安達が原[伍]:化身




 ハヤト。
 神隼人。
 口惜しや。
 お前と折角邂逅する好機に恵まれながら。
 我はお前の存在を消すことが、
 消して未来の地獄を変えることができずに死んでゆかねばならぬとは。
 ああ、この女さえ。
 この女さえ、我をもっと大きく、早く育てていたならば。
 いや、お前の昔語りなどに耳を貸さず、さっさと自由を奪っていたならば。

 ゲッターロボと共に在らぬ今の貴様などに、後れを取ることはなかったものを。
 なんという蒙昧な女。
 あのような女の愚行と、欲目のせいで。
 ああ、返す返すも口惜しい。


 目の前に---これは瞼の裏なのか、それとも脳が直接この突拍子もないビジョンを見せられているというのか。
 目の前に広がる光景は、奥行きも広さも果ての無い、見たこともない色に輝く大宇宙。
 そしてその半分以上を、あまりにも巨大な胎児がゆらゆらと浮かび、覆っていた。
 その胎児はなお、飽くことなく成長しようとし、拡散し続けている。
 まるでその光る宇宙が胎児の一部のようでもあり、ぶよぶよと光る胎児が宇宙の一部のようにも感じられた。
 その中に自分が居るのか、あるいは外部からの目線でそれを見ているのか。それさえも判然としない。
 認識自体が混濁する中、胎児の声が隼人そのものに直接話しかけて来る。
 それはあたかも、脳に直接触れられるような感覚。
 その声は男の子供のようにも、女のようにも、また老人のようにも。
 あるいはその三者が同時に話しているかのように、多重的に響いていた。

「ゲッターロボだと?」
 思いも寄らなかった言葉に、隼人は驚き、問い返す。
「お前は一体誰だ。単なる晴明の斥候なのか?
 何故ゲッターロボを知っている。
 そして未来とは、未来の地獄とは……一体何のことだ?」

 質問の多い男よ。
 お前がそれを知るのは、今ではない。
 あるいはそのサイクルの生の中では、知りえぬことかもしれぬ。
 だが、いつかは知ることになるだろう。
 いくつかの犠牲と、そして孤独と引き換えに。


「……犠牲……?」

 神隼人。
 お前が今それを悟る必要はない。
 お前はいかにゲッターの真理を希求しても、自身は「皇帝」にはなれぬさだめの男。


「コ ウ テ イ ?」

 自分の声が、自分のもののように聞こえない。
 自身が語っている筈なのに、まるで「相手」の声と混ざり合って再生されているようだ。
 認識はいよいよ乱れ、濁り出す。
 何を語り、何を語られているかを把握するのが精一杯になって来た。
 目も、頭も、耳も、何もかもが重く感じられる。
 意識が薄まって、このまま深い眠りに落ちてしまいそうだ。

 いかん。
 「鬼の子」の生死もはっきり確認していないのに、こんな場所で、こんな状況で眠ってしまっては、また別の類の、「鬼」の手中に陥ってしまいかねない。

 神隼人。
 しかしお前は、皇帝がその座に至るためには必要な男。
 なぜならお前がいなければ、あの男は「皇帝」へと至る道に旅立ち、歩き出すことはできないのだ。
 だから我は。
 そうなる前にお前の存在を消そうとしたのだ。
 それなのに。
 あな。口惜しや。


あ の お と こ
と は 
だ れ の
こ と だ。


 やがてゲッター宇宙を統べる者、ナガレ・リョ……

 そこで一度、隼人の意識は、認識と共に、ブツリと断ち切られた。




 今、繭屋の上空には、大きな徒波が浮かんでいる。
 そしてそれは、強く緑に輝いていた。
 その光に、今意識を失って土の上に倒れ伏している隼人は、気付くこともない。
 光の中から地上に降り立った、「光る男」の輪郭さえも、隼人には視認できない。

 男は、もはや再生も出来ぬほどに叩きのめされた、息絶えた胎児の醜い死に姿を一瞥して呟いた。

「やれやれ。鬼たぁ言え、ガキにここまでえげつねえことがやれんのは、まったくお前ぐれぇのもんだぜ。
 ……なぁ?隼人。」

 と言いつつ、男はしなやかな底を持つブーツで、グシャリと胎児の亡骸を踏み潰し、苦く笑った。

 眦の吊り上がった力ある目、癖のある跳ねた黒髪、そしてライトグリーンを基調としたパイロットスーツ。
 その姿はまさに、流竜馬その人のものだった。
 しかし、隼人が探そうとしている竜馬と、厳密には同じ存在ではない。
 見た目には、隼人の知る二十歳の竜馬と、さして変わった点はない。
 心持ち髪が伸びているかもしれない。
 外見的な差異といえばそんな程度でしかなかった。

 しかし、目の前で眠るように横たわる隼人を見るその視線は、限りなく懐かしげで、切なく、郷愁すらまとっていた。
 それは隼人が見たこともない、いや、他人には決して見せようとしなかった、「かつての戦友」を懐かしく見つめる顔、である。

「晴明みてぇな小者の配下の割にゃあ、随分と色々余計な事まで知ってやがる。
 ガキのくせにベラベラベラベラ、言わねえでいい事ばっか喋りくさって……
 いや、ガキだから、その辺考えなしなのかもしれねえなぁ。」
 変わらぬ声でそう呟き、竜馬は隼人の顔の近くで膝を折り、覗き込む。
「けど、今の話は、お前はまだ聞いちゃなんねえ話だ。
 それに……こいつの言う『地獄』とは全然違うが……いや、違わねえか。まあいいや。
 俺の見ちまった地獄は……お前が見ちゃいけねえ代物だし、そこに行っちゃいけねえ世界だ。
 ワケわかんねえだろうな。俺だってまだよく分かっちゃいねえ。
 ただなあ、お前は絶対に来るんじゃねえ。来ちまったら……」
と、聞こえる筈もないことを想いのままに語り、竜馬は辛そうに目を伏せる。
「それにしてもお前はホントに水くっせえ野郎だよ。
 黒平安京でこんな目に遭ったなんて、一言も俺らに言わなかったじゃねえか。まあ……そんなバカ話する暇なんてあんま無かったけどよ。全然なかったわけでもねえのにな。
 ----んなこたぁ、今言ったってどうしようもねえ、か。」
 竜馬は溜息をついて、また続けた。
 それは誰が聞くでもない独白。
「俺が他の時間とか他の世界とか……仕組みは未だによく分からんけどな。
 そういう所に、行こうと思って行ったり、干渉するってことは基本できねえし、しちゃいけねえ事らしい。
 でもよ。今回はどうも、晴明の子鬼の筈が、やたらにとんでもねえとこに繋がってたみてえでな。知らせんでもいいことを、今際の際にお前に見せちまったんで……
 ま、それを忘れさせるために特別に来れたってことみてえだ。
 普通の人間の脳じゃ、見せたイメージを捉えきれねえらしいけど、お前は異常にアッタマいいからなあ。油断できねえってさ。言ったのは俺じゃねえけど……
 って、俺が喋り過ぎちゃ世話ねえな。」

 苦笑いする竜馬がおずおずと、隼人の額に右手を伸ばす。
 緑に光る指先は、実際には隼人の肉体には接触することができない。
 指先は半透明に額をすり抜け、その中に差し込まれたような形になって、温かくボウッと光った。
 今の竜馬は実体を持っていない。
 異なる時空と繋がる存在である鬼には触れても、懐かしい友の体には、直接触れることも、体温を伝え合う事も出来ないのだ。
 隼人の頭部と一瞬「アクセス」しただけで、先ほどの「宇宙と胎児」のビジョン、そして会話の記憶を消し去る作業が済んでしまったようだった。
 自らの体と存在が「便利」になり過ぎてしまったことに、竜馬は寂しそうに微笑するしかなかった。
「ま、お前は人から触られんのが大っ嫌いな奴だったからな。都合が良かったかもしんねえな。」

 不意に、頭上の徒波が大きく揺らぐ。
 「将来」の世界から特別にアクセスが許された竜馬だが、与えられた時間は限られている。
 行動のための実体を持たない分身・「虚身」も、足先からイメージがクラスタ状に綻び始めていた。
 このまま長居し過ぎて「虚身」のデータを大きく損なってしまう事があれば、別時空に居る実体も、相応のダメージを受けてしまう。
 第一「徒波」のゲートを開通させていられる時間も、また有限なのだ。
 竜馬に早く戻れと促すように、光の感覚が短くなった。
「急かすんじゃねえよ、ったく。」
と愚痴りながら、竜馬は、雷撃のせいか、隼人の後ろ髪を縛っていた紐が切れ、黒髪が土の上に広がっている様子に気付いた。

「お前さあ、髪結ってんの、似合うよな。あとチョボチョボ生えてる髭も。
 癪だから、一度も言ってやんなかったけどよ。」
 そう呟いて、竜馬は隼人のマントの端を少し破き、何度か捩って不格好な紐を作り、それで元通りに隼人の髪を結んでやった。
 無機物になら、辛うじて触れることが出来る。
 この紐を通じてなら、隼人の髪をまとめるぐらいのことは可能だった。

「……この後また会えるの、知ってるけどよ。まあ、元気でな。
 俺はまあ、元気は元気だ。相変わらず一人だけど。……じゃあな。」

 『あばよ』と言いそうになり、竜馬は一瞬躊躇って、『じゃあな』と言い直した。
 それは、今言う言葉ではない。
 そして隼人に対し、二度も繰り返して言うべき言葉でもない。

 言いたいことは山ほどあるが、キリもないし、言葉をかけ過ぎて、何かが隼人の「印象」として遺ってしまったら本末転倒に過ぎる。
 竜馬はぞんざいに別れの言葉を言って、できるだけ、前よくやっていたように、尊大な感じでニヤリと笑いかけた。

 次の刹那。
 緑の徒波は一瞬にして消え、竜馬の姿もまた、過程さえ見せずにかき消えていた。




「ちっ、仕損じよったか。
 よりにもよって、網にかかったのが神隼人でなければ、あの女も、我が『種児』も、願を果たせていたかもしれぬものをのう。」
 晴明は一部始終を水晶玉の上でモニタリングして眺めていたが、結局不首尾に終わった顛末を見届けて、つまらなそうに呟いた。
 晴明にとっては、鳰とその胎児がコントローラーであると同時に、リモートカメラの役目も果たしていた。
 彼が見届けられたのは、隼人によって胎児が息絶える瞬間までの映像であり、その後、つまり胎児が隼人に見せたビジョンや、未来宇宙の竜馬がその記憶を消すために、イレギュラーアクセスして来た様子は知る所ではなかった。

 もしあの繭屋に立ち寄ったのが武蔵坊弁慶であれば、鳰の誘惑に容易に陥落していたのは確実である。
 そして、流竜馬ならば。
 女の誘いは蹴ったとしても、赤子を殺す行為には本能的に何がしかの抵抗を示し、逡巡した可能性もある。
 鬼とはいえ、赤子の姿をした生き物を、平気で石に叩き付け、まして爪で抉り殺すことが出来るのは神隼人だけ。そういう意味では、たまたま遭遇した相手が悪かったとしか言いようがなかった。

「まあ、佳い。
 手駒は他にもたんとある。
 それに流竜馬がこの黒平安京に辿り着いた時に、あとの二人が居なければ、完全なゲッターロボとも、完全な流竜馬とも戦えぬ。そう考えれば、これはこれで良しとせねばなるまいよ。」
 晴明がククク、とくぐもった声で笑うと、侍っている二人の鬼女もまた、それに合わせて愉快そうにほくそ笑むのだった。

「用済みの卑しい屍鬼どもは、土に還るが良い。
 育てた蟲たちが、貴様ら親子を喰らうことであろう。」
 晴明が水晶玉に向かい、数秒の「呪」を唱える。
 すると鳰と胎児の遺骸はたちどころに、土塊のような「蛋白質の砂礫」と化し、その場にザラザラと小山を築いた。




 頬を雨粒に叩かれ、隼人は目を覚ました。
 彼の記憶には、鬼の胎児を指で突き殺したところまでしか残っていない。
 その後なぜか意識を失い、そしてまた覚醒した。それ以外の認識は、全て消去されていた。

 あれからどれほど時間が経ったのだろうか。
 とりあえずまだ夜が明けてはいないらしい。
 節々が痛み、その上雨で冷え切って軋む体を起こし、周囲を見渡す。
 雨は強くなっていたが、雷気は遠くへ去っていたようだった。
 濡れ髪が重くへばりつく額。
 その中央の一点だけが、なぜか妙に温かく感じられた。

 自分が殺した筈の胎児の姿を探すが、そこには雨にしとった、奇妙な匂いの土塊があるばかりだった。
 状況を不審に思い、繭屋の中に戻る。
 土間にはあれほど飛び散った悪露の血や滓は見当たらず、ただやはり、生臭い土の山と、茶褐色の砂が飛び散っているのみ。
 そしてその土塊の傍らには、鳰が自らの腹を切り裂いたあのメスだけが、冷たく横たわっていた。
 直感的に、これは晴明が、役目を果たし損ねた鳰たちを「処分」した、その残骸だと理解できた。
 だから、晴明が作り授けたものではないメスだけが、その形を保ったまま残ったのだろう。
 囲炉裏の周りには、メス同様に、鳰の脱ぎ捨てた麻の小袖も、風化することなく姿をとどめていた。
 隼人は特に意味付けすることもなく、彼女の遺品のメスを近くにあった紙で包み、マントの中に仕舞った。何かの役には立つだろう。その程度にしか考えていない。隼人は確実に、平素の自分を取り戻しつつあった。

 思えば、鳰という女もつくづく哀れな存在ではある。
 もしも自分と会う事がなければ、あの鬼子を産み落とす希望だけを胸に、人の皮をかぶって暮らし、こんな姿にはならずにすんだかもしれない。
 しかし神隼人はこういう性格、女子供の形をした生き物も、平気で殺せる人間。その「人でなし」を待ち望み、自ら招こうとしたのは鳰本人だ。
 そして俺は男だ。
 「産む性」である女なら、「愛しい者を産み直す」という幻想の中に浸って幸せに暮らせる者もいるだろうが、とてもそんな妄念には付き合い切れない生き物なのだ。

 それにしてもこの家は臭く、そして微妙にかまびすしい。
 蚕がカサカサと、桑の葉の絨毯の上でそれを啄ばむ音も、飛べない成虫がもがく様に動く翅音も、何もかも鬱陶しかった。
 禍々しい一夜を過ごす羽目になったこの家を、早く出てしまいたい。
 母として女として。とにかくそんな情念じみたものが漂うこの家の空気は、あまりにも濃く、重すぎる。

 今後を思えば、金目のものを物色するのに如くは無いのだが、とにかく忌避感の方が遥かに先に立った。
 木戸を閉め、厩を覗く。
 中に居た少しの牛馬も、そして隼人が連れて来た馬も、あの凶事と落雷にも関わらず、そのままの姿で繋がれていた。
 馬の様子がかなり元気を取り戻しているのを確認して、隼人は手綱を取り、鐙に足をかけてひらりと跨った。
 走っている最中の姿勢制御はまだまだだが、乗り降りの所作は大分掴めてきたような気がする。

 来た道を取って返して、さっきの祠に戻って休んでもいいが、この繭屋の異変が発覚してからこの近辺を通るのは抵抗があるし、何より此処に立ち寄ったことを、祠で会った男には知られている。
 それを考えれば、一気に通りすぎて西へ、そして鬼の都へと近づいた方が賢明だろう。
 馬に無理をさせるのはまだ気が引けたが、休み休みでも駆けて行けば、それなりに距離を稼げるはずだ。
「雨の中すまんな、行くぞ。」
 手綱を握りながら静かに呟き、隼人は遠慮がちに馬の腹を蹴った。



 駆けている最中にも降り付ける雨が、マントの被った古血を洗い流してくれたのは好都合だった。
 その雨も、夜が明けた頃にはほぼ上がり、秋特有の高い空が姿を見せる。

 とにもかくにも、馬という生き物は、思ったよりもずっとデリケートで、こまめに体調をチェックして世話をしてやらなければならないものらしい。
 馬に限らず、動物を飼った事のない隼人には、どうしてもそういう間合いを掴むのが苦手なのだ。
 そもそも昨晩あんな目に巻き込まれたのも、あまりに自分の馬の扱いがぞんざいだったのが一因でもある。その点は流石に少し反省したようだった。
 あの繭屋を出て、鳰が言っていたのと思しき荘園も過ぎ、そこからさらに30キロはゆうに走った。
 そろそろ一度馬を休ませる頃合いか、と、降りて手綱を執りつつ歩いていたところ、静かなたたずまいの、井戸のある家を見つけた。
 井戸を借りていいかと尋ねると、おあつらえ向きに、老夫婦だけの暮らす家で、「水汲みを手伝ってくれるならば少し干し草も分けてやる」と、随分好意的に言ってもらえた。
 「水汲み」といっても、何しろ井戸は敷地の中にあるのだから容易い事だった。
 汲み上げた水を家の中の甕に移すだけの単純作業をすぐに終えてしまうと、老夫婦は久し振りに若者と接したのが何やら嬉しいらしく、蒸した里芋を振舞ってくれた。

「そうかね、東の方から旅をねえ。」
と、老婆は物珍しそうに言った。
「なら、昨晩はお困りじゃなかったかね?
 秋には付き物とは言うものの、殊の外酷い雷だったから……」
「ええ、まあ、難渋したので大事を取って、早めに宿を借りて休みましたよ。」
 隼人は、適当に答えておく。
「それは良かった。
 昨夜は、特に化しが原に、仰山大きな雷が落ちて、納屋が焼けた家もあったとか……」
「……アダシガハラ……?」
 つい、隼人は訊き返していた。
「お前、旅の人にいきなり土地の名前を言うても分かるまいよ。」
 夫に窘めるように言われて、老婆は補って続けた。
「お前さまは、ここに来る途中に、桑畑のある大きな荘園を通って来なかったかね?」
「ああ、そこなら……朝に過ぎて来た。
 その荘が?」
 そこはまさしく、鳰の繭屋を従える荘園のことだった。
「そう、土地のもんは昔から、化しが原と呼んどるよ。
 今は立派な荘園だが、ずっと昔は、死んだ人……特に身寄りのない者や旅の途中で死んだ人をそこに埋めたり、行儀の悪いのになるとそのまま捨て置いて、骨になるまで野ざらしにすることもあったらしいがねえ。
 そういう場所だったんだよ。
 その後は偉い方にきちんと穢れを払っていただいて、今は桑畑になっておるそうだが。」

 そう言えば、京都に「化野」と書いて「あだしの」と呼ぶ、石仏群で知られる場所があったのを思い出した。
 地理的な位置は此処とはまるで異なるが、あそこもかつて、死体を棄てる場所であった筈なので、由来や語義的に同じようなものなのだろう。

 そして何より。

 アダチガハラと、アダシガハラ。

 あまりにも似ていて、
(いくらなんでも……出来過ぎもいい所だな。)
と、隼人は微かに苦笑いを浮かべ、老人の勧めるがままに、衣かつぎの芋を一つ、口の中に放り込んだ。


 それから十日ほど経って後のこと。
 鳰の繭屋に食べ物や薪を届けに行った荘園の男が、彼女の姿の消えているのに気付いた。
 家の中が荒れているので、夜盗にでも遭ったかと探してみたが、姿が見当たらない。
 美しい女であったから、そのまま連れ去られたか、それとも鬼に食われていたか。そう訝しんで奥の部屋に足を踏み入れた男は、古い髑髏の山を見て腰を抜かした。
 あな恐ろしや、あの女こそが鬼であったか。

 この話はたちまちに、
 「化しが原の一軒家には鬼女がおったそうな」と、
 村から村へと広まった。

 そしていつしか話には尾ひれが付き、微妙なバリエーションを得ながら流布して行った。
 姿を消した女はどこへ行ったのか。
 鬼の都へ召されたと言う者も居り。
 また、不思議な法力を持つ旅の僧に退治されたのだ、この前化しが原に落ちたあの大きな雷を見たか、あれこそが秘伝の呪法で招来した天の矢である、と、見て来たように語る者もいた。
 さらにある者は、「その雷の日に、見慣れぬいでたちの旅人を見た」とも言った。
 そのため隼人は、自らの預かり知らぬところで、ある時は「鬼女に食われた哀れな犠牲者」として、またある時は「鬼女を折伏した旅の高層」として、様々なキャラクターを付加されて、「化しが原鬼女伝説」に欠かせぬ人物として語り継がれることになる。

 もっとも、ところどころにテクノロジーの過剰が見られるとはいえ、まだまだ情報の伝達速度が遅々たる時代である。
 黒平安京に滞在したその後一カ月の間、自分を巻き込んだこの噂話が隼人の耳に入ることは、結局一度として有りはしなかった。

[了]

この世の名残り、夜も名残り
死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜
一足づつに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ。
あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、
残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め、寂滅為楽と響くなり。
(近松門左衛門「曽根崎心中」より)
(「曽根崎心中」引用部分・意訳)
この世とはお別れ そして今宵が最後の夜。
死に向かおうとする身の上を例えるなら、さしずめ墓場の道に降りた霜が、一歩踏みしめるごとに消えて行く様によく似ている。
夢の中で夢を見ているような、どこか覚束ない心地。それは切なく哀れという他はない。
時は明けの七つ。時の鐘が六つ鳴って、残るはあと一つ。その時こそが二人の命の終わる時。
この世で聞く最後の鐘の響きは「寂滅為楽(生死を踏み越えた涅槃の境地にこそ、本当の安楽がある)」と語りかけるかのように聞こえる。。

・あだしが原=墓場・墓地。死体を捨てる場所。
・七つ(明け七つ)=午前三時ころ。
・寂滅為楽=「生死を踏み越えた涅槃の境地にこそ、本当の安楽がある」の意。仏教用語。
 (ここでは仏教用語的な一般語義を付記しましたが、心中ものとしてのストーリーを考えると、
  「死ねば全てのしがらみから解放されて楽になれる」「死ねば誰にも邪魔されずに一緒になれる」
  というような意味合いの方がしっくり来るような気がします。)


[四]←   [目次]   →[あとがき]



 最後までお付き合いいただきありがとうございました!
 何となく隼人は、馬には優しいというか、動物に不慣れなので腰が引けた接し方で、結果的に扱いが丁寧になっちゃう感じとかなんじゃなかろうか、とか妄想している私です。

 そして表バージョンの割にはなんか思いの外ホモ臭くなっちゃったような…