ヨードとかじめ

 本作は、沖津の浜のかじめ焼きのシーンから始まりました。
 これは「天火干ししたかじめを焼き、取れた灰(沃度灰)をヨードの原料にするため」です。
 後述しますが、ヨードは海藻類に豊富に含まれています。ですから、昆布やメカブ、ホンダワラなど、適した海藻はかじめだけではありません。
 特にかじめが選ばれたのは、沃土含有率は勿論のこと、作中にもあった通り「腐らせて肥料にするしか使い道がない」海藻だったからでしょう。
 それに、昆布やワカメなどと違い、ダシにもならなければ、生食にも向かないもの(地方により、汁物の身などには利用されています)です。それを有効利用できるということで、当時は一石二鳥の産業であったと考えられます(しかも女性や老人など、漁に出る体力的条件のないものでも従事できます)。
 海藻の中でも特にコンブ科と馬尾藻類の含有率が高いようです。
 コンブ科には昆布類、カジメ、アラメ、マオモ科にはホンダワラ、オオバクモなどが含まれます。
 作中では「沃土灰」と呼ばれていますが、精製法の専門用語では「海藻灰」または「ケルプ」と呼ばれることが多いようです。

 現在、ヨードは天然ガスかん水から精製されています(後述)。
 実は当時もかん水からの精製は行われてはいたのですが、まだ技術が発達しておらず、海藻灰からヨードを作るほうが遥かに歩溜りがよく、能率的な方法だったのです。

 この写真は、当時(大正時代)をしのばせる絵葉書で、かじめ取りの風景(南総御宿海岸)を伝える貴重なものです。
 文面は読み取りづらいのですが、出来る限り書き出してみます。

かじめとは若布(わかめ)に類する海藻也
専ら沃度精製の原料となるもの也
当地は南総海岸における最も重要なる産地也
尤も
目下は沃度下落し 其の為め 其採取も不盛(以下判読不能)

とあり、かじめ取りがヨード価格下落のため(おそらく輸入物が安価で普及したためか)廃れた頃に書かれたものと推測できます。
(読み取り間違いなどのご指摘お待ちしております)

かじめ焼き、その方法

調べていたら、正しいかじめ焼きの方法(海藻灰の焼き方)が分かりましたので、ご紹介します。

採取または打ち上げられた海藻(漂着した海藻は、漂着するまでにヨード分が失われるので歩留りが悪い)を十分乾燥して焼きますが、燃やしてはいけません。
そのため風の方向を良く見定めて幅1m、長さ10m位に細く薪を組み、風上から点火します。
燃え上がったころを見計らって海藻をかぶしていきます。燃えるとヨードが逃げますので炎が上がらないように注意しながら次々とのせていきます。

こうして採取した灰から、浸出法、発酵法、炭火法などによってヨードが抽出されるのです。
実際にかじめ焼きにトライなさる方は是非参考にしてみてください。

(参考:「戦時中の昆布産業」 http://www.sen.or.jp/~ncn00029/kombu/kombu_25.htm)

ヨードと時代

 明治時代に入り、日本でも大手製薬会社が国内でのヨード生産に乗り出しました。

 明治19年には武田製薬(現・タケダ)の四代目武田長兵衛が、粗製ヨードからヨードカリを製造する事業をはじめました。
 初代・塩野義三郎(現・シオノギ創設者)、15代・田邊五兵衛(現・タナベ製薬創設者)とともに「廣業舎」という会社を興し、ヨード・ヨードカリ・ヨードナトリウム・ヨードホルムなどを製造しました。に「廣業合資会社」と改称した明治26年6月には、輸入品に劣らぬ純良頻出の製品を作れるようになっていました。
 その躍進が、世界の業者を敵に回すヨード問題に発展したのです。
 安価で良質な国産ヨードは、それまで流通していた外国産ヨードを圧迫しました。
 それに対して、明治28年にはチリ、ドイツなど6ヵ国の同業者が英国グラスゴー市に集合、ヨードシンジケートを組織して日本製品を潰すべく値下げを協議し断行。また日本全国のヨード原料を買収しようと計画した。
 このとき、シオノギ、タナベ、タケダは、一致団結してこの動きを迎撃、勝利することが出来たといいます。

 シオノギの「塩野義一翁伝」には

 「そのため(シンジケートによるダンピングにより)、我が沃度(ヨード)製造者は非常な苦境に陥ったが、内地製品は勿論、輸入品を買い集め、倫敦(ロンドン)市場に送る等、彼等(シンジケート)の意表に出た策戦がその図に当たり、此の競争は我国(わがくに)の勝利に帰し、つとに我国沃度事業の堅固なる基礎を固めることが出来た。翁(初代・塩野義三郎)は此の内外対抗戦の一勇士として活躍し功績を貽(のこ)された」(『塩野義一翁伝』より)

 とあり、当時の「ヨード戦争」の様子を物語っています。
 これは大阪にあったタケダをはじめとする製薬会社の動きです。主に原料を産出する側であった関東のかじめ業者の事情はどうだったのか、気になるところです。

 おそらくこれが、「イギリス商会」のエピソードに結びついたのではないでしょうか。
 となれば、杉井商店に「一致団結して国産ヨードを守ろう」と働きかけた牧玲睦の行動も、あながち的外れではないといえるでしょう。

 ヨードと戦争

 作中では、第一次世界大戦の軍需景気によって発展した総武沃度ですが、終戦による価格下落により経営が行き詰まってしまいます。
 実際、ヨードの製造とその背景には戦争が色濃く関わっていたようです。

 一つには、ヨードは医療および化学工業に広く利用されるため、戦地での医薬品や物資を作るために需要が跳ね上がる。戦争が需要自体に波を及ぼすため。
 もう一つは、外国との兼ね合いです。戦争がはじまれば外国との貿易が一部を除いてシャットアウトされるため、国産品のシェアが上がり活性化するのですが、戦争が終われば安い外国製品が流れ込み、一気に厳しい状況に追い込まれることが原因です。

 事実、一時は陰りを見せたかじめ焼きも、昭和に入って太平洋戦争がはじまると、再び活性化したそうです。
 これは連合国側との国交断絶によって外国産ヨードが入ってこなくなったため、そして昭和12年の物資統制令により自給自足に転じ、かつ軍需が増大したためです。