第三回 羊ノ肺ハ見ル、草原ノ夢

原典:「居家必用事類全集」(きょかひつようじるいぜんしゅう)

元の末期に完成したとされる百科全書。
ここで扱われているのは「飲食部」について。調理法についての記載は材料の分量まで明記してあり、レシピとしてかなり詳細である。
掲載の料理は200点以上。
モンゴル人・漢人だけでなくウィグル人やイスラム教徒も登用された元の社会文化を反映し、異国料理も数多く掲載されている。

主な和訳:
中国の食譜 中村喬:編訳 平凡社東洋文庫(1995年)の中に一部抄録。
刊本としては『居家必要事類全集 附吏学指南』(中文出版社)が入手しやすい。
*河西肺(羊の肺の詰め物)

・羊の肺(心臓・気管つきの一揃い)

(ソース用材料)
・蜂蜜(3両=120g)
・バター(酥の代用)(半斤=300g)
・松の実
・クルミ(甘皮を取り去ったもの)(松の実とあわせて10両=400g)
・ニラ
・小麦粉(4両=160g)
・緑豆粉(4両=160g)
・芝麻醤

・肉汁(ここでは羊肉のスープ)
羊の肺はモンゴルの伝統的食材だが、スコットランドの郷土料理「ハギス」などにも用いられている。また豚や牛の肺は、中華料理や韓国料理にも様々なメニューがある模様。

「河西」とは「黄河の西」という意味。
元の統治下では、この地域にはウィグル人やペルシア人といった騎馬民族が居住しており、この料理もそういったイスラム教徒から伝えられたのでこの名がついたと伝えられる。
政府高官や貴族のパーティー料理として人気があったという。
オープニング、軽快な音楽に乗って、馬の首がついた遊具?にまたがり、楽しそうにスキップして入って来る金シェフ。
例によって文献と料理の紹介。モンゴル人の王朝・元の時代にはさまざまな民族が活躍し居住していたので、いわゆるエスニック料理が伝えられ、人々の舌を愉しませたというお話。
金さん「元といってもー、ジンギスカン鍋じゃないヨー」ということで、河西肺の紹介。
「まず、心臓のついた羊の肺を一揃い、ご用意くださいねー。」

……ご、ご用意くださいって簡単に言うけどさあ。
私も色々料理番組見てきましたが、これほどまでに、いきなり土台の材料が入手困難なメニューにぶち当たったのは初めてです。
一体日本の家庭で、「アラちょうどよかった、冷凍庫に羊の肺があったわ」と反応できる家が何件あることか
というか、よっぽど気の利いた肉屋に、しかも前々から頼んでおかなければ、羊を育てている酪農家でもない限りどうしようもないです。
視聴者の99%が投げかけるであろうそんなツッコミなどおかまいなしに、説明は流れるように進んでいきます。

画面には、銀皿の上に、気管と心臓のついた羊の肺が、デロ〜リと鎮座ましましております。
この肺をまずは綺麗にして、血抜きをしなければいけません。何しろ心臓付きです。

「元代の料理書には、どう血抜きをしろって書いてあるの〜?李〜〜〜さ〜〜ん!」

勿論、李さんはちゃんと知っていて、的確に教えてくれます。

気管に直接口を付けて、血ぃをよう吸い出せ、やて。」

さすが遊牧騎馬民族の料理。下ごしらえからしてアグレッシブですね。
でも金シェフは現代人。
「ええ〜、直接口をつけて吸うって〜〜?そんなのやーだよー!!
だから子供ですかあんた。
「エレガントにいきましょう〜」
ということで、香港料理の一つである豚の肺料理と同じように血抜き処理。
水道から直接水を流し入れて、気管を抑えておいて水を行き渡らせた後に、肺を押して水を押し出すと、中の血や汚れが気管から出てくるのです。これはなかなか優れた方法で感心しました。だからといって応用できる場所はなかなか見つかりそうにありませんが

次に詰め物となるソースを作ります。
まず緑豆の粉は肉汁で溶きます。レシピにある「肉汁」については何のものかは記載されてませんが、ここでは羊の料理ということで羊肉のスープを使います。
次にニラ汁。もちろん金シェフは「科学の力」を発動して、「ジンギスカンもびっくりです(場内爆笑)」ライトなジョークを交えつつミキサーで一気に作ります。
これで小麦粉を溶き、先ほどのニラ汁と合わせます。
「これきっと、あっまーくなりますねぇ」と言いながら蜂蜜、そして溶かしたバター(李さんが言うには「酥」に近いものらしい)を入れます。


李さん次にくるみと松の実。
「これ、まさか手ですりつぶすの〜?」
「その通り」と言う李さんに
「え〜〜、そんなの面倒くさいよ〜。李さん、アンタがやればぁ〜?人気者は時間がなーいのよー」と、いつもながら兵馬俑使いが荒い金さん。
でも「しゃあないなあ」としぶしぶながら木の実を受け取ってくれる李さんは本当にいい人(兵馬俑)ですね。
「ハイ、でけた。」……もちろん李さんの手にかかれば、木の実はあっという間にペースト化されて出てきます。秒殺です。
受け渡しをするシーンで、ちらっと生身っぽい手が見えるのですが、多分私の気のせいだと思います
材料を見て分かるとおり、松の実にクルミ、それに大量の蜂蜜……と、めちゃめちゃ濃厚で高カロリー。でも寒冷な気候と並外れた運動量の遊牧騎馬民族の生活には適したメニューなのでしょう。
なにしろニラ汁の緑が効いてます。できたイメージはまさしく「ドロ〜〜リ」。ジャイアンシチューに負けぬインパクトです。
見た目、「じんだん(枝豆をすりつぶして作った餡。「ずんだ」「ぬた」とも呼び、地方名は様々。)」


このソースを肺に詰めます。どう詰めるのか?ここで気管がまた威力を発揮します。
「袋を作って、それに入れて押し込め、やて」という李さんのアドバイスどおりにソースを絞り袋に入れ、絞り袋の口を食道に刺し込み、そのまま絞って、時々食道をしごいて下に落ちるようにすれば、自動的に肺の中に入り込みます。
羊の体の構造を解剖学的に理解していないとこういう料理は考案できないですねえ。
かぶる程度の水を入れた土鍋にいれ、蓋をして火にかけます。

「肺が煮えるまでには結構時間がかかります。私の経験上では2時間くらい。それまで私の馬頭琴の演奏をお楽しみください」
と、腰掛けて馬頭琴を構える金さん
「まあ、金さんは馬頭琴を弾けるのね?」と一瞬でも思ってしまった貴方は、まだこの番組の本質を理解できていません
「♪シャオシャリシャンジェン シャンヨンイー シャオジャー〜〜〜♪」
と、謎の歌を歌いながら、とっても楽しそうに「ギイィ、ギギイ」と馬頭琴を鳴らす金さん。
その音色は、ホラー映画の「荒れ果てた洋館の扉が禍々しく開く音」そのものです。
弾む歌声、ギーギーときしむ馬頭琴
この瞬間にチャンネルを合わせた人がいたとしたら、お気の毒としか言いようのない時間が冷酷に過ぎてゆきました。
それでもスタンディングオベーションの映像が流れ、金さんの演奏を賞賛するのでした。

さて、肺の方も煮えた模様です。
金さん「さーて、私の馬頭琴の演奏をお楽しみいただいた間に肺が煮えたようですよ。音楽を聞かせると、よく煮えるんです。」
だとしたら、さっきの演奏の影響を受けて発酵していてもなんの不思議もないですが、金さん。

先ほどのグロテスクな肺、どうなったのでしょう?


別にあんまり変わってませんでした。全体的にちょっと縮み、ピンクだった色はグレイになってます。
まな板の上に出すと、なんだかエイに似た謎の海洋生物のようにも見えます。
それを切り分けると、肺の穴の中からちゃんと緑のソースが出てきます。

さて、ソースが結構余っている(&詰めるときにけっこうボタボタ落ちている)ので、これに芝麻醤を加えて少し煮詰め、完成品にかけるソースにします。
金シェフ、一舐め味見してみて「アッマーイ(日本語)!」と叫びます。
そりゃあれほど蜂蜜とバターが入ってれば、ソースというより「ニラ餡」みたいなもんでしょう。
そして金さんは、「これはネ、お塩入れましょうお塩。レシピには、書いてないけど、きっとお塩を書き忘れたんですヨ!そうでなければ、よーっぽどの甘党ですねえ」と、いきなり番組の根幹を揺り動かす発言をかまします。
大匙1?くらいの塩を入れてもう一度馴染ませると、今度は美味しいらしいです(でも味は想像できません)。塩投入の判断に自信を強める金さん。
(もっとも中国料理のレシピでは、「こういう料理法の場合は、書いていなくても分量外の材料を入れる」というお約束が結構あるので、一概に金さんの暴走とも言えなかったりするのがまた奥の深いところですね。)

切り分けた肺に、今作ったソースをかけて完成。
「羊の肺の詰め物、700年のときを越えて今ここにふっかーつ!!ジョワーン(自分でドラを鳴らす)」

で、試食
「こうして見ると、緑色のソースがかかっていて、中国料理というよりは、フランス料理みたいですねえ」
微妙な暴言をかます金さん。
味は、木の実たくさんのソースで食べ応えがあり、肺もやわらかく煮えて美味しいそうです。
「塩を入れて大正解!さすが天才シェフ・金萬福です!」とご満悦。

何しろなじみのない食材なので味の想像が出来ませんが、豚でもハツあたりは味は淡白なものです。あの食感に羊肉の香りが加わったイメージでしょうか。

最後のレシピ紹介で、「ホームパーティーにぴったり!これを作れば絶対に、貴方を見る目が変わりますよ〜〜」というコメントがありました。
私も今度機会があれば(あるのか?)試してみたいです。
客より先に、姑や義妹が私を見る目の方が変わりそうな気もしますが。