込めて売る。そう考えると、スマートで抽象的なロゴマークよりも一つの有機的な(時には家紋的な絵解きのノウハウも取り込んだ)マークが持つ情報量は、想像以上に多いのだろう。
▼逆の言い方をすれば、当時はイメージ先行の物売りがメインで、今に比べれば、記載される商品情報量や注意書きは圧倒的に少なかった。それだけ消費者もメーカーも、安全性や危機管理の意識のステージが低かったことは間違いない。商品に対する意識が時代とともに向上し、成分や原料、その生産過程、使用上の注意などの表示が義務付けられる。特にPL法施行後は記載事項が格段に増え、一方で商品の持つ機能や優位性をアピールする文章も必要になってくる。考えてみれば、シンボルマークだのキャラクターだのを入れ込む隙間がなくなるのは当然の流れだ(単純に、ブランド委譲やM&Aなどによって、商標を使えなくなってる場合も多いようだが)。消費者の獲得情報量は確保されなければいけない。だからこそ、サイトくらいには残しておいてほしいのだが。
▼白石温麺の会社、今年の2月に更正法適用になっていた事を知り、今さらに驚く。特に好きな麺ではなかったが、日本各地で、その土地唯一の名物の会社も相当厳しいということか。
▼買ってきたおからで卯の花煮てくれ、と言われ、二袋分のおからと大格闘する。あれは絶えずかき回し続けなければいけないのでめちゃくちゃ腕がだるい。二袋のおからを開けると、でかい中華鍋に一杯に。好物だからいいのだが、当分はさっさと大量のおからを消費し続けないといかん。

●イシモチの清蒸/卯の花煮/大根菜と油揚げの煮びたし/玉ねぎとジャガイモの味噌汁

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3/24(Wed)

▼相方の送迎・義父の船出しの送り、義父の飲み会の送迎と、一日何度も車を出した日。朝に相方を駅に送った帰り、とりあえず目をつけておいた看板をアレコレと撮影する。全国区製品の看板で残っているのは、せいぜい煤けたコカコーラくらいのもんで、あとは地元企業(それがもう潰れてたりするものもあるんだが)が大半。車だと回りづらい上に安全性の問題もあるので、そのうちメシ食いがてらに中町の裏側を歩き回った方が、色々拾えるかもしれない。このトレードマークはずっと使われ続けるだろうと思っていたものがあっけなくロゴにとって変わられ、それ以前に大企業があっさり倒産する。目印になっていた看板も、予告もなく撤去されたり、道路が切られたり、張られていた家が建て替えられて姿が見えなくなる。大人になってようやく気付いて、コレクションの価値もありそうにないジャンクなデータでも、「二度と見られなくなる前にデータに残しておこう」という、その気持ちでスクラップしている。これはやはり、デジカメの手軽さに大いに後押しされている部分はある。フィルムや現像代に見合うほど大層なものではないから。
▼江角マキコが年金納めてなかった件で、確かにこれ以上間抜けな話はないけれど、管が「国会に呼び出せ」と必死なのは、ナンダカナーを通り越してみっともないような気がする。ここのところ大失点続きだった状況をどうにかしたくてテンパッてるのだろうが、やってる事も矛先もお門違いというか。むしろガッチリ未納分を払ってもらって、「お上だって鬼じゃない、もし多少遅れたとしても、払う事が大事なんだ」という処置にする方が、はるかにアピールするものが大きいのでは。
▼昼、むちんさんと電話する。娘さんの卒業式が終わった話や、ドリフやアニメの話など。「先週のセーラームーンには、いい年してやられました」と意見が一致する。私は一度も見ていなかった(なぜか偶然最終話のEDだけ見た)のだが、「プライド」最終回のトンデモな終わり方と、トンデモシーンに「ボヘミアンラプソディ」が流れたことを聞く。あまりに悲惨で、萎える事すら出来なかった。要するに、「アイスホッケーの王子様」と思っていいのかな。
▼広告画像関係のリンク、なかなか進まず。色々「どんなキャラクターがいたのか」を思い出しながらやったり、企業ページにデザイン情報がなくて空振りしたりするせいもあるのだが。
▼地元に、「モミの木米菓」という小さな菓子メーカーがある。恐らく他県出荷はあまりしていなかったのではないだろうか、ご存じない人が圧倒的に多いはずだ。そこのモミの木マークがシンプルで好きだった事を思い出し、検索してみたのだが、企業サイト自体がない。かろうじて製品を扱うオンラインショップが一つだけあった。そこで出していた「パリせん」という製品が子供の頃大好きだった。亀田の「ハッピーターン」よりちょっと小さいくらいの大きさで、キャンディのように両端をねじって簡単に個別放送されている。包装セロファンには、そのモミの木マークと、時期にもよるが、星占いなんかが掲載されていた。味はシンプルな塩味と、カレー味があったと思う。食べやすく、適度に香ばしくてめちゃくちゃ後を引いたものだ。現在も生産されている可能性は相当低そうだが、思い出したら食いたくて食いたくてたまらなくなった。夜、相方を送っていったついでにスーパーで探したのだが、同社製品は一つもなくてガッカリ。しかたなく、袋をスキャンするためにだけ「オランダせんべい」を買い、「マンガ夜話」を見ながらつまむ。いつ食ってもおとなしい味だが、地味にウマい。あまりに存在が地味すぎて、大学の時に仙台でも(しかもコンビニで)売られているのを見て驚いたものだ。
▼「モミの木」のサイトがあればなあ、と残念に感じつつ、昨日読んだ水天堂さんのblogに書かれていた内容を思い出した。「結局、デジタルデバイド(デジタル化障壁)と言われる物の正体の一つは、デジタルとアナログの壁そのものなんだろう(引用)」という趣旨の文章で、なかなか面白く読ませていただいたのだが、その中に

「世界の多くのものが情報化されたもんだから、時々、情報化されてないものは現実には存在しないもののように感じることがあります。一方、電脳世界に接していない人にとっては、我々が世界と思いがちな電脳世界は、かつて宗教者が想定した神の国や冥府と同じ、仮想のものでしかない。」

という部分があった。話のレベルは全然違うのだが、この前半部分、「確かに会社も製品も存在しているのに、Web上では回顧することも、紹介する事も出来ない」「Webで情報が展開されていないサービスや商品は、あるのに無いのと同じこと」という歯がゆさにも似た気分をよく説明してくれている。だからこそ企業は(内容のレベル差は相当大きいが)、地元の小さな会社であっても、PCに明るくなくても何とかサイトを開こうとするし、私が「ジャンクであっても取りあえず残して、Webに挙げておきたい」と思う気持ちもその対偶、ということなのだろう。ああ、それにしてもパリせんさえ食えれば。
▼ドリフの特番が、期せずしてチョーさん追悼番組のようになってしまった。森光子が母、チョーさんが父のホームコメディシリーズを軸に、ショートコントや、ゲストで登場した女優さんのコメントなんかも入れながらの構成。森光子がまだ若くて上品で、記憶よりもずっと綺麗でちょっと驚いた。森光子のイメージは、20年前も今の森光子の「おっかさん的」なものだったのだが、やっぱり時間は流れていたもんだ。それにしても竹下景子も随分老けてしまって。持ちギャグがボンボン飛び出すような展開ではなく、きっちりと流れと落ちが組み込まれていて、「ドリフの練習はものすごく緻密で真面目だった」という談話も十分に頷ける。ギャグとは関係無しに、私は常々、「眉根をちょっと寄せて真面目な顔をした加藤茶っていい男」だと思っていたのだが、若い頃からやっぱり「実は色男」であったことを確信した。
▼昼間むちんさんとドリフ話をした時、「欽ちゃんの笑いを面白がる事はあまりできなかった」という点で二人とも同意。ガキをして、「どうも笑えないんだけど、笑ってやらないと気の毒なんだろうな」と、なんか気を遣ってやってる笑いを感じていた。それは結局、「ドリフのような、作りこんだ構成と個人技とコンビネーションで、ネタ自体で笑わせる」明快な笑いに対して、特に「欽ドン」以降は、「他人をいじって、しかもちょっとした失敗や短所をしつこくあざ笑ってばかりいる割には、他人に頼りっぱなし」という、カラっとしてない部分が目立ったせいだろう。むちんさんも同じように思っていてくれてホッとした。「欽ドン」で面白かった部分を思い出すと、それは萩本欽一自身ではなく、投稿ハガキであり、前川清であり、何は無くとも宮本さんであり、後半は西山くんであり山口良一であり、武野功雄だった。「欽どこ」に至っては、ラビット関根や斉藤清六に依存しまくりだ。「(芸人は)笑われるんじゃねえ、笑わせるんだ」とは、かのビートたけしの師匠はじめ数々の人が示してきた金言だ。萩本欽一が(「コント55号」終了以来、といったほうが良いだろうが)TVに流してきたのは「笑われる笑い」で、しかも自分が笑われるのではなく、他人を笑いものにして「コメディの大家」の位置に収まってしまった。ずっと感じていた「潔ぎよくなさ」が由来していたのは結局のところそこなんだと思う。彼はチャップリンを敬愛しているので有名だが、チャップリンが与えた笑いはそういう質のものではなかったはずだが。
▼他者と組んで笑いを作る、という点では、ドリフはかなり上手にやっていたと思う。多数のゲストの中には、コメディに出る自分と折り合いがつかなかったり、単に力が無くて悲惨なステージになってしまった人もいたが、様々な芸能人の意外な魅力が引き出された例は多いはずだ。由紀さおりなんかは代表例だろうが、私がベストマッチと感じたのは沢田研二だ。元々ジュリーはコメディが美味いところに持ってきて、特に「鏡コント」での志村けんや加藤茶との絡みの美味さなんかは絶妙だった。私の中で「ドリフが6人制になるとしたら、加入メンバー最右翼候補」だったなー…などと、取りとめも無く思う。
▼「マンガ夜話」、今日は「ぶっせん」の会の再放送。全体的に結構な絶賛で嬉しかった。1巻の「50単位で悟りだ!」に引き込まれてどっぷりハマったのだが、やはり「仏教って理科だったんですね」のくだりは大好きだ。作者の三宅乱丈が女性だというのはどこで知ったか、もう忘れてしまったのだが、番組で指摘されていた三条君やキャバクラバニーちゃんの胸の、質量はあるのにどうしようもないミもフタもない感じ、そして金満福寺の姉妹の描き方で、「男性にはこうは描けない気がする」と漠然と感じていた。三女は置いておくとして、男性が描いたなら、長女のマミはもっと萌え萌えお姐さんキャラ(おそらく、「らんま」や「じゃじゃ馬グルーミンUP」に出てきた姉妹の長女のような)になるはずだし、侍女もギャルなりに可愛い感じになるだろう。しかし「ぶっせん」では、決して一見美人とはいえない、しかし妙な魔性は確かに持っているという難しいバランスでの描写に成功していて、この辺が「基本的にミもフタもない目をお持ちの女性」なんだろうと思った次第。全体に、山田吾郎の弁舌が一段と冴えていた。
▼「イブニング」で某ホスト漫画を描いていた某漫画家、独特な行動と発言で各方面からヲチられていたことを先日知る。スレとかまとめサイトとか、今ここでは触れないでおく(検索すればすぐ出るけど)が、呆れすぎてつい笑ってしまったのが、メールについての注意書き。

ファンメールと言う名の「文句大行進」は要りません。
 「好きだから言わなくちゃ」「プロは金貰ってるから、どんな文句も受け止めろ」は勘違い。
  プロは作品に対価を貰って居るだけ。
文句代は貰っていません。

すげーや。そりゃ「何言ってもいい」ってわけではないけれど、特に最後の一文がもうなまなかの人物に言えるもんじゃないね耳目を集めるのも納得。


●白身魚のフリッター/野菜コロッケ/グリーンサラダ/オニオンスライスのおかかのり和え/かぼちゃと小松菜の味噌汁

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3/23(Tue)

▼ハルウララの件補足。武豊オフィシャルサイトの日記(特に3/8)を読むと、色々と今回の騎乗の理由と心情が語られていた。最初は「ハルウララの引退レースなので是非」というオファーだったらしい(その後、報道された通り引退は撤回され、武豊の日記の内容にもクレームが来たとのこと)。そして、「高知にはノボトゥニーで黒船賞を取りに行く」という部分、裏を読むまでもなく、「騎手は勝ちに行くもの、ハルウララで負けるために行くんじゃない」という気概が感じられてカッコいいこと限りなし。そうでなくては。惜しくもノボトゥニーは二着で、地方100勝は逃したものの、まかり間違ってハルウララのようなしみったれた馬でメモリアルを飾って、世間の期待するあざといメイクドラマに貢献するなんてのは、武豊には似合わない気がする。ハルウララの順当過ぎる結果もまた、文字通り塞翁が馬ってものか。次の機会に、しかるべきパワーを持った馬と力をあわせて、スッキリ勝って欲しいものだ。
▼昨日のコメントの真意は、日記にあるとおり、「適切な調教と調整を行っていればまた違った経歴だったのでは…ここまで負け続けるほどの駄馬ではないと思う」という内容だったようだ。これも一応補足。
▼ヨミウリオンラインより、CD関係記事2つ。
・「洋楽海外版消える?」→先日も触れた海外盤販売について。各国のCD価格差、現状、法案が通った場合の予測など。
・「不評 CCCD」→CCCDの現状と問題点、ユーザーから不評であることなど。音質、プレイヤーに影響する要因などがわかりやすく整理されている。
▼車の中に入れていたスポーツ新聞に、「仮面ライダー剣」の製作発表の記事があった。「メインの出演者はおおむね無名若手だが、イケメン青田買いを狙う報道陣、女性誌取材チームが集まっていた」というような内容。まさか放送初回からこんな(オンドゥルな)センセーションが巻き起こるとは、そのとき誰も予想だにしていなかった…
▼広告画像関連の企業リンク集を作ろうと作業していて、さまざまなサイトを回っていた。先日書いたホモちゃんのように、名キャラクターがまったくフォローされていないところもあれば、製品・パッケージ・キャラクターデザインの変遷をきっちりと残している会社もある。森永製菓(ちょっとだけ音鳴ります)は後者の好例だ。「森永ミュージアム」では、明治・大正・昭和初期・中期・後期に分けて、商品ラインナップやパッケージ、と当時のエンゼルマークなどについて、とにかく丁寧に記録を残そうという気概がバシバシ伝わってくる。他にも黄桜・牛乳石鹸・オリエンタル食品など、昔のCMも見れたりするサイトでは思わず時間を忘れてしまう。こんな風に企業資料をハシゴできるのだから、つくづくいい時代になったもんだと思う。何しろカバヤ文庫まで読めてしまうんだから。カバヤ文庫ラインナップ一覧表なんてのもあって、今見ると、序文執筆者の無闇な豪華さに驚いてしまう。グリコとかカバヤとか、当時の製菓メーカーは、「子供の心と体を育む」ことにものすごく真剣だったのだろう。
▼しかし、この年になってもあのころの広告やパッケージ、オマケの類を激愛してる自分がいると知っていたら、小さいころに集めたオマケやノベルティを、絶対捨てないで置いたものを…と思うとなんだか悔しい。できるもんならあの頃の自分に、「そのオマケ取っとけ!」「その箱と缶も捨てるな!」と、殴ってでもキープさせたいくらいに。
▼なんかPCの調子が今ひとつよろしくない。色々整理・調整するか。そろそろXP入れてもいい頃合かとは思っているのだが。
▼春のセンバツの開会式をチラッとだけ見た。決定した時に思ったのだが、やはり行進曲に「世界で一つだけの花」はどうかと。いや、歌詞の内容が一々スポーツ大会にあってなければならないという必要などないし、文句なしにビッグヒットだったわけだが。見るほうも戦う方も、「どっちが強いか較べたがって」いるわけだし、そこに「どうしてボクら人間は どうしてこうも較べたがる?」「一番になりたがる?」とか言われても、「それがいいんじゃねえか」ってことだし。何より試合に負けたチームの選手たちの姿に「No.1にならなくてもいい」なんて音楽が被せられるのは気持ちが悪い、というよりも単純に、戦った連中に失礼なんじゃないの、と思う。まあ曲調としては、「聖母たちのララバイ」で行進した時よりもはるかにマシだったけれども。

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3/22(Mon)

▼そういえば思い出した。子供の頃、ジャンケンする時に「最初はグー、またまたグー(「ハンバーグー」だったような気も、「カトちゃんグー」だった気もする。この部分よく覚えていない)、いかりや長介頭がパー、正義は勝つ!ジャンケンポイ!」というのが流行っていた。今思うと、何故ほかのメンバーでなくチョーさんがパーだったのかわからん。しかも「正義は勝つ」って脈絡なさ過ぎ。とりあえずチョーさんごめんよ…と思って調べてみたら、これは「全員集合!」でのジャンケンのやり方だったのだな。ドリフエイジのくせにこんな基本的なことも知らないのは、山形では「全員集合」を放送していなかったからに他ならない。てっきり「♪インドの山奥出っ歯のハゲあたまんじゅう(以下略)」のような、ガキ遊び歌だと思っていたのだが、そういうことだったか。しかしそれが、放送のない地域のクソガキの間でさえ流布していた事を考えると、やっぱり我らはドリフの子なんだろう。
▼昨日行った生協で、レトルトのビーフカレーに、堂々と「ビープカレー」というPOPが付いていた。「しかしまだまだ飛距離不足」と思って特に撮影はしなかったのだが、ふと気になってGoogle検索してみる。4件ヒットする。何でもあるな。
▼仕事帰り、飲み会が終わった相方を拾って帰る。車中、何故かクサヤの話になる。大学の頃だったか、実家でたまたま父と二人だった日があった。父が知人からクサヤを貰ってきていた。クサヤが強烈に臭いと言うのは聞いていたが、同時に「臭いが美味い物の代表格」としても有名だったので、我慢して焼いてみた。換気扇を回してはいたが、強烈な●コの臭いが家中に充満し、結構寒い日だったが窓を開け放しまくった。それでも一晩では臭いは飛ばなかった。それでも美味いんだろうと根性出して食ったものの、臭いだけで美味いとは思えず、これなら普通の鯵の開きの方がよっぽどいいな、という感想でしかなかった。一口食べた瞬間、体中の穴と言う穴、毛穴までもが肛門と化した気分だった。それ以来、食べる機会もないが、アレだけはノーサンキューになった。しかしまだ食った事のない相方は、「絶対に試してみたい!」と言って聞かない。有名な発酵物博士である小泉武夫(代表著書:「くさいはうまい」等)氏のファンである相方は、「とにかく世界の発酵食品は人類の英知の結晶、可能な限り食べる機会を作りたい」と事あるごとに言うのだが、あの先生、時々「この人もしかして、『発酵せずんば美味にあらず』と思っちゃってないか?」という疑問を感じさせる域に達しているので不安だ。
▼「わかったわかった、分かったから、
1.伊豆や新島に一人で行って、思う存分地元のクサヤを、地元の酒と地元の空気で味わって来い(たぶん味的にはこれが一番外れがないはず)
2.有志を募ってクサヤを取り寄せ購入し、人気のない山中か寂れたキャンプ場で焼いて食え」
と提案するのだが、
「うん、それで俺が美味いと思ったら、みんなにオミヤゲで持ってくるから」
と、どうあっても家を大惨事にしたいらしい。残った仕事とテストの答案はかまわないが、生徒指導とクサヤだけは家庭に持ち込まないで欲しいのだが、どうしてここまでガンコなのか、家を巻き込まないと気がすまないのか、ちっとも理解できない。気が付いたら家に着いていた。ナニが哀しくて、40分もダンナと一緒にいて、クサヤの話で過ごさなければならんのか。
▼「マンガ夜話」セレクション、「男塾」の回だった。なんか今さらながらに男塾を読み返したくなってきた。財布と収納スペースがそれを許さないが。
▼以前ぽちさんのところの日記で見た、物に「お」や「さん」「ちゃん」と付ける関西の習慣についての記事が面白く、彼女の掲示板でfeliceさんと一緒に色々と語らった。そういう文化とは別のこととして、料理番組でやたらと調理器具や食材に「お」を連発したり、作業の一つ一つを「ふたをしてあげる」「塩を刷り込んであげる」などというふうに、「〜してあげる」と付けまくったりするのが、あまり程度を越すとまどろっこしくて嫌いなので、そんな話など。多少であれば、いかにも食材を慈しんでいますという感じでいいんだけども。
▼さらに話が「おみおつけ」のことになった。語の成り立ちとしては、まず最初に女房詞である「おつけ(=食事に添える、具の多い汁物)」という言葉があり、そこに「おみ」がついたもの。この「おみ」についても、

1.重ねた敬意を表す「大御(おほみ)」から来た接頭丁寧語(→おみくじ、おみあしなども同様)。だから漢字にすると「御御御付」という壮観な字面になる。
2.澄まし汁でなく、「具のたくさん入った汁物」という意味で「御身御汁食」と書く。
3.「御味」と書き、「味噌」の意。塩味、しょうゆ味ではないよ、ということを指す。

と、諸説あるらしい。
▼あるらしいのだが、実は実家の方ではあまり「おみおつけ」と言わず、聞くことも少なかった。子供の頃は、TVやマンガに出てくるのを見て、「そういう名前の漬物」だと思い込んでいた。というのは、山形には「おみ漬け」という名前の漬物があるからだ。しかし文脈では「温める」と言ったり、お代わりしたりしている。これについても、冬に仕込み、春以降には漬かりすぎた青菜漬けを刻み、炒め煮にする料理があるもので、「暖かいならきっとこれか?」と勝手に当てはめていたのだ。酒田では、「言わない事もない」そうだが、家の周辺ではあまり言わない。同じ汁物を指しても、「おつゆ」という地域と、「おしる」という地域があったりして、色々だ。
▼ニュースステーション最終週。久米宏はどうでもいいが、「ME」が無くなるのだけは悲しい。それほどサッカーに詳しくも好きでもない私だが、ヨーロッパで活躍するスター選手の芸術品ゴールには毎回ゾクゾクしていた。
▼ハルウララ人気が随分エラい事になっていた。期待してるのが勝ちなのか、連敗記録なのか良く分からないと言う状態だが、「馬券を手元に置く(何しろ換金できたためしがないわけだ)ことにに意味がある」ことになっちゃってるらしい。グッズを買いあさる人たちは「これだけ負けてもまだ戦い続ける姿に感銘」と口々に言うが、普通これだけ負け続ける前にとっとと馬肉になるということを知っているんだろうか?相方は「ハルウララ本体より、これほど負けても厩舎その他にきっちり金を払い続けて、走らせ続けた馬主が一番凄いよ」と言うのだが、私も全く同感だ。とはいえ、高知競馬場も、かつての上山と同じく大赤字を抱えて、「来期赤字だったら即刻終了」を言い渡されている状況。バブリーな人気であっても、今日一日で5億を売り上げたと言う人気のおかげで、消え行くばかりの地方競馬が一つでも生き延びられるならば、一つの延命策として許容するしかないのかもしれない。高知まで来る武豊もエラいが、
「いや、けっこう走らない事もありませんよ。足が遅いというだけで
という、本心を隠せないコメントには泣けた。いろんな意味で。
▼ニュースステーションでは、本来注目されるべき24連勝中のキサスキサスキサスにちっともスポットが当たらない、という話題も。「一生懸命」「可愛い」「けなげ」というのがハルウララの人気要素らしいが、お馬はみんな一生懸命走るし、顔見りゃみんな可愛かったり精悍だったり、それぞれに魅力がある。馬と騎手と厩舎の人間が一丸になって勝利を目指し、駆け引きと調整の末に勝つことが競馬の醍醐味である事は、不況だろうが危機的状況だろうが変わらない。ハルウララはただひたすらにラッキー(この成績なのに生かしてもらったという一点で)な馬で、彼女自身に罪はない。だが、そのラッキーな経歴だけで「一億総もともと特別なオンリーワン症候群」のシンボルに祭り上げられてるようで、なんとも薄気味悪いんである。まあ、高知の首が繋がる程度には稼いで欲しいけど。

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3/21(Sun)

▼今日のデカレンジャーは寝ずに見れた。仙ちゃん話ということで期待していたが、予想通りなかなかかった。同番組を見るたびに、デカイエローと、「スピカ」のマリカのイメージがどことなくダブる。髪型、クールな顔立ち、しゃべり方、何より名前が同じ「まりか」なのが大きいかもしれないが。ピン付けてくれたら相当似ると思う。ジャスミンの方がぐっと砕けているのは言うまでもないけれど。
▼普段は見ないのだが、その日はたまたま「アッコにおまかせ!」を付けていた。準レギュラー争奪勝ち抜きリーグに、安田大サーカスが登場。あのバカバカしさとなし崩し加減が前から微妙に好きなのだが、真昼間に見るモンでもなかろうという気が激しく起こる。が視聴者には大ウケで、得票がバカスカ伸びていった。あの芸風で連戦は辛いようにも思うが、たぶん来週も見てしまうんだろう。
▼またも昼ラーメン。遊佐町の「もとや」に初めて入る。チャーシュー麺を注文するが、チャーシューが切れたと言う事で普通のラーメンに(結局、通常より数枚少ないチャーシューメン扱いにしてくれた。その分値段を引いてもらった)。チャーシューはバラの巻きタイプで、白身トロっと、赤身しっかりで、ホロホロしすぎておらず、若干厚めで楽しめた。メンもかんすい臭がなくこなれていた。酒田圏のラーメンは加水率が高い店がわりと多く、店によっては伸びやすかったりヘロヘロだったりすることもあるのだが、ここの水分量はきわめて好み。スープもまずまず。だが問題は手際で、私のラーメンが半分くらい進んでから、相方(みそラーメン)の分の野菜を炒める音が「ジャー」としはじめるという状態。結局、相方のが来た時には、もう私の丼には2箸分しか残っていなかった。二人で別々のものを注文したので、多少出来上がりに差が出るのは覚悟の上だが、せめて誤差は5分程度にしてくれないか…私の方は遅くなってもいい(当然ながら伸びてもいいという意味ではない)から。中身は良かっただけにそこが残念。あとチャーシューは切らさないで欲しい。
▼待っている時間、店にあった「キン肉マン(キン肉星王座争奪戦編)」に没頭してしまった。素直に認めるのはちょっと恥ずかしいが、やっぱり私は「キン肉マン」の友情バトルが琴線に触れるらしい(好きって言っちゃえよ)。ソルジャーチームVSフェニックスチームのあたりなんだが、ブロッケンJrやらバッファローマンが熱くて熱くて、しまいには「ああっバッファローマンが死んじゃう〜」と拳握っちゃってるのだ。我ながら年甲斐0。今読むとあの漫画、けっこうセルフ突っ込みが厳しい場面がある。ソルジャーは、「優しく助け合うだけが友情ではない」と、「真・友情パワー」を提唱するのだが、それを聞いたママがすかさず、「言われてみれば、アイドル超人たちの友情パワーが最近馴れ合いになっていたのは事実…」と呟くシーンがある。自分の筆で「馴れ合い」なんて文字を書いてしまうのは、けっこうアグレッシブかと。
▼食後に色々買い物をして、相方は海へ小アミを採りに行き、私は夕食の準備。周りのおじさんたちと会話しながら場所をリサーチした成果で、けっこうな量のアミが採れて、さっそく食卓へ。けっこう活きてるのもいて、醤油をかけるとピチピチ悶えるものも。ゴミなどを丹念に取って、生をワサビ醤油・大根おろしで食べる。この季節だけのご馳走だ。「鉄腕DASHスペシャル」のソーラーカー企画が秋田〜山形で、酒田の風景がチラッと出て、風力発電の風車も映っていた。相方がアミをゲットしたのは正にその場所。
▼同番組、DASH村では「手作り凍み豆腐」。豆腐から作るんだろうな、とは容易に想像できたが、にがりまで作るとは思っていなかった。毎度の事だが、何かを収穫したり、それを料理したり食べたりする時のメンバーの顔が、実にいい。特に山口とリーダーについては、以前むちんさんが「ぐっさんはもう、ずっと村に住め」と名言を放ったのだが、私もそう思う。
▼AmazonからCD届く。この間ラジオで聞いてカッコよかったのでBuzyの「鯨」購入。これの歌詞違いが、「スピカ」の「Venus says」。同曲も勿論収録されているが、1コーラスだけなので、TVサイズにちょこっとイントロと後奏が長いくらい。歌詞としては「鯨」と対になっている。「スピカ」のイメージを投影しすぎているせいか、「鯨」の歌詞が全体的にマリカのイメージと同調しているように感じる。冒頭の「生れ落ちた罪 生き残る罰 私という存在」のあたりは特に。昨日の話の内容の影響が大きい。カラオケがなく、実質は2.5曲収録なので、コストパフォーマンスはいいとは言えないが、まあ納得。
▼NHKのニュース枠で、昨日のチョーさん訃報に引き続き、ドリフの各メンバーからの弔意コメントが紹介されていた。NHKは訃報に関してもお固いと言うか、芸能人逝去に当たってここまでフォローする事はまずなかろうというイメージがあったので意外だった。やはりそれだけ、放送メディアの中で一時代を築いた存在と認められていたと言う事なのだろう。
▼仲本工事は、「ドリフターズは息子の我々が守っていく」とコメント。既に個人単位の活動がメインとなっている4人だが、「ドリフの加藤」「ドリフの志村」であり続けてくれるのは、やはり単純に嬉しいものだ。志村けんのコメントには、「笑いの厳しさ・真剣に取り組む姿勢を教わった」とある。以前、インタビューに「マンネリ大いに結構。定番を持つのは悪い事でも何でもない。やる側がいつも新鮮な気持ちで臨めば新しくあり続ける」という内容の事を答えていて、いい事言うなあと思ったのだが、こういう哲学もまた、チョーさんから学んだのだろうか?考えすぎかもしれないが、チョーさん的だとは思う。
▼日記を書くために、Googleでチョーさんのことを検索した。Googleの検索データにはまだ訃報が反映されておらず、プロフィールや入院・退院の話題だけが並んでいた。Googleはまだチョーさんの逝去を知らず、チョーさんはこのデータの中でだけ、まだ亡くなった事になっていない。単なるデータ処理のタイムラグに過ぎないのだが、こんなことで感じる切なさと言うのも、あるものだ。

●回鍋肉/にら饅頭/小アミの刺身/かぼちゃと小松菜の味噌汁
#「鯨」 Buzy/「Night at the opera」 QUEEN

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3/20(Sat)

▼昨日分の日記に書いた「Amazon.co.jp狩り」の件の続報(「音楽配信メモ」より)。件のCDに関しては、「米国で輸出禁止品として出されたから」というのが真相だったらしい。んが、法改正後は「この洋楽CDは日本版を発売するので、海外盤を輸入禁止にしろ」と法的に処置できるようになるとのこと。可能になる、というよりは、結局はそこが目的ってことで。続報と、引用されている輸入権条文に関する論考は、少なくとも洋楽&クラシック聞く人は読んでおくべきかと。
▼よくビデオテープで「繰り返し録画に強い!」とか「長期保存に強い!」という売り文句の製品がある。同様のアプローチでこんな製品があったら、便利かもしれんがやっぱヤダと思う。

A子「もういやだわ、何がどうなってるのかしら…」
T田「おやおやA子さん、コンポの前で困り顔ですね、一体どうしましたか?」
A子「聞いて下さいT田さん、このCDを聞いていたら、突然CDが回らなくなってしまったんです…寿命かしら?」
T田「どれどれ……ああ分かりましたよA子さん、このマークを見てください。これはCCCDですね。」
A子「まぁあ、こんなに小さくコッソリ貼ってあるから、全然気付いていなかったわ。」
T田「私たちが何気なく買っているこのCCCD、コピーできなくするためにノイズを加えているので音質が悪く、しかもA子さんのように、プレーヤーを壊してしまう事がよくあるんですよ。」
A子「うーん、そんなの困ります!音楽は聴きたいけれど、プレーヤーが壊れるのはいやだわ。どうすればいいのかしら?」
T田「そんなお悩みを持つ皆さんに、是非お奨めしたいものがあるんですよ!コレです!」
A子「ええっ?でも見た目は、ごく普通のミニコンポに見えますが?」
T田「そうです、外見はどこにでもあるコンポのようでしょう?でも違うんです、このプレーヤーはとにかく!CCCDに強い!そこがこれまでのプレーヤーと違って画期的、自信を持ってお奨めできる商品なんです!CCCDの破壊活動を防ぐために開発された技術を盛り込み、、自社開発の特製ピックアップを採用、音飛びや認識不良を劇的に減らしました。また、抜き取り検査で、国内全レーベルから選んださまざまなジャンルの5000枚のCCCDを、なんと一枚ごとに100回連続再生テストしてもなお、再生不良を起こさないという結果を残していますから、どなたにも安心しておすすめできます!」
A子「なーるほど!これなら安心して、CDをトレイに入れられますね。」
T田「それだけではありませんよ。CCCDに付き物の音質劣化につきましても、ある程度のレベルまで自動的に補正を行い、耳に心地よいサウンドを回復してくれる、オートリカバリー機能付きです!(画面注:すべてのディスクに効果を約束するものではございません)。」
A子「これで、音にうるさいマニアの方も納得ですね!至れり尽せりとはこのことです!でも、いいお値段になっちゃうんじゃないですか?」
T田「そちらの方も、今回は勉強させていただきました。今回は特製ヘッドフォンと、レンズクリーナーセット、さらになんと!視聴用CD『わたし歌手になりましたよ』『六甲おろしオマリーver』の二枚をお付けしまして、月々5,800円の12回分割でいかがでしょう!もちろん分割手数料は当社が負担させていただきます。(場内拍手)ただいまより、限定100台、こちらのフリーダイヤルで受付となります。」
A子「今すぐお電話を!」♪ジャーパネッ(以下略)

というだけのネタを何も長々やることもないんだが、けっこう売れてしまいそう、というか書いててちょっと欲しくなってしまったのがまたイヤだ。
▼一ヶ月以上前の話になってしまうが、「北アルプス中学校」の生徒が、「アル中」と略されたりしてヘンなイメージが付くのがイヤだ、と主張。「北陵中学校」に高名変更になることが決まったらしい。コレを聞き、同様のことがあってもクレームにせず、ずっと校名を守り続けている宮城県の女川二中および女川二小の生徒さんと関係者に改めて敬意を表するものである。(「女川」は「おながわ」と読む)
▼朝起きてTVを付ける。寝起きの目に飛び込んできたのは、いきなり「野球拳」を歌って踊って楽器鳴らしてるオバちゃんとおっちゃんの一団だった。何事かと脳が一瞬フリーズしたが、「クボタ民謡お国めぐり(←リンク先は音出ます。東北だけの放送なので、知らん人も多いでしょう。隠れた長寿番組)」だった。四国の「本家野球拳踊り」なんだそうだ。もちろん超健全番組なので、オバちゃんが脱いだりはしない(第一誰も喜ばない)。が、朝一番に見るものでもない。あーたまげた。
▼後に続く「セーラームーン」が、結構流れが良くて引き込まれ、先ほどのしょっぱい気分を払拭してくれた。正統派少女漫画な盛り上がりがなかなか。全体的にみてやっぱりうさぎがいいと思う。原作漫画やアニメだと、「いくらなんでもこんなイイ体の中学生はそうそうおらん」という印象が強く、その上三石琴乃の声がアホっぽくて(アニメ版は敵から何からアホ尽くしだったわけだが)好きになれなかった。実写版のうさぎは、普段の姿が「普通の中学生」っぽさに溢れていて、変身すると表情や雰囲気がちゃんとセーラームーンしててカッコいい。ベタではあるがこの落差、やっぱり変身ヒロインの王道(でありながら、案外実現されてない)だと思う。タキシード仮面の中の人も、回を追うごとにカッコよく見えてきたし。うーん、まさかこの番組にこんなに付き合うことになるとは予想だにしていなかった。最初はバカにしまくっていたのに。関係ないけど、セーラームーンは横から見ると、いつも「鼻がまっ平だよなあ」と思ってしまう。それでも十分可愛いんだけど。
▼この時間帯の番組を見ていると、必ず一回は子供運動靴のCMが入る。これが各社とも、偏平足や外反母趾防止などの機能を色々盛り込んでいて、進歩したもんだと感心させられる。子供時代にこういう高機能な靴があったら、今ごろはこのトンカツのような偏平足ももうちょっとどーにかなっていたんじゃないだろうか。この年になってそんな事を思っても詮無いことだが…
▼「プラネテス」。いよいよ大詰めで、アニメを見ていてこんなに緊迫させられたのは本当に久しぶり。ストーリーの中の、テロや宇宙防衛戦線の占めるウェイト(ついでに言えば、連合の腐れ具合や宇宙資源の生む不公平具合も)が相当大きく、また重い。原作どおりのアレに収束していく事は間違いないのだが、例のナニ一発で収めるにはあまりにも事態がデカいのでは、という懸念も多少。まあ、プラネテスに関してはスタッフを全面的に信用しているので、あと数話、物語に身を任すのみだが。それにしてもクレアはやっぱりカテジナ化(あそこまでキレてるわけではないので、レコア化と言ったほうが近いか?)。テマラとの出会いやエルタニカの事情、ハキムとの関係があったわけだが、左遷でプライド傷つけられ、腐っちゃった末の逆恨みみたいな部分もでかいような。左遷されたとはいえ正社員は正社員。どん底からあがいて這い出して、派遣とバイトと学校に頑張ってるエーデルに比べれば、社会的にはずっと「恵まれた立場」なのだがな。こうして見るとエーデルがぐっとイイ女に見えてくる。もう一暴れしてほしいが、さすがに出番はないか?
▼一つ気になるのは、アニメのタナベに、ユーリが言うところの「ムチャクチャなパワー」をいまだに感じられないこと。だから(次回への伏線とはいえ)あのユーリのセリフも唐突な気がした。様々なキャラクターの背景とか奥行きみたいなものが丁寧に描かれる中で、この輪数に至っても、タナベに感じるものはペラさとうざったさだけだ。もうここまできて原作と比較するのは愚行と知りつつも、やはり、原作の「大事な事は全部(天与的に)わかってて、天然だけど凄い奴」なタナベと、「上っ面のヒューマニズムとがなりたてるだけ(この部分はクレアに同意)」のアニメタナベの差は絶望的に写る。ので、ハチがタナベに惹かれた理由も伝わらない。今のままだと、「単に、自分に好意を持ってるっぽい後輩が近くにいて、まあ多少は気になってたんだけど、たまたまちょっとイイ雰囲気になったもので」という風にしか読み取れない。まあそういうのもある意味リアルといえばリアルなんだが、どちらかと言うと、ハチの年代の社会人というより高校生や大学生のサークル内みたいなノリかと。手近で済ませる感がハチらしくないし、そのせいで余計にタナベがペラく五月蝿く見えてるようにも感じる。
▼で、来週が放送休みというのは酷過ぎる。この展開で、2週間おあずけのはあまりにも辛い…
▼今日は「ふたつのスピカ」の作画が随分いい(ほぼマリカとかさねちゃん限定だが)かも…と思いつつ見ていた。予告が妙にまとめに入ってる?と思ったら「次回、『ふたつのスピカ』最終回」ってマジかー!ちょっと調べたら最初から全20回の予定だったので、決して打ち切りでも何でもないのだが、話数がクール単位ではなくていかにも半端だし、話の流れ的にはもっと半端で、強引な終わり方しか想像できない。打ち切り(NHKのアニメではよほどの問題が起こらない限り、不人気による打ち切りはないんだが)と思った人も多かったのではないだろうか。未完の原作なので、力技で終わるしかないのは最初から分かっていた事なんだけど。プラネテスも終盤だし、うる星やつらはどうでもいいし、スピカの後番組には食指が動かないし、土曜朝の楽しみが大きく減りそうな予感。
▼昼は、相方の部活が終わるのを待ってラーメン屋へ。これまで何回か無駄足を運んだ「新月」、今日は営業していた。が、1時前の時点で10数人の列。思ったほどには待たなかったが、並んでいる最中に出てきた客が一言、「うわ、コイツら何並んでるの?」……そりゃあオメーが、待ち客出てるのにチンタラ食ってるからに他ならないんだが。味はというと、ちょっとしょっぱめではあったが、麺もスープもチャーシューもなかなか良く、行列待ちが出るのも納得。特にワンタンがデロデロしてないのが良い。庄内の飲食店で、店員が愛想良かった事ってあまり記憶にないんだが、その中でも店員が別格に愛想がなかった。食券制で、会計後に「ありがとうございました」と言うシーンがないんだから、入り口通るときに「ありがとうございました」の一言ぐらいあってもいいと思うんだが。でもまあ、気になったのはそのくらいだったので、ここ数回のラーメンガックリ体験を払拭するに余りあった。他のメニューも試したい。
▼待ち時間に、後ろに並んでいた大学生くらいのカップルの女性の方が、店内メニューを見て「ラーメンライスって何?」と男性に尋ねていた。きっといいとこで育ったお嬢さんなのかも。荒岩さんが作り出しそうな、ラーメン入りの炒飯や炊き込み御飯(実際あったんだこれが)を想像していたのかもしれない。男性も「じゃあ、(君に見せるために)頼んでみようか?」と答えて、ちょっと微笑ましいやり取りを聞き、そういえば相方がラーメンライスや、ライスを添付注文するのを見た事がないな、と思い当たる。家でラーメンを食べる時は、最後のスープにご飯を入れて食べるのが大好きな男なのに。答えは単純なもので、「メシ一膳が150円だ200円だとバカ高いのが納得できないから」だそうな。合点が行く。
▼祖母の誕生祝をやるので、夕食は祖母の好物のエビフライを揚げる事に。小さいエビだと手間の割に食べた気がしないので、今日は少し奮発して大きいエビを買う事にしていた。だが、今日に限って3Lサイズのものがない。よくてLL程度。スーパーを3件ほどハシゴしたがどこもイマイチ。ヤマザワで、一尾65円のブラックタイガーがナイスな大きさだったのでここに決定。解答された物を、トングで必要な量だけ取る形だったので、太くて大きいものを厳選する。おかげで食べがいのあるエビフライで腹を満たす事が出来た。大満足。
▼はてなダイアリーのblogには、文中の特定の言葉にキーワードリンクが自動で貼られるものがある。あるblogで、「槙原敬之」という部分の「原敬」の二文字だけにキーワードリンクが設定されているのを見て、なるほどこういうこともあるよなあ、と妙に納得した。そういうクイズなんかも作れそうだ。「1000円札の裏には何羽鳥がいるでしょう(答えは三羽)」みたいな感じで。どうでもいいことなんだが、ふと気付いたので。
▼週刊文春の件、上告へ。確かに田中真紀子の娘は公人とは言えないと思うが、普通は記事削除や謝罪文掲載で済ませられる話ではないんだろうか。しかしこの件、事象としては単に「離婚して帰国しました」ということだけ(記事本文を読んでいないけど)。プライバシーをさらされるのがイヤという気持ちは分かるが、彼女自身は、これほど躍起になるくらいにくらい「恥」「人生の汚点」「人に知られては困る事」と思っているという事だろうか。離婚も結婚と同じく、人生の選択肢の一つに過ぎないのだから、そこまで汚点視するのは、世の離婚経験者に失礼なんじゃないの、という気もする。しかしこの程度で発売禁止裁定なら、女性週刊誌やアサ芸や噂の真相なんて、3ヶ月に一回も店頭に並ばないのでは。
▼台湾の総統選挙などがあり、ニュース速報が何度も入った日だった。しかしやはり一番のニュースは、ドリフのいかりや長介リーダーの訃報速報だった。ガンによる入退院は既に報じられていたし、ナレーションの仕事(「人生には楽園が必要だ」など)も降板していたので、思いのほか状況は良くないのかな、と思っていたのだが、こんなに早く逝ってしまうとは思っていなかった。まだまだ若い。近いうちにそうなるのだろうとおもっていながら、案外深い喪失感に、改めて、私たちの世代における「ドリフ」と「チョーさん」の存在の大きさに気付くのだった。長い間「低俗」というイメージで見られていたドリフのメンバーの訃報が、ニュース速報になる。それだけ、放送文化の中で重い位置を占め、一つの時代を築いた存在だと、多くの人が認めたということになるだろう。
▼考えてみると、チョーさんのコメディアンとしての才気は、加藤茶や志村けんの切れ味には遠く及ばない。器用でもスマートでもなかった。最大のキメ技である「ダメだこりゃ」にしても、加藤茶の「ちょっとだけよ」「ヘックシ!」などとは違って、単体で笑いを取れる性質のものではない。ほかのメンバーのギャグがあって初めて機能する。しかし、「もしもシリーズ」などは特に顕著だが、「ダメだこりゃ」がなければあれほどの笑いは生まれなかっただろう。
▼チョーさんがほかのメンバーに卓越したものがあったとすれば、それは「シメる力」ではなかったか。ドリフのネタは、展開される場所はステージセットではあるが、ネタの単位としてはTVフレームのものだ。だから、10〜15分ごとにCM入りする事で十分なパーテーションが得られる。最近のシチュエーションコントでは、グダグダになってオチのないものでも、CMやアイキャッチが入る事で強引に一ネタを終える場面がまま見られるが、それでなんとかやっていけてるのは、正にそれだろうと思う。だが、「ダメだこりゃ」の「引き締め感」は秀逸で、実にきっちりと締まり、オチも際立つ。「ダメだこりゃ」は、大意で言えば、漫才のシメの典型的な一つである「あんたとはやっとれまへんわ」「付き合ってられんわ」と変わりない。が、チョーさんがオンカメで、時には小麦粉を口から吹きながら、絶妙のタイミングで「ダメだこりゃ」と、一つ一つのネタをきっちりとシメることで「区切り感」を与え、結果的に視聴者は「これだけの数のコントを見た」という満足感を得る事が出来る。もう一つ、リセット効果もある。再び「もしもシリーズ」の例だが、「ダメだこりゃ」は「一つのもしも設定の終わり」を示す、という約束が子供にも分かるように示される。だから、間髪入れずに次の設定のコントが始まっても、前のネタを引きずらずに楽しむ事が出来る。この「シメの才覚」は、ほかのメンバーには真似が出来ないところではないだろうか。志村けんの、パワー系落としのフレーズ「だっふんだぁ」が一つのアイキャッチ効果の域を出ず、「ダメだこりゃ」のインパクトに及ばない(多少性質は異なるが)ことを考えると、そんな風に思ってしまう。子供心に、ドリフのシメはチョーさんだから出来る、という漠然とした感覚があった気がする。「ダメだこりゃ」やコケの中に、どことなく風格というか、キャプテンシーというか、メンバーをちゃんと束ねてる人望みたいなものが、見えていたように思うのだ。
▼俳優としての演技も、何が上手かったというのではないと思う。恐らくあまり器用な方ではなかったのではないだろうか。印象に残っているのは、どこか愚直な役が多い。「踊る大捜査線」しかり、「独眼龍正宗」しかり。しかしこの2作品を例に振り返ってみると、もしあの役がチョーさんでなかったら、きっと名作として人の記憶に残る事もなかったと確信できる。あの愚直さは、チョーさん本人の愚直さだったのだろうか?少なからず人柄=私たちの中にあるチョーさん像が滲み出し、それが魅力になっていた。
▼メンバーの誰が欠けても、ドリフはドリフでなくなってしまう。換えの効かないキャラクターである事は皆一緒だ。しかしチョーさんがいなければ「全員集合」はできない。「ドリフ」というグループがこの先どうなるのか(実質ほとんど個人の活動をしてるわけだが)はまだ分からないが、実質的に大きな終焉を迎えた事は確かだろう。幼い頃、ドリフの番組にチャンネルを合わせると、母は最初こそPTA的に眉をひそめるのだが、10分も見ると一緒に大爆笑していた。そういう魅力はドリフならではのものだった。だから多くの人間がドリフを愛し、あの笑いと空気を手元に残そうとしてDVDを買った、あるいは買いたいと思った人間が実に多くいた。早すぎるチョーさんの逝去に当たって、一つだけ救いに思えるのは、ドリフのDVDの記録的な売上げを、いまや大人となった当時のクソガキが捧げた愛の形を見てもらえたということだ。さようならチョーさん。どの番組でもチョーさんは、「また来週」と言ってシメていたのに、二度と「また」がないことを、本当に寂しく思います。

●エビとホタテと茄子のフライ/キャベツとニンジンのサラダ/自家製タルタルソース/なめたけ大根おろし/豆腐とネギの吸い物
*「ワンナウツ」11 甲斐谷忍/「HEAVENイレブン」3 大和田秀樹/「TAC・TIC・S…」 モンキーパンチ

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3/19(Fri)

▼久しぶりに森永乳業のマスコット・「ホモちゃん」のサイトに、何か新しいネタはないかと行ってみる。ずっと以前の日記にも書いたが、ホモちゃんは、「森永牛乳プリン」の蓋に印刷されている、太陽の中に笑顔のある、歴史のある可愛いキャラクターだ。名前はアレだが、別にそっちのお方ではない。もっとも一人称は「ボク」なので、♂である事は間違いない。で、公式サイトのURLは「ホモちゃん.com」。しかしアクセスしてみて落胆。レジストラの管理するページに飛ばされ、「This domain is for sale!」との非情な表示。ならばと森永乳業のサイトに行ってみたのだが、ホモちゃんコーナー自体が影も形もなくなっていた。ショックだ。あんなに内容が充実していたのに。牛乳プリン買えばホモちゃんのあの笑顔には会えるけれど、そういう問題ではないんである。
▼ちょっと色々広告キャラクターが気になって、「企業のサイトになら色々情報があるだろう」と調べに行くのだが、紹介すら掲載されていない会社は実に多い。今日も、日清製粉の「マ・マー」のキャラクター(パスタの袋等にある、エプロンをした女性のキャラクター。これもけっこう歴史はある。今の一代前のデザインが好きなのだが)の変遷を見たいと思い、日清製粉のサイトに行ったが、やはり一つも情報がなかった。商標デザインの傑作である「仁丹」(森下仁丹)ですら、申し訳程度に壁紙とスクリーンセーバーが一個ずつ置いてあっただけだ。企業にしてみれば、「いつまでも旧商品のイメージで見られたくない」「他企業との合併などの絡みもあり、商標を使いづらい」「COOLな現在の商標を大事にしたい」などの事情が色々あるだろう。企業イメージは絶えず若返り続け、現役のものでいなければならないというのも理解できる。しかし、広告の歴史は商品の・会社の歴史。現在引退したキャラクターもたくさんいるけれど、大事にしたってバチは当たらないだろうし、社史の一環としてまとめておくのも立派なPRでは。その意味では、歴代の広告を順を追って並べ、当時の新聞広告写真なども添えている「救心」さんはやっぱりエラい。頑張れ。
hidemizicblogさんより。一週間も前の記事でアレだが、「Amazon.co.jp狩りが始まった…」の内容はやはり見過ごせないと思った。Amazonの自発的な動きか、それともレコード業界・はたまた政界からの外圧かは定かではないが、洋楽のUS輸入版のAmazon.co.jpでの販売が規制されるという動きが始まっているのではないか、という懸念と、一つの動かざる事実である。先日可決された逆輸入盤への規制が、洋楽輸入盤販売にターゲットを移しつつあることを感じさせる事実は、どうしたって楽観視できるものではない。洋楽CDに関しては、きわめて素人考えだが「日本で勝手に高い値段をつけて売りつけているだけ」というイメージがずっと昔からあるので、オリジナルがオリジナル(に近い)の価格で入手する可能性を地方在住の人間にも与えてくれたAmazonは本当にありがたい存在だ。日本発売盤は、高い代わりにライナーや歌詞の訳が充実しており、ボーナストラックが入っていたりする。輸入盤は、ライナーもジャケットも英語で読まなければいけないが、その分安い。買う人間が自分の必要とする要素に合わせ、納得してどちらかを選べばよいだけの話だし、長らくそうして来た。「選べる」ってことが大事なのだ。日本の音楽販売業界からは、えらい勢いで「消費者の選択の余地」が奪われつつあり、その寒い空気が流れてきて、イヤでも感じざるを得ない。
▼で、ついつい記事に流されちゃって、「買えなくなる前に」とQUEENの「Night at Opera」輸入盤を注文してしまうあたり、私も相当な愚民である。東芝EMIから、QUEENのアルバムが総CCCDに焼き直されて出るらしい、なんて話も以前から聞こえているので、まあ今のうちに。ついでにBusyの「鯨」MAXIも注文。
▼県職員は本日が人事異動の内示だったが、相方のささやかな希望は結局ダメポな結果に。こういうものは希望地区の教科人員の流れ次第。「今年は流出が少ないので無理っぽい」という話を以前に聞いており、最初からダメモトだったのでショックは少ないつもりだったが、やはり、連れ合いの希望がかなわずにガッカリしないヨメもいないんである。異動するにはいい機会だったのだが、残念。
▼内示の概要は地域紙夕刊に出るので、心配しているかと思い、実家にも報告しておく。父だけがおり、今日は母も兄も仕事の送別会で遅くなり、一人寂しく夕食とのこと。ちょうど夕食に、父の好物であるサバの味噌煮を作っていたところだったので、
「そうか〜、近かったら、うちに『食べに来い』って誘ったんだけどね。サバミソ作ってたから」と言ったら、父、
「いや、ついさっきスーパーの惣菜コーナーでサバの味噌煮買ってきたんだよ」とのこと。シンクロニシティ。
▼楽天から来たメールマガジンのサブジェクト。
定番ボトムスが997円〜!激安アウトレット特集」
を見て、「えっ、ボトムズのDVDが1巻997円!安い!すわ購入」という誤解が、「一瞬よぎる」というより、明らかに「30秒近く疑いなく認識」し、のみならず「でもそれって何話入り?2話?3話?」とまで皮算用を巡らした私は、明らかに女脳の持ち主ではないのだろう。何が「すわ」だか。「男脳」で片付く問題でもないけれど。
▼「仮面ライダー剣」、数週間ぶりに見たら、主人公がそんなにオンドゥルじゃなくなっててつまらない。でもやっぱり「バトルロワイヤル」という言葉はまるでダメ夫だったが。それにしてもTVドラマで、「今回はセリフが普通に聞き取れた」という感想があちこちで飛び交うというのは相当問題あるよな、今さらながら。「普通に聞きとれて面白くない」という感想がもっと多いという事実もさらにアレだけど。
▼週刊文春敗れる。が、今回の件に関しては「公人になりうる存在」という根拠が希薄で苦しすぎたし、仕方のないところか。発禁という処分自体には疑問。それにしても今回の差し止め請求により、長女の件を好き好んで広めるだけ広めたとしか思えないんだが。普通に文春が発売されたとして、そんなに世の中を席巻する話題ではなかっただろうに…

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3/18(Thu)

▼レバノンさんへ。先日は「サンドバッグ」とか失礼な事を言ってしまい、誠にすみませんでした。引き分けてくださってありがとうございました。
▼サッカーは予断を許さない状況にあったので、少なくとも前半終了まではハラハラして見ていたが、終始攻めの姿勢を崩さずに、ハイテンションで見事な結果を収めたのは素晴らしかった。「谷間の世代」と呼ばれ、「このメンバーでは」というような下馬評を見事に覆したのは、見ていて痛快の一言。ことにサッカーファンの方々は、ジーコジャパンの決定力の見えないしょっぱいゲームが続いたストレスを晴らしてもらった、という感じだろうか?いや良かった。関係ないが、山本監督の、熱血先生風のルックスは、いかにも日本人好きがすると思う。
▼サッカー識者には、大久保のメンタル面の未熟さ・不安定さ(天狗になりやすくキレやすい)がたびたび指摘されていたが、今日はもう文句なしに大久保の日だった。
▼釣り雑誌「ShizenClub」の釣果自慢コーナーより、ちょっとしたサプライズ。
誤植とかではなく、単にパパの釣った魚を息子に持たせただけなんだろうけれども。
それでもここは、「いやー童顔でいらっしゃるから」と言ってやるのが礼儀(何のだ)ではなかろうか。
また、釣り船広告で「豊丸」なんて名前があるのも、やはり30代オーバーの目を一瞬止めさせるものがある。勿論ちゃんと「ゆたかまる」とフリガナ振ってあるけれど。
▼同誌は、釣った魚の料理特集が魅力なのだが、今月号はホッケ特集。ホッケほど、作り立てが美味く、冷めてまずい魚はそうそうないだろう。この間は天ぷらにしてみたのだが、実に美味しかった。色々試してみようと思う。
▼魚といえば、義父がやたらと一塩ニシンを買ってくるので、妙に高頻度で食卓に登る。男性には、「同じメニューが二食続くのはイヤ」というタイプの人が結構多く、奥さんは大変なのだが、うちの義父のように「好きなもの、ツボにはまったものは毎日でもいい、むしろ毎日食べたい、あまつさえ調達しちゃう」タイプも、付き合うのはしんどいものがある。ニシンが嫌いなわけでもないし、焼きたては美味しいので食っちゃうのだが、流石に最近はちょっと辟易してきた感がある。聞くところによると、今年はニシンが記録的な豊漁だという。だから安いし、いつでも店頭に並んでいる。年内はこの試練が続きそうなので、さっさと春の鮮魚が並ぶ季節になって欲しい。
▼サッカーのあとは「白い巨塔」の最終回に見入る。久々に相方をも引き込んだ骨太ドラマだった。唐沢寿明の財前は勿論、伊武雅刀・西田敏行らの演じる、腹に一物も二物もある教授軍団が良かった。また、嫁さん役の若村麻由美。財前にリンゴを剥いてやってるのだが、お嬢様育ちだけあってヘタクソだったりするのが芸が細かい。
▼「銭形金太郎」で紹介されていた宇都宮動物園。Webでみると小奇麗だが、なかなかさびれっぷりに気合の入ったテーマパークだった。中でも、お金入れて乗るライドマシーンに、ミラーマンがいたのがビックリ。ミラーマン、この動物園ではいまだ現役なのだ。物持ちいいにも程がある。お金入れると、土台から揺れていたが。というか、コレクターに売り払った方がよっぽど儲かる(少なくとも新しいライド2台は買える)はずだが…
▼同企画で紹介されていた、筑波の「ガマ洞窟」もあまりのショボさと小金をむしる意地汚さに大爆笑。私はカエルが嫌いなので身構えていたが、ヘンなガマオブジェや石、怖がりようのないお化け屋敷などで、生のガマガエルなど一匹も登場せず。カエル嫌いの人にも安心な施設。絶対行くことないが。
▼自分の日記更新のあまりの不定期具合に、Web上で更新できる日記、とりわけblogにしちゃった方がいいんじゃないか?とも思ったのだが、容量制限や本文に勝手に参照リンクが付いたり(はてな等)するのは抵抗あるし、サーバーの事情一つで重かったり、いきなり消えたりしたらイヤかもなあ、という気がしてしまう。飛ぶも重いもサーバー次第なのは、別に今使っているレンタルサーバーでも同じ(バックアップサービスはあるが)なのだが、以前に掲示板データが飛んじゃったり、知らんうちに休止してたりしたのがいまだにトラウマになっているらしい。何よりも、「要するにHTMLだろうがblogだろうが、ズボラでダメな奴は何をやってもダメだよな」という結論に。一応、無料blogサービス比較ページなどを覗いたりはして、興味はあるのだが。
▼「いまさらこんなもん書いても誰も読むまいよ」と思いつつ、やたらとさかのぼった日付の日記に長文書いたり、2週間前の事件に憤ったりしている様は、誠にドアホウの一言である。第一、その日の天気やら食ったものやら思い出して何日分もまとめて書くという愚行は、小中学校時代の夏休みラストスパートのあの日からちっとも成長のないことの証明でしかない。しかしナンだ、「ほとんど誰に見せる当てもなく書く日記」。これは、私がただの一度も続けられなかった「純粋日記」ではないか。Web日記を溜めたおかげで純粋日記を書けた自分。書けば書くほどヘタレな事象。
▼先日、「自虐の詩」の事を書いたときに引き合いに出したのをきっかけに、なんだか読みたくなって「電波オデッセイ」を読み返す。やっぱ沁みる。私にとっての聖典だ。キャラクターそれぞれが、「もーダメだよ」「いない方がいい」と存在を否定しようとする内なる・あるいは外なる自分と向き合い、「どうあれ今この世に生きて在ることの根拠」や「オミヤゲ」を獲得する物語。みんな現在進行形のトラウマやモロモロと顔つき合わせて、心の傷を少しずつ「別のもの」に変えてゆく(あまり安易に「癒し」という言葉を使いたくないのである、この作品に関しては)。他人との何やかやの中でで見つけた、暖かくて壊れやすい「オミヤゲ」を糸にして、そっと心の傷を繕ってゆく、そんな話だ。胸に迫ってくるのは多分、その繕っていく時の一針一針にも、逃れられない「刺す痛み」があり、その痛みを変に綺麗なものに昇華したりせずに、そのまんま書いているからなんじゃないか。最近そう思うようになった。
▼同作品のエピソードで、一番シンクロしてしまったのが、実はトモちゃんの話なのだ。作者は相当痩せてるのに、何故にあんなにデブの気持ちが分かるのだろう?謎だ。
▼今のところ心臓は毛がみっしり生えてて丈夫なもので、「救心」なんて薬は縁遠い存在だ。が、昔からほとんど変わらぬパッケージ、そして赤と青で描いたハートで余すところなく「心臓」を意匠化したシンボルマークは秀逸だと思っている。そんな「救心」に、人知れずシンボルキャラクターが誕生していた。その名も「救心くん」直球だ。しかしそのビジュアルはなかなか凄い。救心くんについては、公式サイトの広告紹介ページでバッチリ見ることが出来る。まんま心臓。こんなに静脈動脈がはっきり描かれたキャラクターは古今東西なかったのではないだろうか。どことなく緊迫したような、全体的に笑っていない表情、焦点が良く分からない目線がどことなく怖い。しかもサイトフレームの右上で動き続ける救心くんのアニメ。その動きが、なんだか救心君自身が「動悸・息切れ」に見舞われているようで、言い知れぬ不安感を煽られる。でも、長年親しまれたキャラクターを引退させたり、サイトの中で扱ってない企業も多い中、新規キャラを世に出す救心さんは、誠にエラい。
▼この「救心」のサイトでは、Q&Aなども充実している。実は私、救心の「気付け」という効能、「誰かが昏倒し、一時的に軽く意識を失った時に飲ませ、覚醒させるための薬品」だとずっと思っていた。昔の映画とか時代劇などに、「気を失った人に強い酒(焼酎やウィスキーなど)飲ませたり、臭いをかがせたりして、その刺激で意識を取り戻させる」シーンがあって(その頃のドラマなどでは、ショックを受けた人、とりわけ女性が実にしょっちゅう気を失っていたのである。)、あーゆーものだろうと。別にそういうことじゃなかったんだ。勉強になりました。

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3/17(Wed)

▼むちんさんと電話。むちんさん側のIP電話状況が原因か?いつも話中になってしまい繋がらず、通常電話番号に書けたら問題なく繋がる。2月下旬のような状態ほどではないが、まだまだIP電話は不安定な部分が多いと感じる。
▼「年よりは朝が早い」話から、「今は朝5時台からニュース番組だけど、昔は6〜8時くらいはアニメなどの子供時間帯だったよね」という話に。「好きな番組の再放送だと、まだビデオがなかったので、気合入れて早起きしてた」「カラーパターンとか、コールサインの時から見てた」などと盛り上がる。早朝にやたらと繰り返す再放送アニメは、地域によってやたら偏っており、山形では「年がら年中ロボっ子ビートンと星の子チョビン」をやっていた記憶があるのだが、かつての青森では、朝っぱらから「カムイ外伝」を放送していたらしい。朝飯を食いながら水原弘の歌を聞き、やたら敵のくの一や村娘などに惚れられては風の中を抜けてゆくクールな抜け忍のエピソードを見てから学校に行く心境は、子供心にも微妙なものがあったという。すごいなソレも。
▼「最近の母親は、昔のように近所のおばさんや親戚達とコミュニケーションを持ちながら生活する機会が少なく、育児や家事に関して驚くほど知識が欠けている」ことを象徴する笑い話として、もう20年も前からよく引き合いに出されるのが、「『うちの赤ちゃんのおしっこは青くないのですが、病気でしょうか!』と医者や親に相談する」というのがある。で、最近その手の相談がますます増えているとか。けっこう聞き古した話なのだが、バカ主婦エピソードの例としてTVやネットなどで話題になっている。むちんさんの知っているのは、若い主婦がスーパーの店員さんに真顔で「ビックリ水(料理用語で、うどんやそうめんをゆでる時、沸騰して吹きこぼれそうになった時にコップ一杯程度入れる水の総称。勿論普通の水道水でよく、そういう特別な水があるわけではない)ください」と言った、という話。「米を研ぐ時洗剤入れた」などのパターンは知っていたが、これは初めてで(後で調べたら、これもそこそこ有名なものらしい)、思わず爆笑してしまった。この人はきっと、「六甲のおいしいビックリ水」「南アルプスの天然ビックリ水」とか、あるいはかん水やニガリのような、特別な性質を持った水を想像したのだろう。「やってTRY」で大量破壊兵器料理を編み出すお嬢さん方がそのまんま成長すると、DQN女になってしまうのだろうか。
▼余談。ビックリ水といえば、ふきこぼれを防ぐのと、麺を引き締めてコシを出す効果があると言われていたのだが、近年はむしろ「ビックリ水はしなくてもよい」という意見が専門家から出ている。「ためしてガッテン」でもそう言われていた。麺の引き締めやコシに与える影響は別になく、むしろ家庭用コンロの火力では湯温が回復するまでに時間がかかってしまうというデメリットもあるのだそうで。「十分な鍋とお湯を用意し、火を調整して湯音を一定に保てば必要がない」とも言うそうだ。ただ現実には、家族の数によって「一人当たり1〜2リットル」のお湯や大鍋を準備するのが難しい事も多いので、結局はビックリ水のお世話になる場面も多いのだが。
▼「マッスルボディは傷付かない」のDVD、HTBの直販サイトでネット通販できるとのことなので、そちらで買おうかと思う。ただ、受付は販売開始日の3/26からとなり、予約特典は付かない。もっとも予約特典の「黄色いパンツ型定規」というのも、悩もうにもちょいと微妙ではあるのだが。
▼夕方、義父の飲み会に送る。今日は相方の飲み→迎えもあるので、義父の迎えは義妹に頼む。しかし、指定の場所で上手く落ち合えず、探しても見つからないのでキレて帰ってきてしまい、結局私が迎えに行くことに。元凶は、携帯を持ちながら電源を入れておかない義父にあるのだが、いくらイライラしたからといって、帰ってきても何の解決にもならないと思うんだが。性格的にそういう人なんだな。それにしても嫁使いが荒い。一度義父を家に置き、もう一度駅へ。我ながら働き者だよ。相方は、飲む前と最中に摂取した、ファンケルのウコンサプリがすこぶる効いたらしい。いつもはほろ酔いでも目の辺りがはれぼったくなっているのだが、今日はほとんどシラフと変わらない。噂以上のウコンパワーに恐れ入る。ドリンク剤よりよっぽど安いし、年度末の飲み会ラッシュは、このウコンとマリアアザミで、肝臓さまにはどうか穏やかに乗り切って欲しいものだ。
▼就寝前、またヤフオクでホーロー看板画像収集。数日前に見たばかりなのだが、けっこう増えている。しかし商業看板はともかく、電信柱とかに貼ってある地名看板とか、昔玄関先に貼った金属製のNHK受信プレートとか、電話番号板とか、そんなもんまで出ていて、果たして買う人がいるんだろうか。地名ものとか、「山火事注意」のものとか、勝手に引っぺがしてないだろうなオイ、という気もしてくるのだが。またあまりに出来がお粗末で、一発で「絶対捏造品だな、型の上からローラー当てただけだな」と丸分かりなものも。しかしこれだけ個人・業者問わずに出品されているのを見ると、そりゃあ田舎からも看板が凄い勢いで無くなってる訳だよ、と納得。
▼こうしたものに心惹かれるのは、現在のグラフィックデザインにはない、フォントやデザインの画一的でない味わい、またモダニズムの力強いデザインワークの魅力が大きい。結局はそれを「なつかし」とか「レトロ」という言葉にまとめるしかないのだが、今見て魅力的に思うのは、決してそれらが「レトロであろう」としたからではなく、その時代時代で「モダンで印象的なデザインであろう」「商品の性質や利点をデザインに表そう」という気概が伝わってくるからだと思う。いずれにしろ、今見られる看板は、大規模店舗の道案内的なもの、あるいは以前多い金融ものだ。しかも、相当デカい物が多い。徒歩・自転車やバス待ち客が多かった昔ならば、両手で持てる程度の看板でも効果的であっただろうが、車社会、高速移動手段がメインになった現在では、もはやそれらのサイズは視認される事自体が難しいからだろう。
▼うちの近所にある、さして珍しくも美品でもないブリキ看板も、知らないうちになくなっているかもしれない。70年代帳な店名ロゴも、明日に改装が始まるかもしれない。そんな事を思い、ちょこちょこデジカメに収めておこうかと思う。史料価値があるとも思えないし、限りなくジャンクに近いものなので、ページにして公開するような事にはならないと思うが。こうしたものは、国道沿いなどにはまずないので、徒歩か自転車で回って集めるしかない。住宅地の地理は空くが苦手な私には、疲れるよりも先に迷子になる危険大だが。

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3/16(Tue)

▼昨日決定した五輪代表女子マラソン選考結果で、「どうしてQちゃんが選ばれなかったの!!」と納得いかない人が、なんだか相当いるらしい。1国3人まで、という動かせない枠があり、明確な国際基準記録があり、設定された期間中にその条件を満たせなかったのだから、妥当な結果なのだと思うが。「過去ではなく、その時点で国内ベストの結果をあげる事が出来る選手」を選考したのは、明快かつ透明で、評価されてしかるべきではないだろうか。野球でも柔道でもレスリングでも、あまたのスポーツでは、「悔やみきれない一つのミス、ただ一球」で強豪がまさかの敗退・選考漏れになったり、実力も評価も充分でありながら、枠やカテゴリの事情で潰しあい、涙を飲んだり(先日の女子レスリングの例のように)することは珍しくない。そこにスポーツ(観戦)の醍醐味の一つがある筈だ。極端な例だが、甲子園常勝の強豪校が県予選でまさかの敗退を喫したからといって、「今回結果は残せなかったが、これまでの実績と経験を鑑みて県代表に決定する」なんて判断はありえないし、高野連にそんな抗議をするバカもいない(筈)だろう。過去、マラソンに限らず様々なスポーツで、実績とか経験とか、果ては競技連盟との折り合いなどの不透明な要素で代表が決められる事が何度もあったが、それをスパッとカットしただけでも大きな意味があると思う。もし、そういった理由で土佐なり坂本なりが落とされていたとしたら、そっちのほうがよっぽどイヤな後味だったろう。
▼高橋を評価する要素「実績」を否定するわけではない。世界の強豪と戦い、そして勝ってきた。それは素晴らしい結果だ。実績は「経験」として、ランナーの血肉として蓄積されているはずだ。経験を積んだベテランの真価の一つは、「調子の悪い時やスランプにあっても、なんとか結果を出す」ことにあると思う。先日の東京国際では、ただタイムが振るわなかっただけでなく、ガス欠に陥ってしまったという事実にベテランの凄みを感じなかったのは事実だ。もっとも、凄みを感じさせなかったとしても、どのランナーもその時点でのベストを尽くして走ったわけで、誰が悪いというわけではない。一度の敗戦が高橋の過去の業績を消し去ったわけでもないし、ランナーの未来が失われたわけでもない。。高橋は勿論、土佐や坂本も、ベストを目指して力を出し、その時点での結果を残したというだけだ。「五輪に出たい」という思いは勿論あっただろう。アホなのは、そのモチベーションを、「高橋を蹴落とそう」と置換する「Qちゃん狂信者」だ。
▼報道によると、陸連には「なぜ高橋を落とした」「選考基準を説明しろ」いう抗議の電話が相次いでいるらしい。まあ、決定を直接下した機関だから、陸連が説明するのはいいとして、「土佐礼子への嫌がらせ電話がひっきりなし」というのは何なんだ。オーディションか何かと同じ感覚のバカだろうか?あげく、土佐の所属先である三井住友海上のコールセンターにも、「『なぜ高橋選手が選ばれなかったのか』と抗議めいた電話が数件あった」(mainichiのニュースサイトより)に至ってはもう。
「保険の相談センターに」
「オリンピック選考基準を問い合わせる」。
うのせけんいちの漫画にだって、そんな頭のいかれた人間は出てこないだろうに。陸連には、「選考選手に危害を加える」果ては「爆弾を送りつけてやる」などの脅迫電話も来ているそうだ。脅し文句だけにしたって、それってテロだろ。普通に。
▼なんだかなあ、土佐はじめ他の選考選手や陸連の迷惑は勿論、当の高橋の名誉も貶めるような行為でしかないと思うのだが。おそらくこういう手合いは、マラソンファンでもスポーツファンでもなんでもなく、単にメダリスト、もっと言えば金メダルが好きなだけなのだろう。痛々しいな、と思うのは、たとえ代表選手がどんなに健闘しても、記録を出しても、金メダルで無い限り、「だからQちゃんが出ていれば良かったのに」と多くの人から言われるのが分かりきっている、ということだ。これはきっと、野球代表の後継監督が、金でなければ「長島さんだったなら」と非難されるのが容易に予想されるのと同じだ。どちらも「国民的ヒーロー」の後光が強烈なだけに、本人の咎でないトバッチリも相当ということだろう。
▼それにしても、小泉の「もう一人出れないの?」発言は、本人はギャグのつもりなんだろうがあまりにもバカっぽかった。大泉洋のお父ちゃんの「なんとかインチキできんのか」とは訳が違うんだから。というより、マラソン代表選考の感想を一々首相(腐っても)に質問しに行くこと自体、意味がわからん(以前の「感動した!」がらみなんだろうけど)が…
▼もっとも陸連が事前に提示していた選考要素が曖昧だったのは事実だ。「メダル獲得の可能性」という言葉の中に、「過去の実績を考慮」というニュアンスが多分に含まれていたことが、いらん不透明さを生んだし、「3人を選考するのに4つのレースを設定していた」こともそうだ。アメリカ式がベストとは言い切れないが、国内選手の一発選考レースで、同じ条件のもとで争うというのは、やはり透明度の点では優れているのではないかと思う。陸連の内部も、大部分が「高橋を選びたい」というのが本音だったらしい。いっそ最初から「高橋枠」を設け、あと2つの椅子を争わせていれば、という意見も多いが、それはそれでやっぱりスッキリしなかった(まあ、今回のように変な紛糾はしなかっただろうけど)のでは。
▼ところで、マスコミがあまりにも「高橋落選」ばかり報じているので、女子はともかく、男子選考選手については全くのノータッチだな。名前だけでなく、もっと色々と知りたいところなんだが。
▼麻原の三女・アーチャリーが和光大学から入学拒否された件、仕方が無いと思う。「希望をもたせるなら試験で落とせ」という考えもあるが、センター試験だとこういうこともあるだろう。「犯罪者の娘だから」と考えると非常な処置に思えるが、彼女は教団幹部で麻原の承認を受けた後継者でもあることを考えると、「元信者の子供が転入拒否」などの事例と同じレベルで考える事は難しいのでは。今はどうか知らないが、数年前は同大学にはオウム(アレフ)のサークルがあったし、下手して大学がアレフのサテライト拠点に化けた日には一大事だし、今度は信者の入学をどうするかで悩むことになる。そっちは「信教によって入学拒否」だから、問題はさらに大きくなる。何より、来年から受験志願者が激減する事は火を見るより明らかだし、どの私大も財政難な中、受験料収入が望めないのではたちまち破産だ。冷たい言い方だが、「本当に勉強したいなら、放送大学という手があるよ」としか。
▼本日は午後〜夜まで仕事。3時間の講座×2は、体はそうでもないけど目と舌が疲れる。帰宅してからサッカーの結果を知る。UAEを下して、バーレーンが来るとは意外だった。レバノンがもはや「一人サンドバッグ」状態だから、バーレーン戦では平気で5点でも10点でも献上してしまいそうで、なんか不安。