第二部 遺産都市

第五章 傭兵の条件(2)

 
 「えっ……そ、それ。何の冗談です。」
「俺が今まで冗談を言ったか。お前は戦力外だ。これ以上ここに置いておく理由はない。明後日までに荷物まとめて、バイエルンに帰れ。これは決定事項だ。」
 桜井はあくまで事務的に、伝えるべき事だけを話して、背を向けた。
「ま……待って下さい桜井さん!!こんなの……一方的すぎます!納得できません!」
「軍の中では、命令が絶対だ。そんな事すら学べていなかったのなら、どっちにしろ、お前がここにいられる理由など無いな。お前が納得できるのできないの、全く意味のないことだ。」
 と、いつにもまして取り付く島がない。
「それなら、理由を言って下さい!」
食い下がるラルの表情からは、ついさっきまでの”白鳥”のイメージは微塵もない。
「言っただろう、戦力外だ。スカウトされたくせにズブの素人で、訓練期間を消費した。その上、やっと実戦に出れば、上官命令を無視した挙句に全治3週間。……どうだ、今のお前に、給料を貰う資格があるか。」
 そこまでまとめられては、言い返せなかった。いきなりの解雇通告のせいか、急に運動したせいか、息苦しく、目の前がおかしな色に見える。ラルは、その言葉を聞いたときと同じ、蹲った姿勢のまま、動けないでいた。
「とにかく。適性が認められないなら、死ぬ前にさっさと別の選択肢を見つけた方が、お前のためでもあるだろ。……まあ、急と言えば急な話だった。だが、早いほうがいいと思ってな。」
 それ以上ラルは何も言い返さず、残った気力で立ち上がって、桜井に一礼し、自室に戻ろうとした。もう少し寝ておけよ、と、彼女の顔は見ずに、桜井は言った。

「桜井さん、こんなやり方……誰が承服するっていうんです。」
 この決定は、ホセですら今朝聞かされたのだった。桜井の真意を測りかねる訳ではなかったが、それにしても余りにデリカシーを欠くやり方である。
「……お前も俺の副官なら、承服しろよ。」
「そんな、できませんよ!大体、戦力外の通告提案だって、桜井さんが提出したんじゃないですか!……絶対おかしいでしょう、実戦に何度か使っていながら、負傷したからって、今になってこんな……」
 いつもは温厚で、他の隊員よりも深く指揮官の考えを理解している彼らしくもなく、今日は食い下がる。
「僕にだって分かりますよ。あの一見以来、彼女にはいい意味で欲が出てきた。傭兵らしくなってきましたよ。皆、そう思ってたところです。桜井さんは……違うんですか。」
「……ホセ、お前にだから言っておく。」
 桜井は、下を向いたまま煙草に火を付けた。今日四本目。彼らしくないことだ。
「ラルは、その”欲”と、微細なプライドと引き替えに、とんでもない奴に目を付けられたんだ。」
「とんでもない……って、それは、ディーヴァ・サキオンですか?!」
「そうだ。」
「い……一体、あのシュヴァルツヴァルトの戦闘で、何があったんです!!」
 死神の名前を肯定されて、ホセが桜井の机に身を乗り出して詰め寄る。
「言った通りだよ、ホセ。どういう訳か、あの野郎は、ラルにとんでもなく興味をそそられてしまったらしい。……執拗に付け狙われて、最終的にはなぶり殺しだ。勝てる訳はない。そもそも、俺達の中で誰か一人でも、確実にあいつに勝てる奴など……」
「じゃあ……その為に彼女を解雇するんですね。」
「そうじゃない。」
 今日の本数に気づいたか、桜井は半端な煙草を灰皿になすりつけ、机に手を付いて立ち上がった。
「あの気まぐれな野郎は、獲物がいるとなれば、さらに思うがままに引っかき回すだろう。あの男に、これ以上予測不能の行動を取られては、こちらはもう対応しきれない。元々、理屈では測れない奴だ。」
「はい……それは、分かります。」
「そういう形の被害を、増やしたくない。どのみち、この戦役にしても、そろそろ形を付けなければいけないんだ。長くなりすぎた。それに……」
「それに……何です?」
「多分……あれに目を付けているのは、ディーヴァだけではないだろう。」
「は?」
「いや、それはいいんだ。……とにかく、アレの解雇には、そう言う意味合いがある。納得してくれ。」
 そうまで言われては、ホセには承服する他は無かった。他の隊員に上手く伝えるのは彼の役目だ。
 荒れるなあ。そう思った。

 「ちょ、ちょっと待てよ。本っ当にこれでいいのかよ!」
「いい訳ないでしょ!……だけど、しょうがないよ。桜井さんが決めたんだから。」
 荷物を全てまとめても、来たときより増えるはずもなかった。話しかけながら追いかけてくるマルクを、ラルがいなしながら歩く。
「上官の命令は絶対。しかも、戦力外勧告だもの。」
「だけどさあ、」
「……所詮、ここまでだった、んでしょ。」
 と言って顔を上げ、玄関に出ている桜井に、黙って敬礼をする。
「桜井さん、せめて……最後は、こうやって。傭兵として去って、宜しいでしょうか!」
「許可しよう。……ラル・クライン。軍議によりその職を解く。なお、コーンウォール軍規定に基づき、スカウト徴用者に対する退職金は、後日支給するものとする。異議はないか。」
 桜井は、あくまで事務的な口調で、それでも敬礼をして返す。
「ございません。」
「ラル。」
 それは、桜井鉄也個人としての言葉だった。
「……もう来るなよ、こういう所に。」
「……ご指導、有り難うございました!」
 噛み合わない会話。これで、コーンウォールでの数カ月が終わるのだ。どうしてもやりきれなかったが、ラルはそのまま踵を返し、正規軍で出してくれた車に乗り込む。
「桜井さん!俺に送らせて下さいよ!」
「だめだマルク。この後すぐミーティングだ。今日は作戦なんだぞ。」
いつもと全く変わらない口振りでマルクを諭し、桜井は見送りの連中を全て、キャンプの中に入らせる。
 浮ついていた男どもが、以前の様子に戻る。それだけのことだ。
 そう言い聞かせているのかもしれない。
 いつにも増して無口な桜井の背中を見ていると、ホセにはそう思えてきた。

 バイエルンは、これほど寒かったのだ。
 ターミナルから市街地の方に歩きつつ、ラルはいつしか、コーンウォールの優しい気候に慣れてしまっていたのを痛感した。
 空が暗い。低い。穏やかな冷気が、体の熱を奪う。
 これまでは感じなかった、”土地の匂い”を感じる。これが、「よその土地に出る」ということなのだろう。帰ってきて、初めて分かることだ。
 やりきれない気分の中に、どうしようもない安堵感がある。帰って来た。
 住人達は皆、好奇の視線で戦場帰りの地元娘を見ている。仕方のないことだろう。
 どうせ影で色々言われるのなら、顔見知りの所に行った方がいい。家には帰らず、そのままエドのバーに直行した。
 何も言わずカウンターに座り、有無を言わず煙草をくわえて
「……エド。火。」
「え〜〜?!……どうしたよお前。」
「……クビ。」
「ほお〜。そうなの。」
「何ですぐに納得するわけ?!火!」
 エドは、苦笑いしながら火を付けてやる。
「気っに食わないなあ。何それ。予想してた訳。」
 注文もしないのに出てきた紅茶に口を付け、ラルが憮然とする。
「いやいや〜。五体満足で帰って来て、良かったねえ、って。」
「……くそ。」
「何かお前、顔付き変わったねえ。」
「そうかな?」
そんな事ないよ、と言おうとして、いきなり煙草にむせた。
 そう言えば……これが、最近吸っていない、三本目の煙草だったことを思い出した。

 ゆっくり寝ているつもりだったのに、午前五時には勝手に起きてしまった。ここの朝は、随分暗い。ブラインドを下ろしていると夜も朝も分からない位なのに、体が勝手に起きあがって、さっぱりと目覚めている。その上、日課だったロードワークを、手足が求めている。
 習慣とは怖ろしいものだ。もう一度ベッドに潜り込んで抵抗を試みたが、無駄だった。ので、仕方なく起きて、Tシャツスパッツに着替え、シューズの紐を締めて外に出る。一際、吸い込んだ空気の冷たさが、歯に、喉に、肺全体に沁みる。
 バカみたいだ、と思う。今更こんな事をしても、何にもならない。そう思うから、いつもよりも体が辛い。
 体の端々が、細胞の一個に至るまで、掴みかけた筈のものをみすみす腐らせることを拒否している。意味のない抵抗だが、今はその要求を聞いてやるしか手段がない。
 マリアの所まで走り詰めてきて、足を止める。
 場所柄、誰も起きてはおらず、静まり返っていた。
 荒い息のまま、壁に両手を付き、呼吸を整えようとする。気持ちよく噴き出した汗が、そのまま真っ直ぐ石畳に落ちて、一時的なシミを作る。
 大きな息が、白い。
 ……6月だぞ。
 乱れる呼吸の中、誰に向かってでもなくラルは呟いた。